第45話

「どぞ……」


 そんな覇気もやる気も感じさせない声の店員が、焼き鳥丼を机に並べ、厨房に引っ込んでいく。

 残った注文のサラダと唐揚げを取りに行った事を確認した私は、戻ってくるタイミングを見計らい、わざとらしく声を大にして姉に話しかけた。


「そう言えば、柏木さんってさ〜彼女とかいるのかなぁ〜?」


 普段なら絶対こんな事を言わない私の発言に、姉は一瞬にして意図を汲んでくれる。


「モテるみたいだけどいないみたいよ〜! でも、アンタの事は顔が好みって言ってたから押せばいけるわよ!」

「え〜どうしよっかなぁ、柏木さんってイケメン……ではないけど話は面白いし、次はちゃんとしたデートしてみてもいいかもなー」

「なら後輩に言っといてあげる。次はお友達に邪魔されないようにお泊まりデートなんていいんじゃな〜い?」

「んー、じゃあ今度会ったら誘ってみようかな」


 そんな微塵も思っていない会話をしつつ、そっと顔を後ろに向けると、相変わらずおぼんで顔を隠した店員こと清水が少し離れた所で立ち尽くしていた。

 先程と違う所があるとすれば、おぼんに乗せたサラダと唐揚げが清水の体の震えと共に揺れている事だった。

 ふらふらとこちらに向かってくるのを確認し、話を更に続ける。


「あっそうだ! 今から柏木さん呼ぼうよ。この前のお詫びも出来てないしさ」

「いいじゃない、アンタが呼んでるって伝えたら絶対来るわよ!」

「……ぁっ、サラダ……です」


 わなわなと震える清水が机にサラダを並べる。

 笑いそうになるのを堪えて、私は清水の嫉妬心を煽るような言葉を急いで組み立てていく。


「じゃあせっかくだし、泊まってもらおうよ。ママもいないし柏木さんとゆっくり喋ってみたかったんだー」

「ふーん、ならアタシ友達の家に行くから二人っきりにしてあげるわ」

「ホント? じゃあちょっとお洒落でもし――」

「だ、ダメーーーー!」


 会話をぶった斬るような大声が店内に響いた。

 清水がこんな大声を出せるとは思わず、驚いた私は清水へ顔を向けると、おぼんで隠されていた正体が顕になっていた。

 おかっぱちゃん。姉がそう言う理由が分かるボブカットに一筋のブラウンのメッシュが特徴的で、その髪型は彼女が着ている割烹着とよく似合っていた。

 清水と目が合うと、少し遅れておぼんを外した事を思い出したのか慌てて顔を隠す。


「もう遅いんじゃないかな、清水」


 そう名前を呼ぶと、恐る恐るおぼんから顔を覗かせる仕草が、彼女の見た目相応に感じてしまい、笑ってしまう。


「別に隠さなくたっていいのに。アルバイトしてるだけでも偉いんだから」

「そ、そんな事ない……」


 謙遜なのか、はたまた本当にそう思っているのか判断に困る反応だ。

 清水は私に対しては強硬策を取るくらいの強引さと謎の自信があるのに、自分に対しては些か自己肯定感が低いきらいがある。


「それにしても、清水が居酒屋でバイトって意外かも」


 なんとなく、郵便局で手紙の仕分けとか、スーパーで商品の品出しみたいな人と関わらない仕事をしているイメージがあった。


「えっ、へ、変かな?」

「まさか、良いと思うよ。割烹着も似合ってるし」


 髪型のせいもあって小さな子供がお手伝いしているみたいで可愛いからね。とは言わない。

 そんな事を言えば、はわはわと慌てふためいてアルバイトの邪魔になってしまうだろうから。


「せっかくだし、温かいうちに食べるね」

「あっ、うん。ご、ごゆっくり」


 お喋りの終わりを切り出すと、一瞬残念そうに眉を下げたものの、清水もアルバイト中だという自覚があるようで大人しく引き下がる。


「それで、なんでお姉ちゃんが清水がここで働いてるって知ってたの?」


 清水が厨房へ引っ込んだのを見てから、先に食事を始めている姉へ疑惑の視線を向ける。

 姉と清水に接点はなく、強いて言うならば二人が電話した時が初コンタクトと言えるかもしれない。

