第28話 ハンカチーフ
昼食を食べてからはオリヴィアのソワソワに拍車がかかる。
「それじゃ、お給料を取りにいこうか?」
「はい!」
とても反応のいい返事にニーメライはオリヴィアの態度の理由を理解した。
なあんだ。
ローランド様と何かあったのかと期待して損しちゃったよ。
ニーメライはそんなことを考えていることはおくびにも出さない。
「そうか。ここに来て初めての給料だもんね。そうだ。初任給は職場の先輩やお世話になっている人にお礼をすることになっているんだよ」
「そうなんですか。知りませんでした。私、お仕事をしてお給料をもらうの初めてで」
素で返されてニーメライは自分の失敗を悟る。
「あ、嘘、嘘。あまりに楽しみにしているから揶揄っただけだよ。折角働いてもらったものだから自分で自由に使いなよ」
「でもお世話になっているのも事実ですし」
「いや、本当にいいから。そんなことされたら私が部下にたかるクソ上司じゃん? 嘘ついたのは悪かったから本当にやめてね。さすがに団長に怒られるから」
その話の途中で2人は会計部屋に到達していた。
「失礼しまーす」
オリヴィアはウッキウキで中に入っていく。
「治療師オリヴィアです」
「空き袋は次の給料日までに返しておくように」
そう言って会計の職員は革袋を渡した。
オリヴィアは大切そうに抱きしめる。
スキップしながら部屋を出ようとするのをニーメライが苦笑しながら止めた。
「ここで金額を確認しなさい。部屋を出てから足りないと言っても取り合ってもらえないぞ」
オリヴィアは部屋の隅で袋の中身を確認する。
「あれ? 聞いていたよりも多いような。それに私、丸々1月働いていないですけど」
自分の分を確認し終わったニーメライに尋ねた。
「給料は月払いだからね。それと多いというのは例の手当分だろう」
「そうなんですね。じゃあ大丈夫だと思います」
オリヴィアはニーメライと連れだって部屋を出る。
そこでニーメライと別れると自室に戻った。
部屋の中でオリヴィアは嬉しさのあまり謎の動作で激しく踊る。
初めて貰った給料は神殿から慰労金として貰った額と遜色ない額だった。
無駄遣いをせずに3年も貯めれば最低限の持参金の目途が立ちそうである。
希望が見えてきたのが嬉しい。
ちょっと息を切らせながらオリヴィアは給与の大半を部屋に備え付けの金庫にしまった。
それから厩舎に向かうとシルバースターを引き出してその背に乗る。
今日の午後は仕事はお休みなのでボーネハムの町に行き買い物をするつもりだった。
実家に手紙と共にちょっとした品を贈って、お世話になった騎士団の人にお礼の品を用意して……。
気が逸っていたのでオリヴィアは会計部屋の直前でのニーメライの最後の台詞はきちんと聞いていない。
確か騎士団長がどうとか言っていたような。
ああ、ローランド様へのお礼の品を忘れないようにということね。
私なんかが用意できるものはたかがしれているけど、こういうのは気持ちが大事だから。
給料日ということでボーネハムの町は騎士で賑わっていた。
顔見知りに挨拶をしながら、以前目をつけていたボーネハム城の威容を描いた小さな絵を買う。
職場が変わったという手紙と金貨1枚を一緒に包んで貰った。
町の中心にある王国郵便の事務所で実家宛ての配送を依頼する。
かなりの田舎なせいかそこそこの費用になったが、給料を貰ったばかりのオリヴィアの懐はまだまだ豊かだった。
オリヴィアは町の中を見て回る。
今では絶対に手が出なかったものも買おうと思えば買えなくはない。
でも無駄遣いは禁物ね。
婚礼用の美しい刺繍入りのドレスを目にして気を引き締めた。
とりあえずお礼の品は買わなくちゃ。
ローランド様とガムランさん、フィリップさんに治療師の人たち……。
これだけで10人になった。
さすがにそれだけの数になるとあまり高価なものは買えない。
同僚への品はすぐに決まった。
