第44話
清水と千早による尾行事件からしばらく経ったある日、部屋で暇を満喫しているわたしの部屋に押し入ってきたのは、やはりと言うか姉しかいなかった。
「夕食は食べにいくわよー!」
「……無理、この前はお姉ちゃんのせいで面倒な事になったんだから、この夏はもう言う事効かないから」
早く出ていってと手でしっしと追い払うジェスチャーを取ると、逆効果だったのか姉はドスドスと私の方へと近寄ってきてしまう。
「何言ってんのよ、アンタが友達……えっと清水ちゃんだっけ? その子と逃避行を決め込んだせいで落ち込んだ後輩のメンタルケアすっごく面倒だったんだから!」
「うるさいなぁ、そんなの私に関係ないじゃん……」
姉の思いつきに巻き込まれるのはもうごめんだと、ブランケットを被ると、抵抗虚しく剥ぎ取られてしまう。
私以上に面倒くさがりやの癖に、自分のやりたい事に対しては前のめりな姿勢になるのは何なのだろうか。
ただでさえ顔があまり似ていない姉妹なのに、性格も似ていないとなれば、姉妹と証明できるのはDNA鑑定しかないないと思う。
「さて、今日はお母さんいないし、最近見付けた美味しいお店に行こうと思います!」
「勝手に話進めないで、拒否権を行使します」
「ふーーん、アタシにそんな態度取っていいんだぁ」
何か悪巧みを思い付いたみたいにニヤニヤと気色の悪い表情を浮かべる姉に、面倒な事になりそうだなと経験が語っている。
でも今回の私は一味違う! 高二の貴重な夏休みは寝て過ごすと決めたのだ。
私の固い意思を感じ取ったのか、姉は負けじとベッドにまで踏み込んでくる始末で、スマホに映ったメニュー表を眼前へと突き付ける。
「ほらほら、アンタが好きそうな唐揚げとか焼き鳥もあるわよ?」
「鶏肉が好きなのはお姉ちゃん……って言うか居酒屋じゃん! 絶対ヤダ、酔っ払ったお姉ちゃんの介抱なんて柏木さんにさせてよ」
断固拒否の意思を示すべく、手に取った枕を姉の顔に押し付けてベッドから押し出した。
これだけ拒絶すれば、普段なら文句を言いながら撤退していく姉の筈だけれど、今日の姉は私と同じく一味違うと言わんばかりに部屋から出ようとしなかった。
「可愛い妹を脅迫するような真似、したくなかったんだけどなぁ〜」
露骨に強硬手段を取ろうとする姉に、思わず眉根を顰めてしまう。。
今日のしつこさは一体なんなんだろうか。
まだ清水の方が私の言う事を聞いてくれる事を思うと、夏休みの間は清水の家に入り浸る事も候補に上がってしまう。
あの広い家には清水しかいないし、私が遊びに行ったら飛んで喜ぶんじゃないだろうか。でも清水から注がれる視線で落ち着かない気もするけどね。
そんな様子の清水を想像すると、絵面が面白くて笑いそうになる。
「やだやだ、お姉ちゃんが目の前にいるのに違う事考えてる! もっと姉思いの妹になりなさいな!」
「もぉ、めんどくさいなぁ」
「アンタが諦めたらいいだけでしょ? 言う事聞かないと清水ちゃんに見せちゃうわよ?」
「見せるって何を……?」
「Детские фотографии」
「じぇー? え、何? もしかして最初から脅すつもりでロシア語調べてきたの?」
あまりにも撤退した下準備に姉の執念を感じ、戦慄すら覚えた私は迷いに迷った。
深いため息を吐くと、それを見た姉は承諾の合図と受け取ったようでガハハと笑う。
「おっ、折れたな〜。最初から行くって素直に言っておけばこのやり取りも省略できたのにね〜」
姉と食事にいく面倒臭さよりも、姉と問答を続ける面倒臭さが勝るように仕向ける事が、姉の常套手段の一つなのだから厄介極まりない。
私から譲歩を引き出す辺り、同じ面倒くさがりやだからこそ弱点を知っているわけで、やっぱり姉妹なんだなと天井を仰ぐ。
車のキーを指でクルクルと回す姉に急かされ、仕方なくベッドから立ち上がった。
「ところでさっきのロシア語、なんて意味だったの?」
「あー、あれ? アンタの子供の頃の写真を見せるぞって意味よ」
「ちょっと、デリカシー! ホントにやめてよね」
幼少期の写真なんて見ても面白くないんだからと絶対やめてと、再度念を押しておく。
この姉なら、面白い事になりそうだと思えばやりかねないからだ。
そして、お酒は飲まないと言う姉に車で連れられて来たのは、河内長野駅近くの駐車場だった。
「美味しいお店ってここにあるの? 南館の飲食店はもう行った事あるお店ばっかじゃない?」
少し古びたショッピングセンターであるノバティながのは北館と南館に分かれている。
南館は主に飲食店が固まっているのだけど、その数もお世辞にも多いとは言えなかった。
夕方と言う時間帯も相まって人は少なく、賑わっていると言えるのは客層が豊かなミスドくらいじゃないだろうか。