 姉が執念深く清水のバイト先を探すような性格ではない事を知っているからこそ、全くと言っていい程に理由が分からなかった。


「んー、それってそんなに重要かしら? 」

「当たり前じゃん、妹の友達のアルバイト先を知ってる姉なんて普通に嫌でしょ。それに清水の写真も見せた事ないし、やっぱり知ってるっておかしいよ」


 そう指摘しつつ、冷める前に焼き鳥丼を一口頬張った。

 タレの絡まった鶏肉は柔らかく、ご飯が進む味付けに頬が緩んだ。


「アンタの普通をあたかも世の普通みたいな言い方されてもねぇ」

「うわ、なんかママみたい」

「うわって、それ聞いたらお母さん泣くわよ」

「話しそらさないでよ。……あっ、この唐揚げ美味しい」


 食事をしながらゆっくりと会話のキャッチボールをしつつ、私の視線は度々厨房へと引き寄せられる。

 友達がいる飲食店はなんだか少し落ち着かず、背後に清水が立っているんじゃないかと疑ってかかってしまう。

 ちなみに振り返っても清水が後ろから私を見ているなんて事はなかった。ちゃんとバイトに専念しているようでえらいえらい。

 食事も終え、満腹の感覚を享受していると、清水ではなく大将がお皿を下げに来た。


「あれ、大将がホールに出るなんて珍しーい」

「ガハハ、まぁちょっと頼みがあってな」

「頼みー? 大将の頼みなら何でも聞いちゃうわよ!」


 清水はどこにいるんだろう。

 それなりの関係値を構築しているらしい姉と大将に、親戚集まりの時に感じる微妙な居心地の悪さを感じ、横目で清水を探していると不意に大将の顔が私へ向いた。


「という事で、妹ちゃんはどうかな?」

「えっ、っあーー、いいと思いますよ」


 全く話を聞いていなかったので、思わずてきとうに返事をしてしまい、返答が間違っていたらと嫌な汗が浮かぶ。

 しかし、大将の難しそうな顔が明るくなったのでどうやら正解だったらしい。


「助かるよ! ちょっと待ってな」


 そう言って大将は厨房へ駆け足で戻っていった。

 一体何だったんだろうと首を傾げると、姉が物珍しそうな目をして私を見ていた。


「えっ、なに?」

「いや、普通にと言うか珍しいなと思って驚いちゃった。友達……いいえ、楠希ちゃんから影響を受けた結果かしらねぇ?」

「だから何なの……」


 一人で完結している物言いの姉に苦言を呈そうとした所で、机の上にミニサイズのパフェが並べられる。

 大将かと思ったけれど、配膳する白く小さな手で清水なのだと理解する。


「大将から。お礼、って」

「お礼?」


 肯定した事? よく分からず大将の悩みを解決してしまったのだろうか? ならまぁ、有難くいただく事にしよう。

 パフェを取ろうと手を伸ばすと、パフェが三つある事に遅れて気が付き、配膳してきた清水へ問いかける様に視線を送る。


「あっ、大将が休憩していいって言うから……一緒に……ダメ、かな?」

「ダメではないけど……」


 私は構わないけれど、一応同席者である姉の表情を窺うと、律儀に指で丸を作っていた。


「いいらしいよ」

「……うん!」


 誰もいない席から椅子を拝借した清水は、私の隣に椅子を置き、何食わぬ顔で腰を下ろしてパフェを手に取った。


「あの、清水? ここって二人席だから三人で座るならこっちの方がいいんじゃない?」


 それとなくお誕生日席を勧めてみたものの、清水は「ここがいい」と固い意思を見せてくる。

 無理にどかせる理由もなく、仕方なく私はそれを受け入れると、姉が楽しそうに私を見ている事に気が付いた。

 自然と肩が丸く縮む。体温が二度ほど上がった気がしてパフェを食べて解熱を試みる。


「……それで、お姉ちゃんは何で清水の事を知ってるの」


 結局、居心地の悪さを誤魔化すように沈黙を破ったのは私だ。

 姉は清水が私に向ける感情の名前を知っている。だから、あからさまに友達とは違う距離感で詰めてくる清水の強引さと、それを受け入れてしまっている私の姿を楽しんでるのだと思うと、流石の私も羞恥の色が滲んでしまう。


