第2話

 ロボットの疑念は一旦緩んだ。女が膝を折ったままいざったからである。

 彼女がガラスの出窓を引いた。ちょうどそこへ粗い路面を車輌が擦過した。彼女の口元が僅かに動いた気がしたが声は聞き取れなかった。代わりに彼女が雄吉を招き入れるような手振りをしたので、「いらっしゃいませ」と言ったのだと雄吉の既存情報から解釈した。

 ここから対人販売に付随するあの煩わしいコミュニケーションが始まることを雄吉は気欝に覚悟せねばならなかった。


「同じのありますか?」

 胸ポケットから皺立った一函のタバコを取り出し千鶴に見せた。微かに苛つきが回復していた。忙しなく彼が人差し指と中指に挟んで差し出した銘柄は売れ筋から外れた旧三級品だった。タバコ好き受けする商品であったはずなのだが、苦くて匂いが強いので、いまは一般受けしなくなり自動販売機のレギュラーポジションを失いつつあった。だから、こうした専門店かコンビニでの対面販売で手に入れるしかなくなっていた。惰性に従っているが、雄吉は煩わしい対面販売より無駄な会話をせずとも済む自動販売機にあればと願うも叶わず、諦めて自分が勤める系列のコンビニ店でまとめ買いするようにしている。

 そのストックが胸ポケットにある分だけになった。辺りに系列のコンビニはない。故に斯様かような「THEタバコ屋」に立ち寄り、ストックを補充しようとしたのだが、実は彼がこの飛び地を訪れたのには他に理由があった。

 雄吉は大手コンビニエンスストア、eM‿Meエミーを運営する株式会社スマイルエディットに勤め、そこで店舗開発を手がけている。ここ埼玉県と東京都の県境で彼は新たなパイロットショップを出店しようとしていた。それは無人店舗である。

 無人と言っても店員が一人もいないわけではなく、品出しや商品発注・管理は人がやるが、所謂レジを無人化するキャッシュレス決済を試そうとしていた。レジに並ばなくても商品が買える。選んだ商品を袋に入れたまま退店してもお客様の口座から代金を戴く、そうした人手のかからない仕組みである。これがうまくいけば全国に何万とあるコンビニから膨大な数の店員を減らすことができ省人化と人件費削減が一気に進む。

 雄吉にとってこの考えは全く理想的に思えた。物を買うのにどうして金のかかる人間が介在しなければならない? 金がかかるだけではない。人間は間違いを犯す。レジでの計算ミス、数の読み違え、不適切な接客対応、毎回同じような定型文句の遣り取り。客が来るたび繰り返す非生産性に雄吉は辟易していた。

 サプライサイドだけではない。客も間違いを犯す。万引き、不合理な値段交渉、過剰なサービス要求、増長した消費者クレーム。これらはサービス産業の疲弊を招き成長を阻害していると雄吉は危機感を募らせていた。

 だからこそ対面販売の必要のない無人店舗が物品を販売するあらゆる業界を救うのだと彼は信じている。その潮流は確かに社会を浸しサービスの在り方を変えようとしていた。彼の個人思想なんかではない。

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