第49話
フードフェス当日の朝は早く、七時半に駅で待ち合わせをしているので、必然それよりも早く家を出なきゃいけなくなる。
けたたましいアラームによって起床は五時半。
外は薄暗いとは言えない程度には明るくなっていて、その様相に夏を感じてしまう。
それに、こんな時間に起きたのはいつ以来だろうかと、働かない頭でぼんやりと考える。
早起きの為に就寝時間をかなり早めて、なんとか起床に成功した私は重たい体を引きずり、シャワーを浴びる。
熱いシャワーがアドレナリンを分泌させ、寝汗と共に眠気もどこかへと洗い流してくれる……筈なんだけど、頭の隅には昨日の清水とのやりとりが残っていた。
「気が重いなぁ」
寝たら忘れる。なんて器用な脳みそは備わっていので、微妙な空気で終わった電話が、今日の清水にどんな影響を与えるのだろうか。
「清水はどこに行きたかったんだろ」
その問いに答える者が居るはずもなく、自分で考えろと言わんばかりに、シャワーの音に掻き消されてしまう。
人と繋がれば繋がるだけ、こんな悩みが増えていく。人生において私はあと、何度こんな思いを抱えなければいけないのだろうか。
空気を読み、意図を推量し、円満な関係を続けるという理から逸脱した清水は、私のこれまでの生き方を真っ向から否定する存在とも言える。
考え方が相容れないからといって、嫌いになる程に私は誰かに強い感情を抱く事がない点が、きっと私の長所であり、短所なのだ。
カランをひねり、冷水をかぶる。そうして冷えた頭で、目の前の問題を残して浴室を後にした。
「今日はワンピースじゃないんだ。似合ってたのに勿体なーい」
「あ、あれは然るべき時に、着るので……」
待ち合わせ場所に着くと、私よりも先に待っていた清水に軽口を叩いて合流する。
夏休みなのに、相も変わらず制服姿な事を確認して、良かったと安堵する。
「あ、あと小深の制服姿、似合ってる、よ」
「そりゃどうも」
前回は外したけれど、今回は清水が着てくるであろうと推測して、制服を着てきたけれど正解だったみたいだ。
それに、清水の様子も普段と変わりがなくて、悩みの種はどうやら杞憂だったのかもしれない。
電車に乗り込むと、夏休みがあるのは学生の特権だと可視化するみたいに、スーツ姿の大人をチラホラと見かける。
これから仕事に向かうのは私達も変わらないのだけど、アルバイトと社会人ではその肩にかけられた責任の重さが違うのだろうなと、なんとなく座るのをやめて立つ事を選んだ。
「小深は座らないの?」
「まぁね、四駅だしいいかなって」
「そうなんだ……じゃあ、わたしも立ってる」
「いやいや、気にしなくていいから」
私の都合に付き合わせたみたいで悪いなと感じたけれど、横に並んだ清水はこちらを見ず、車窓の景色を見るように正面を向いたまま口を開いた。
「うんん、小深と一緒が、いいから」
そんな小っ恥ずかしい言葉を簡単に言ってしまう。いや、頬が赤らんでいるから清水なりに勇気を出したのだろう。
清水の横顔を眺めていると、顔や態度に出やすい彼女が何事もなかった様に振る舞う姿は、やっぱり想像できず私の杞憂は姿を消していく。
「あの、あんまり見られると、恥ずかしい、かも……」
私の視線に気付いた清水の耳が更に鮮やかに、少しずつ色付いていく。なんとも見事な紅潮具合に、今年の紅葉狩りは手軽に済みそうだ。なんて意味の分からない事を考えてしまう。
清水の事で悩んでいたせいか、秋も彼女と一緒にいる光景を想像している自分がいる事に気付き、思わず目が、そして口が勝手に開いてしまう。
「……じゃあ見ないように気を付けるよ」
「み、見たらダメとは言って、ない」
「じゃあ見てもいいの?」
「小深が見たい……なら」
視線をこちらへ向けず、恥じるように俯く彼女のお言葉に甘えて、ご尊顔を拝ませてもらう。
周りには朝からイチャつくなと思われているかもしれないけれど、今は、清水が私を見ていない事を心から良かったと思ったのだ。