「珍しく妹の可愛い一面も見れた事だし、焦らすのもこれくらいかしらね」

「うっさいなぁ……」


 悪態をつくと、何故か嬉しそうにするので私はもう黙る事にした。


「そうねー、まずアンタの認識のズレを正すとしましょう。アタシと楠希ちゃんは実は初対面ではありませーん!」

「えっ……マジ? いやいや接点ないでしょ!?」


 私の先程の誓いは軽々と打ち破られ、思わず口をついてしまう。

「ねー?」と清水に相槌を求める姉の反応だけでは分かりにくく、相槌を求められている清水へ視線を向けると、視線がぶつかり、気まずそうに頷いた。


「ちなみにぃ、お互いの裸も見てまーす! 楠希ちゃんとは裸の付き合いなんだよねー」

「ち、違い、まふ! 小深、ご、誤解だから!」

「あー、分かった。神の湯の時だ」

「知ってたの? なーんだ、つまんな」


 あからさまに口を曲げる姉と、安堵した表情を浮かべる清水の出会いはまぁ分かったけれど……。


「その時に清水が私の友達って知った訳じゃないよね?」


 あの時はまだ、清水とは形だけの友人関係であるトモダチから友達へ変わった頃で、まだ家族に話した事すらなかった。

 清水の名前を初めて口にしたのは、いじめ疑惑を掛けられた時だ。そう考えると、やっぱりこの居酒屋で知り合ったのだろう。


「んー、楠希ちゃんとはここで何度か会ってたけど、アンタの友達の清水ちゃんだって気付いたのはついこの間よ? フルネームを聞いて、あーそういう事! ってなった感じ」

「わ、わたしも……もしかしたらそうかなって思ってて、小深と一緒にお店に入ってきたのを見て、確信した、の」


 だとしても、すごい確率だなとは思う。世間は狭いと言うのは本当みたいだ。


「んふふ、それにぃ〜まだ知らない時から楠希ちゃんの相談に乗った事もあるのよ! それはもう熱烈にアンタの事を――」

「お、お姉さん! 秘密事項、ダメ! 絶対!」


 わー! と清水が騒ぐのを珍しいなと感じながら、清水をじっと見詰める。

 そうすると、頬をゆっくりと紅葉の様に染めてゆき、私をじっと見詰め返してくる。

 あまり私のいない場所であった事を、掘り返すように聞くのも良くないよなぁと思いつつ、清水本人に軽い感じで聞いてみた。


「ちなみに、どんな相談したの?」

「だ、だから内緒!」

「えー、親友になる為には隠し事は良くないんじゃないかなぁ」

「親友……小深は、いじわるだ……」


 意地悪をしている自覚は半分ほどあった。

 でも、もう半分は一体どんな相談をしていたか本当に気になったからだ。

 他人に興味がない私だけれど、実の姉に清水がどんな相談をしていたのか気になるのは仕方の無いことだろう。

 私が頼むと断り切れなかったのか、パフェを置いた清水が、耳元に顔を近付ける。


「小深と、仲良くなる方法」

「んっ……」


 ぼそりと耳打ちされる。

 不意に清水の吐息が耳に触れた事で、仰け反ってしまったけれど、清水的には驚かすとかの考えはなく、姉に聞かれたくないので内緒話のつもりでそうしたんだろう。

 あんまり心臓によくないのでやめてほしい。

 その一連の流れを見ていた姉が、交ざるように口を開いた。

 からかわれると身構えたものの、姉の口から出た言葉は、珍しく純粋な質問だった。


「でもさ、楠希ちゃんって妹と結婚したいんでしょ? 親友なんかになってどうするの?」

「ちょっとお姉ちゃん!? ノンデリ過ぎるから!」


 どうして私がツッコミを入れなきゃいけないのだろうか。大阪人の血が騒ぐからか? いいや、この場で一番気まずいのが私だからだ。

 清水の想いは勿論知っている。けれど、清水はあくまで私とは友達、果てには親友になろうと努力してくれている。

 それなのに私のいない所でその……そういったプライベートな想いを暴く様な発言は、流石に看過出来なかった。

 それに、清水が私と恋人になりたいなんてまた言い出した日には、私はきっと距離を取ってしまうだろう。


「ほら、清水もちゃんと怒らないと! 私達は親友を目指してるんだって」

「アンタには聞いてないんだから黙ってなさいよ」

