第14話

 蛭間千鶴ひるまちづるは27年の生涯のほとんどをこの飛び地内で暮らしてきた。彼女が通った義務教育の12年間は飛び地の外、言うなれば戎国じゅうこくであったが、学校が終わると彼女は一目散に粗末そまつ根城ねじろに帰宅した。クラスメイトのいじめから逃れるためである。


 いじめの大方は彼女の斜視しゃしである。右眼が恒常性外斜視こうじょうせいがいしゃし、生まれた時から右の黒い虹彩こうさいが外を向いているのである。

 幼少時は「千鶴ちゃんどこ見てんの?」と会う子会う子に不思議がられた。少し成長すると今度は「こっち見てよ」と分かっていてからかわれた。小学校に入ると、同質性から隔たる特異者とくいしゃは常にいじめの対象となった。とりわけ外見上から識別しやすい千鶴は格好のにえとなった。

 からかわれるならまだマシだった。千鶴への差別は異端者いたんしゃとしてあからさまな排斥はいせきで返された。遊んでくれる友達はいなかった。できても仮初かりそめはすぐに同質性の権化ごんげたちから異端者いたんしゃくみする異端コピーのそしりを受け、彼女らは良心に問う隙も与えられず千鶴から引き離されていった。

 千鶴は常に一人ぼっちだった。同級生は誰も千鶴を構ってはくれなかった。中学の担任から強く薦められるも高校にも進学せず、中学を卒業すると家事手伝いを就職理由に眇眇びょうびょうたる家業の柵の中に引きこももった。


 母はこれ以上排他的はいたてき環境下で痛めつけられる娘の姿を見るに耐えかね、高校には行かないという千鶴の窮余きゅうよの決断を尊重した。家が赤貧せきひんだったことも理由に数えてよい。

 赤貧せきひんから逃れられなかったのは家業のタバコ屋以外収入がなかったからであるが、千鶴は父の働く姿を目にしたことがなかった。というのも父は千鶴が三つの時には既に居なくて母は死ぬまで父の所在を明かさなかったからである。


 千鶴が五つの時に亡くなった祖母が生前、

「おまえの父ちゃんは女の人に悪いことをしてね、狭いお部屋で反省してんだよ」

 と目を合わせずもららしてくれた。悪いことの意味は祖母のやさぐれた態度で彼女にも大凡おおよそ理解できたが、父の反社会的愚行ぐこうがどれほどの影響であったかは千鶴へのいじめの範囲が大きくなったことで否応無いやおうなく知らされた。

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