第31話

 この奸謀かんぼうが奏功したのか、遂に千鶴が求めるに至った。永く凍って不純物が混じっていない-孤独-の扉を、雄吉は強引にじ開けたのだった。

 この日、彼がいつものようにタバコを買いに訪れると、変わらぬ姿勢で端座たんざしていた千鶴が、雄吉が硬貨と書翰しょかんを差し出すより早く右手をサングラスの前で立てて斜め前に下げ同時に頭も下げた。雄吉はすぐに彼女の求めの意図を読み取った。

 彼は人差し指を立てて左右に振った。(どうしたの?)という意図だ。すると彼女はこう告げた。

私たち・・・を救って欲しい)

 そして、サングラスをゆっくりと外した。ゆくりなくも雄吉は夢想してきた彼女の美しい瞳を想像した。だが、そこにあったのは賎劣せんれつかたどる外斜視が薄倖はっこうを申し分なく主張していた。

 千鶴はその醜眼しゅうがんを取りださんとばかり自らの人差指をてがい、と同時に背後に控える彼女の侍衛じえい且つ唯一の意思疎通対象のつぶれた眼も指差した。


 雄吉は、世の海溝に沈めとされた彼女たちの困窮した暮らしを救って欲しいのだと理解した。それを象徴する醜眼を、彼女が比喩として使ったのだと受け取った。だが、彼女が言わんとするのはそうではなかった。資金援助のような刹那せつな療法をしてくれても彼女たちに根を張った困窮は去らない。それよりも彼女たちを娑婆しゃばで食えなくしている凶歉きょうけんそのものを治してくれと言うのである。つまり、ハンディキャップを取り除いてくれと言うのである。

 いつものタバコを受け取るとはやる心を抑えて雄吉は言った。

「任せてくれ」

 その時、彼が脳裏で抱きしめてきた千鶴の平たい像が立体感を帯びて迫ってきたものだから、思い掛けずも彼は独りごちた。

(外も、内も、理想になってく)

 懐に仕舞ったこの日の書翰には「困ったことがあったら何でも言ってくれ」と常より雑に並んでいた。すんでの所で自分への自家撞着じかどうちゃくさいなまされずに済んだ。これを彼はくしゃくしゃに丸めて灰皿の上で燃やした。

 こうなると雄吉の行動はいつもの如く早かった。その日のうちに評判のよい眼科を幾つかピックアップし順番に電話して一番早く予約が取れるところを選んだ。運良く都内の斜視治療で有名な眼科の翌日の予約を取り付けることができたが、この行動中、雄吉は思った。

(早く医療の受付も無人化しないとだめだ。受付だけじゃない。診察も、治療も、投薬も、みんな無人化しないとだめだ)

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