第27話

 一昼夜に、観念(ニューサイバー)空間をどれほどのお金と会話と情報が行き交っているのか想像もつかぬが、想像するのも馬鹿馬鹿しい。何故ならそれはもはや実社会だからだ。実社会、そこにむ我々に幾つの物や事があるかなど数えることになんの意味があろうか、何もない。

 観念(ニューサイバー)空間が実社会と同化しているならば、そこに身を置いていない者は実社会から隔離されているに等しい。例えばイデアポウン・・・・・・を所持していないというそれだけで実社会と対話できないということになる。

 これまで千鶴にはイデアポウンはおろか、サイバー空間、観念(ニューサイバー)空間に接続する如何なる装置も身の回りにはなかった。以前、旧式のスマートフォンを所持したことはある。それは彼女がデリバリーヘルス嬢として働いていた時に店から持たされた。だから彼女は全くサイバー社会と隔離して生きてきたわけでもない。だが、旧式のスマートフォンですら彼女は使いこなせなかったし、実社会と対話ができる便利な生活具という価値で眺めたことは一度もなかった。

 雄吉が彼女に渡したイデアポウン・・・・・・は、一つには彼女の窮乏きゅうぼうした生活を救う目的があった。これを使えば彼女の食べたい食料が簡単に買えるからだ(これも施しに違いないのだが、現金を渡すより彼女の抵抗は少ないと雄吉は考えた)。もう一つには雄吉たちがいる実社会との橋渡しを担うものであった。それが彼女と自分の違いすぎる共通項・・・・・・・・を埋め合わせるはずだった。

 後者の目的を果たすため、雄吉は次の日から忙中閑ぼうちゅうひまを見つけては千鶴に宛ててメッセージを念じ送った。彼女に渡したイデアポウン・・・・・・に雄吉の想念が文字となって届く。内容は取り留めもない「おはよう」「元気?」「おやすみ」といった儀礼的なものばかりである。それでもこうしたことが彼女と社会を繋ぐことだと彼は思った。返事を期待してはいなかったが千鶴が見たかどうかが分かる既読機能のあるアプリを使った。しかし千鶴が雄吉の送ったメッセージを見ている形跡はなかった。不安に思った雄吉は彼女に渡したイデアポウン・・・・・・の所在地を自分のモノで確かめた。千鶴が捨ててしまったかもしれなかったからである。だが、それは千鶴の家の位置で明滅していた。彼女は自分が渡したイデアポウン・・・・・・を身辺に置きながらも手にしていないということだった。

 滅多に使わなくなったが同じアプリのボイス機能を久しぶりに使ってみることにした。早い話が電話である。公私とも雄吉は余程でなければ電話はしない。理由は夾雑物きょうざつぶつが多いからである。「ええと」や「あのお」みたいな無駄な間投詞かんとうしが会話には多いからである。さっき聞いた話を繰り返されたり、論点があっち行きこっち行きするなど結論のない話を長々と聞かされることが屢々しばしばだからである。だから彼はいまの仕事に携わるようになってから文書でのやり取りを好み電話は必要最低限でしか使わなかった。

 そんな彼が千鶴には敢えて電話をした。音を響かすだけでも彼女と実社会(本心は自分)を結び付ける意味があるのではないかと考えた。もし仮に彼女が出て向こうで一言も喋らず黙っていたとしても、彼女の息が、或いは気配が感じられればよいと思った。

 雄吉は千鶴のイデアポウン・・・・・・をコールする。懐かしの電子音が虚しく繰り返され耳元で鳴り響いている。

 千鶴は出なかった。

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