第36話 ドレスアップ
「あ、それは自分でやります。というか着替えないと駄目ですか?」
今まで着ていた服を脱いだオリヴィアは恥ずかしそうにしながら尋ねる。
風呂に入って体の手入れをした後、今夜のためのドレスが届けられて小部屋で着替えを行っていた。
仕立て屋やその助手は当然女性ばかりだが、だからといって下着姿でも平然としてはいられないオリヴィアである。
レース付きの薄く頼りなげな下着を手にした女性は重々しく肯いた。
「はい」
「服を着てしまえば見えないと思うんですけど」
「いえ、気分が違います。介助が不要でしたらご自身でして頂いて結構ですが、お穿き替えください」
オリヴィアは仕方なく小さな布切れ2つを受け取る。
さあ、早くという顔をされてキョロキョロと左右を見た。
「あの……ここで?」
ドレスの納品と着付けに来たデザイナーは、ああという顔をする。
助手の女性たちに声をかけ、屋敷の人に頼んで衝立を持ってくるように指示をした。
それからオリヴィアに向き直って詫びを言う。
「申し訳ありません。通常はお客様は私どもを気にされませんので」
細い針金で組まれたトルソーに着せかけてあるイブニングドレスはとても高価なものであった。
このような高級品を纏う令嬢たちは下々の者を人と思っていない。
それで下着姿どころか全裸でも気にしないしショーツを穿かせてもらうのも当然という態度だった。
「え~、他人に見られて平気なんですか? この格好でも恥ずかしいのに」
オリヴィアもランスタットの町で他人に服を脱がされて風呂に入れられたことはある。
あの時は手も汚れていたのでやむを得なかったし、問答無用という雰囲気だった。
選択肢があるなら他人に見られるのは御免被りたい。
女性はオリヴィアが自分のことを同じ人と思っていることに気がついてニコリと笑った。
「私のことは人形だとお考えください」
「そんなの無理ですよ」
「では、あちらを向いてますね」
女性は横を向き衝立を待つ。
新年のパーティに出席できることから貴族なのは間違いのだけれどどういう立場なのかしら、と女性はオリヴィアの素性が気になった。
ようやく衝立が運びこまれ、その裏でオリヴィアは着替えをしようとする。
改めて見るとショーツはほとんど紐だし、スリップは身に着ける意味があるのかというぐらい薄い。
逃げ出したくなったがどこを探しても退路はなく仕方なしに着替えを済ませた。
「よろしいですか?」
「はい」
オリヴィアは蚊の鳴くような声で返事をする。
着付けの女性はその気持ちを慮って要領よく着付けていった。
一般的な令嬢はウエストが細い。
オリヴィアは健康優良であり、よく食べることもあって比較的に胴回りが太かった。
ただ、巧みに縦に線を入れたデザインにより、コルセットでギュウギュウに締めつけなくてもなんとか見られる水準になっている。
姿見の前に立たされたオリヴィアはあまりに豪華な衣装を自分が身に着けていることに圧倒されていた。
「よくお似合いかと思いますが、何かご不満な点はございますか?」
「不満な点なんてありません。強いて言うなら着ている人間がこんなのですいませんという感じです」
「口幅ったい物言いになりますが、お話に伺うオリヴィア様の魅力を最大限引き出すようデザインさせて頂きました。ご謙遜なさらないでください。とても素敵でいらっしゃいます」
「ありがとうございます。確かに普段に比べてとても華やかですね」
その後は別の者と交代して軽くメイクをし、鬘で髪のボリュームを足して結いあげる。
ここまですると、一応は貴婦人のカテゴリーに入らなくはないレベルになった。
「なんだか私じゃない気がします」
オリヴィアは鏡の前でくるりと1回転した。
「それではローランド様のところへ参りましょう」
着ている当人に気に入ってもらうのも大事だが、仕立屋にとっては依頼主であり金主であるローランドに満足してもらわなくてはならない。
別室にオリヴィアを連れていった。
自分もパーティ向けに着替えを済ませてフィリップと話をしていたローランドは部屋に入ってきた姿を見て立ちあがる。
しばらく黙ってイブニングドレス姿を凝視した。
オリヴィアは見つめられて決まり悪そうにする。
その様子を楽しげに観察していたフィリップがローランドの横から覗きこんで目の前で手を振った。
「閣下。意識あります? 感動のあまり失神してません?」
瞬きをしたローランドはジロリとフィリップを睨みつける。
「視界の中に勝手に入ってくるな。折角の素晴らしい光景が台なしだろう」
「あ、あれですか。部下がゴミのようだみたいな。それは酷くないです? 忠臣をまるでゴミのように言うなんて。まあ、でも、見違えるほど素敵になったのは確かですね」
ローランドは無言で手近な台の上に置いてあった羅紗張りの箱の蓋を開けた。
中のものを取り出し両手に持つ。
オリヴィアに近づくと自ら大粒のダイヤモンドをいくつも使ったネックレスを首につけてやった。
産毛を剃った首筋に触れられてオリヴィアはピクリと体をふるわせる。
こんな装飾品を身に着けるのは初めてのことだった。
それ以上に男性が首の後ろの肌に触れるということも今まで経験がないことである。
ローランドが少し離れ全身を眺め始める中で、参ったなあ、などという感想を抱いていた。
そもそも、新しいドレスを用意してもらっているだけで恐縮するのに、宝飾品まで貸し与えてもらっており、畏れ多くてそれ以外のことが考えられない。
ただ、ローランドが賢明にもドレスや靴の新調費用やネックレスの価格を正確には伝えていないのでこの程度ですんでいる。
それを知ったらオリヴィアの呼吸が止まったかもしれない。
「これなら、他の参加者に見劣りすることはない。これで胸を張って出席できるな」
「あの、確かに衣装や装身具は素晴らしいものだと思うのですけど、私、こういう華やかな場に出たことがないですし、中身はこんなに平凡なので、むしろギャップが目立つのではないかと思うんですけど」
「着ていく衣装が無いと言っていたのはオリヴィアだろう?」
「それはそうですけど……。別に用意して頂こうというつもりはなくてですね」
「ねだるつもりでなかったというのは分かっている」
「今までも参加したことは無かったですし、別に参加しなくても。なんというか、そういう場所に似つかわしくないというか」
「そんなことはないぞ」
「そうは言っても実家が貧乏で勢力もない家というのは確かですし。立派な家の方が多くいらっしゃるんですよね」
「くだらん。どこの家の生まれかというのも全く意味がないわけではない。だが、それ以上に大事なのは本人だ。その点、お前は十分に立派だ。今日もアックスやジェイドうまく統御してくれたではないか。あの場で遊びだしていたら、きっと誰かが問題にしたことだろう。恥をかかずに済んだのはオリヴィアのお陰だ」
ここで容姿の話をしないのがローランドらしいところである。
ローランドも美醜というものをちっとも気にしないというわけではない。
オリヴィアのことは可愛らしいと考えていた。
しかし、評価軸としての優先順位が低いため言及していないというだけである。
「オリヴィア。お前には今夜のパーティに出る資格は十分にある。だから遠慮することはない。それにこれは私が組織の長としてきちんと報いなくてはならないということなのだからな」
ローランドが誇らしげに胸を張って笑顔を見せれば、オリヴィアは分かりましたというほかなかった。
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