第9話

 世の中がこうなるにも止むに止まれぬ事情があるにせよ、時に行き過ぎた社会の唯我的ゆいがてき要求がまだ平衡感覚へいこうかんかくを残している人をわずらわしさから退避させ、ひと時の閑雲野鶴かんうんやかくを夢想せしめ孤独に逃げ込ませることはままある。雄吉自身は孤独などを感じもしなかったが、彼が抱いている標柱ひょうちゅうがある時姿を消したならばどうであったろうか。

 ただそれを語るにはまだ物語が熟していない。

 話を戻す。


 一部の賛意は得られなかったが、プロジェクトは着々と進んでいった。この飛び地の世帯数のおよそ9割近くから生体認証データとクレジット情報を入手した雄吉たちはこのレベルでテストは可能と判断しシステムの実稼働に移った。既に完成していた店舗に生体認証を判別する端末装置が設置されて、住人のうち何人かの協力を得て入店から退店まで人が介在せず各々欲しい商品を持ち出してみたが、きちんと彼らの口座から商品代金が引き落とされていた。テストは見事成功だった。


 住人のひとりは言った。「待たなくていいので大変結構だ」と。

 別の住人は「万引き気分を味わえた」とおどけて言った。

 また別の住人は「お金を持ち歩かなくていいので不安がない」と手ぶらで行ける便利さを喜んだ。


 これを聞いた雄吉は、自分が手掛けるプロジェクトが社会の構造を根底から変えていく、俺は社会に有用な人間だ、人々を幸せにする価値の高い仕事をしている、尊大な自信が益々彼を魁偉かいいにさせた。

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