「お姉ちゃんがモラハラするからでしょ!」


 パフェも食べ終わったし早々に会話を切り上げて逃げたくなる衝動に襲われる。

 でも二人を残す訳にもいかず、もどかしく思っていると、何かを葛藤している様子の清水が立ち上がって私の手を取った。


「小深……わたし、本当はね」


 何を言おうとしているのだろうか。それを口にされたら私は本当に……。

 心臓が波打つようにドクドクと脈を打つ。

 聞いたらいけないと耳を塞ごうにも、片手を清水に握られている。


「あ……ぐっ……うっ」

「……清水?」


 口は開いているのに、声にならない声が上がる。

 常連客達の声に掻き消されている訳ではなく、葛藤がまだ清水の中で続いているようだった。

 清水が何と葛藤しているのか、私は知ってはいけない、心を覗いてはダメなのだと頭の中で警鐘を鳴らし続けている。

 それはもう、答えの知っているテストの様なものだと、薄らと理解していながらも私は見ない振りを続ける。

 手がじんわりと汗をかき始め、逃げずに待っていると、握られていた手が次の瞬間、自由になった。

 それが何を意味するのか、私は知らない。


「小深、あのね……」


 疲れた様に私の顔を見詰める清水は、苦しそうにふにゃりと笑った。


「小深と、一緒に働ける事が、嬉しいの。親友って感じがして」

「そう、なんだ」


 その言葉にほっとし、肩の力が抜ける。きっと酷い事をしたと理解はしている。

 姉の方から舌打ちが聞こえた気がしたけれど、きっと気の所為だろう。


「……ん? 一緒に働ける?」


 安堵したのも束の間、何かおかしな言葉を聞いた気がする。


「清水、えーっと、一緒に働くってなに?」

「えっ、大将が小深が一緒に働いてくれるって……」


 そんな事を言った覚え……いや、めちゃくちゃ身に覚えがあった。

 てきとうに返事をしたあの時だ。


「お、お姉ちゃん、大将って何のお願いを私にしたの?」


 冷や汗を流しながら尋ねると、姉は何かを察したのか「ははーん」もわざとらしく声に出して笑う。


「何って夏にあるフードフェスに出るから手伝ってくれってお願いじゃない」

「ふ、フードフェス?」

「おかしいと思ったのよねぇ。アンタがそんな面倒な事を二つ返事で引き受けるなんて明日は嵐かと思ったけど、変わらず晴れみたいね」


 そんな軽口に、もはや愛想笑いを浮かべる余裕はなく、引き攣った口元を隠しきれない私は、清水の肩に両手で掴んだ。


「申し訳ないけどキャンセルって出来る?」

「えっ……でも、パフェ……」


 ……そうだった、お礼のパフェを有難く頂戴してしまっていた事を思い出す。


「……小深は、わたしと一緒に、働きたくない、の?」

「いや、そういう訳じゃ……」


 ただ単に面倒くさい。クソ暑い中で焼き鳥を焼き続ける姿を想像するだけで気持ちは一瞬にして億劫になる。


「わたし、親友になる為には、必要な事だと思うの」

「そ、そうかな?」

「うん……!」


 心の底で卑怯だと声を大にする。

 先程まであれだけ葛藤していたのにも関わらず、今の清水は私と一緒に働きたいという目的を果たす為に敢えて「親友」という言葉を連呼している気さえしてしまう。


「諦めなさい。アンタの負けよ……色々とね」

「色々って何さ……」


 意味深めいた事を言って満足したのか、姉は伝票を手にし会計へと向かった。

 絶対に嫌だけど、家の外で、それも人前で気を抜いてしまった私に落ち度があるのは確かで、負け犬の遠吠えさながら唸った。

 清水は相変わらず私の目をずっと見詰めていて、「はい」と言うまで帰らせてはくれなさそうな空気だ。


「……はぁ、分かったよ。綺麗なお金も欲しいしね」

「……嬉しい!」


 ぱぁっと朗らかな笑顔を見せられ、清水からもお礼を貰った気になってしまう。

 まぁ今更、あの強面の大将に無理ですなんて言えないしね。

 私の真っ白な夏の予定表にまた一つ、予定が埋まり、その印が夏はまだ始まったばかりだと教えてくれた。

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