最寄り駅に到着すると、各停でしか止まらない事もあり、住宅街に佇む寂れた駅という印象を受けつつ、イベントに向かう人がそれなりにこの駅で降りていく。
私達と同じアルバイトなのか、はたまたイベントが楽しみで待ちきれない参加者なのかは知る由もない。
最寄り駅と聞いていたのに、二十分も歩く事になり、出店のテントに着いたのはイベント開始三十分前になってしまっていた。
「おう、二人とも今日はありがとな! 準備は全部しておいたから仕込んだ焼き鳥を焼いてお金を受け取る。する事はそれくらいだが、もし何かあったら反対側の出店にいるから電話か直接来てくれればいいからよ!」
そんな説明とも呼べない説明を流れるようにした大将は、あっという間に池を挟んだ反対側の屋台へと走り去っていく。
人手が足りないのは、出店数が複数だからかと納得はしたものの、飲食物を取り扱うのに焼き方の説明とかは何もない事に些か雑さを感じてやまない。
隣にいる清水も、顔色一つ変えないので理解しているのかどうか。正規の店員だから焼き方とかは知っているのもしれないけど。
「えーっと、じゃあどうしよっか、清水が焼く?」
「えっ、料理した事ない……」
胸の前でぶんぶんと手を振る仕草に、清水の背丈から受ける幼さが加速する。
私も料理と呼べるほどの何かを作れる自信も腕もないけれど、小学生、良く言って中学生にしか見えない清水に焼かせて変なクレームが出ても面倒だしなぁ。
清水に任せた際のデメリットの方が大きいと感じ、仕方なく私が焼き担当。清水は会計兼呼び込み担当で決着がついた。
実質的なワンオペであり、初めてのアルバイトはブラックなのかもしれない。
業務用サイズの保冷バッグに敷き詰められた焼き鳥を数本手に取り、網に並べて焼いていく単純作業。
焼き色がついたら裏返し、食中毒が怖いので同じ工程を二度繰り返す。そうすると素人の私でも美味しそうに感じる焼き鳥が出来上がっていた。
「小深、すごい。良いお嫁さんに、なれるね」
「大袈裟だなぁ、これくらいなら清水でも出来ると思うけど」
だって網に乗せて焼くだけだし。まぁ大将が焼いた物とは天と地の差があるんだろうけど。
焼けたであろう焼き鳥を一本手に取り、軽く塩を振ったものを清水へ差し出す。
「味見してくれる? 焼けてると思うけど、生っぽかったらペってしなよ」
「……」
「嫌なら私が味見するけど」
まぁ毒味しろって言ってるようなものだしなぁ。
差し出した焼き鳥を見詰めて硬直している清水から、手を引っ込めようとすると徐にその手を掴まれる。
「た、食べる! ちょっと緊張してた、だけ」
「私の焼き鳥にそんな不安要素が!?」
さっきの言葉はお世辞だったのかと思った矢先、私の手に握られた焼き鳥に清水がかぶりついた。
いきなりの事に驚き、目が丸くなってしまう。
焼き立てという事もあって、はふはふと空気を入れて冷まそうとする姿に、ようやく思考が戻ってきた。
「えと、味見とは言ったけど……」
焼き鳥を手渡すつもりだった私的には、あーんをする意図はなく、清水の言う緊張の意味をここで理解する事になる。
「ぎょ、行儀悪かったかな……」
「そういう問題……なのかなぁ」
なんだか私が清水に食べさせる事が当たり前の様になってしまっている気がする。
別に嫌という訳ではないけれど、常習化して人前でされると困るなぁとは、人目を気にする私はそう思ってしまう。
でも、その時はちゃんと言えば聞いてくれるだろうと結論付け、三分の二ほど残った焼き鳥を清水の口元へ運ぶ。
「ほら、お食べ」
「い、いただきます。んっ、美味しい、よ」
「なら、良かった」
ふにゃあと、頬が緩んだ清水を見ながら、今はこれから始まるアルバイトへ考える頭を割く事にした。
そして、スピーカーから開催の宣言が流れ、フードフェスが開催されたのだった。
運命の相手だと言い張る女に人生めちゃくちゃにされそうです!? 織本 洸 @komi_
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