第20話

 ところが、そんな彼の心のある部分に、何か消し難い陰が生じていたことを彼は認めざるを得なかった。

 それはあの日、つまり二度目の逢着おうちゃくで千鶴がこのプロジェクトへの協力を拒んだ時に見せた暗い海に沈むもっと巨大な|拒絶だった。雄吉が自信を持って進める計画は疎おろか雄吉の背後にある全てのものを遥か離れたところから丸ごと拒絶する圧倒的な虚無きょむ、言い換えれば入り込む隙のない完璧な無関心である。何を彼女に求めても決して受諾されない堅い|拒絶が、社会を動かそうとする不遜ふそんな野心に墨滴ぼくてきを落とした。しかも|拒絶をどこからも入り込めなくするために、態々わざわざサングラスを外して生まれながらの無関心をさらした。追い討ちをかけるように、犬までが雄吉を咆哮ほうこうし拒絶した。しかしあれは全部が敵意には感じられなかった。千鶴の意思を読み取った犬が彼女の声を代弁しているようだった。しかるに千鶴が話せないことは分かった。

 こちらの言うことは理解していている。しかし、|拒絶|・斜視・無声によって人間とのコミュニケーションを閉ざしている。代わりに犬との意思疎通を許している。彼の日常に転がっていた自由財たる無価値なコミュニケーションをいざ断たれてみると、雄吉はかつて自分が誇った、引っ込まない、笑わせる、大袈裟に動く、有益な情報をもたらす極意のうちのどこかしらを黒い陰で覆われているような気がした。

 時の人ならばこんな取るにも足りぬ非同調は全く無視をして構わない。雄吉も忘れるよう自身を仕向けるのだが、何故かあの日の陰は雄吉の心を捉えて離さなかった。同意が得られなかった悔しさではない。安っぽい憐憫れんびんではない。奇妙なもの見たさの好奇心でもない。自分の持っているモノ培ってきたモノ、では決して開かぬ閉ざされた心に、雄吉は何かしら自分の奥で騒いでいる会話の声を聞いている気がした。

 あの地に足を向ける度に、前時代的タバコ屋の陰惨いんさんな陰を見るにつけ、雄吉はその想いを強くした。

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