先日お茶の席で気に入った林檎のタルトと同じものを見つけたのでそれを選ぶ。
想像していたよりも値段が張ったのには驚いたが今のオリヴィアなら問題なく買えた。
支払いの際に季節ごとにトッピングの砂糖漬けの内容が変わると店員さんから聞く。
新しいものが出たら買ってみようかしら。それぐらいはいいわよね。
そんなことを考えながら町を歩いた。
同僚へのものは決まったがローランド他へのお礼の品が決まらない。
困ったオリヴィアはシルバースターに話しかける。
「何がいいかなあ?」
もちろん馬は喋れない。
エドみたいに話ができればいいのだけど。
オリヴィアは以前に父から聞いたことを思いだしながらシルバースターの首を優しく撫でる。
ヒン。
シルバースターが鳴いて顔を向けた先ではしっかりと抱き合う男女が居た。
女性の目からこぼれる涙を男性が取り出したハンカチーフで拭ってやる。
オリヴィアはこれだと閃く。
ハンカチーフなら生地が少ないので良い素材のものでも高くはない。
「いいヒントだったわ」
オリヴィアはシルバースターを褒めると衣料雑貨を扱う店に入る。
レースの縁取りのあるシルク製のものを4つ買い求めた。
「同時に複数お買い上げいただいたので名入れを無料でしております。お客様のお名前を伺っても? すぐにできますよ」
名前を告げるとすぐに用意される。
銀糸でイニシャルが縫われていた。
無地のものよりぐっと見栄えが良くなってオリヴィアは満足する。
「3つは1つずつ包んでもらっていいですか?」
用が済んだのでオリヴィアは城に戻ることにした。
町に居るとつい余計なものを買いそうになる危険性を自覚している。
暗くなる前に帰るようにとニーメライにも釘を刺されていた。
それにお礼の品を渡すなら今日中の方が良いだろうという思いもある。
シルバースターの駿足はすぐにオリヴィアを城の入口へと運んだ。
「治療師オリヴィアです」
真紅のスカーフに手を添え律儀に名乗るが門番はもうオリヴィアのことを見知っている。
特に制止されることもなく門を通過した。
厩舎でシルバースターと別れるとそのままローランドの居室に向かう。
建物を結ぶ屋根付きの回廊をブレイズたちの住処に繋ぐ工事が行われていた。
腕組みをしたローランドがガムランとフィリップを従えて監督をしている。
全員に一度に渡せて楽だわね。
オリヴィアは3人に駆け寄った。
足音にローランドが最初に振り返る。
軽快な足音に見ずとも誰か分かるようになっているのはさすがと言うべきか、恋の病の進行が早すぎると言うべきか、判断に迷うところだった。
「オリヴィア。どうしたんだ?」
「あの、これをお渡ししたくて」
オリヴィアは鞄からハンカチーフの包みを取り出してローランドに渡す。
「これは?」
「ハンカチーフです」
その場の空気が変わった。
特にローランドとフィリップはまじまじと包みを凝視する。
オリヴィアは分かっていなかったが、ハンカチーフは貴族の恋愛において重要な役割を果たす道具であった。
通常であれば気になる男性が通りかかるところに女性がイニシャルの入ったハンカチーフを落としておく。
もちろん、それを拾った男性がすぐに誰のものか分かる程度には親しくなくてはならない。
このハンカチーフは好意を持っていますという打診なので、男性側に気があればこれはあなたのものではありませんかと問いかける。
その気がなければ、間接的に本人の元に戻るようにするか破棄した。
まったくもって回りくどく、時々ターゲット以外が拾うという事故も起こる風習で面倒くさいことこの上ないがそういう煩雑さを制度化したものが貴族という存在である。
そんな意味を持つハンカチーフをプレゼントされれば、ローランドとフィリップがその意図を考えてしまうのは無理もない。
稀にある超積極的な女性からの告白の可能性があるのだった。
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