第22話

 忍び寄るのは輪郭定かな男の影であったが千鶴は気づかなかった。ペットボトルを打ち鳴らす水道水のあららかな水音が滝行に専心するに似た無心を虚構していた。脇に止められた自転車には先程車から見えた荷台の空き缶の山の他に、前カゴにパンの耳やら廃棄された弁当やら切り残って捨てられた食材やらの一見すると生ゴミのような袋が幾つも詰め込まれていた。

 これだけの視認情報で雄吉は、千鶴が未明から何をしていたのか知るに十分だった。後は彼女にコミュニケーションらしきものを仕掛けるか仕掛けないか自分側で判断するのだが(彼女が拒むことはわかっていたので)、滑稽こっけいに思えるのは車を降りてここまで接近しながらまだそんな躊躇ためらいをしている自分が、一体何を探しているのか蒙昧もうまい極まりなく情けなかった。

 すると彼の逡巡しゅんじゅんを打ち砕くかのように犬が彼に一声を浴びせた。朝陽差す運動公園にジャンボの威嚇いかくする声がたけった。

 千鶴はペットボトルを両掌りょうてで掴んだままわずかにくびひねった。その浅い角度に雄吉はサングラスの向こうにあの外斜視がいしゃしを思い出した。

えている?)

しかし、見ている・・・・わけではないと彼女のうち憶断おくだんする。

千鶴は水道の蛇口をひね止水しすいしペットボトルにふたをした。まだ空のペットボトルは足元に幾つか転がっていた。けれども彼女はそれら空のペットボトルを拾い集め把手とっての付いたビニール袋に入れて荷台のフックに掛けた。自転車を引いて立ち去ろうとする彼女に勢い雄吉は声を放った。

「待ってくれ」

だが、千鶴は振り返らなかった。急ぐでもなし、のたり自転車を引いて雄吉から離れようとする。その横をジャンボが付き従う。

 この拒絶にはすきがある。千鶴が水を汲む作業を完遂する前に立ち去ろうとしているところに、自分をれ意識外に放り出していないことを雄吉は吉兆きっちょう奇貨居きかおくべしだと思った。この女をあの圧倒的|拒絶|に潜り込ませない。何故そうするのか、雄吉にも意識下では説明できなかった。

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