「アンタもう忘れたの? 今から行くのは居酒屋でしょうが」
「そう言えばそうだった」
興味が無さすぎて記憶の片隅にも残っていなかったみたいと、誤魔化すように笑う。
「あれ、南館に行くんじゃないの?」
エレベーターから降りた姉は、南館から出て真っ直ぐ駅の方へと歩いていく。
顔だけ振り向いた姉は、楽しげに口角を上げてニヤついているだけで、そのまま歩みを進めるので仕方なく追い掛ける。
そして、駅には入らず踏切を渡り、小道へと入っていく姉の後ろを黙って付いていくと、赤い提灯が下がったお店の前で姉の足が止まる。
提灯には大きな文字で焼き鳥と書かれていて、居酒屋というよりも焼き鳥屋の方が正しいのではないかと些細な疑問を浮かべる。
まぁお酒があるのなら、酒飲み的には全部居酒屋にカテゴライズされるのかもしれない。
そんな事をぼんやり思っていると、「大将元気ー?」とまるで常連客のような事を言いながら姉は店内へと入っていく。
よくこんなお店を見付けたものだなと、感心しながら私も続くと、「イラッシャセー!」と大将と思わしきお爺さんが厨房から顔を覗かせた。店だけでなく大将も年季が入っているようだ。
「おう、緒花ちゃん! 今日は良い酒が入ってんだ!」
「いやー大将悪いねー、今日は車だから!」
名前呼び……一体どれだけ来てるんだろうという疑問を浮かべながら、わざとらしく肩を組んでくる姉の腕を引き剥がして、空いている席に腰を下ろした。
「お姉ちゃんの言う最近っていつなの?」
「えっ、一ヶ月くらい?」
「嘘でしょ……じゃあ一ヶ月であんな常連客みたいな顔してるの……」
「時間と人との関係性は比例しないのよ」
「なにそれ、へんなの」
私が呆れた様に言うと、何故か姉はとても嬉しそうに笑顔になる。罵倒される趣味にでも目覚めたのだろうか……。
姉の性癖を垣間見てしまったのではないかと頭を抱えそうになったが、姉の視線は私に向けられているようではなかった。
「はぁい、おかっぱちゃん」
「ど、ども……ぉひや、です」
お店に入った時にはいなかった店員が水を持って来る。
どうやら姉は店員とも顔見知りなんだ。と思ったのだけど……。
水を持ってきた店員は、どうしてかおぼんで顔を隠していた。
「えぇ……」
異様な光景に思わず声が漏れてしまう。
というか、器用に片手でコップを二つ持っているのは地味にすごい。
机に水を置いた店員は極度の恥ずかしがり屋なのか、そそくさと厨房へ戻ろうと回れ右をする。それに伴っておぼんの位置も、私から顔が見えないようにしっかり動いていて、やっぱり異様さが際立っている。
「お姉ちゃん、ここ変なお店じゃないよね?」
「んふふ、どうかしらね〜」
「最悪だ、お姉ちゃんがご飯に行こうって誘った時点でおかしいと思ったんだよ……」
やけに楽しそうな姉の表情がその証拠だ。
焼き鳥屋と提灯には書かれていたけど、もしゲテモノ料理が出てきたら走って逃げよう。そう覚悟を決めると、姉が注文をするべく店員を呼ぶ。
店内に店員はさっきの変な人しかいないらしく、またおぼんで顔を隠しながら厨房から出てくる。
「アンタ何が食べたい?」
軽くメニュー表に目を通してみたけれど、どうやらゲテモノ料理の記載はなく少しだけ安堵する。
「んー、なんでもいいや。お姉ちゃんに任せる」
「任せるって言葉が一番困るのよねぇ、お酒があるならおまかせでもいいんだけど……」
姉曰く、食事目的と酒目的では頼むものは全く異なるとの事らしい。
食事にそこまで重きを置いていない私からすれば、美味しければ何でもいいんだけどなと、視線だけを店員へと向ける。
顔は隠しているけれど、よく見るとかなり背がかなり低いようだった。清水の身長もこれくらいじゃなかったかな?
「じゃあ、焼き鳥丼とサラダを二つずつ、からあげは一つで」
「ぁ、はぃ」
声ちっさ! 何を言ってるか聞き取れず、やっぱり変な店員だと姉へ目を向ける。
「おかっぱちゃーん、声ちっちゃくなーい?」
「ちょ、お姉ちゃん失礼……というか、この手の人は変に刺激したらダメだって」
「えー、そういう事を言う方が失礼だと思いまーす!」
「何かムカつく……」
まぁ、姉の言う事も間違っていないので、私もこれ以上この話題を広げる事をやめ口を噤む。
姉は相変わらず気色の悪い笑顔を讃えているだけなので、手持ち無沙汰な私は店内を眺める。
そこまで広くない店内には、常連客っぽい風貌のお客さんが何人か楽しそうにお酒を飲んでいる。
飲みたいとは思わないけど、私も飲める年齢になったらお酒を飲む事になるのだろうか? うーん、別に飲みたいとは思わないなぁ。
「楠希ちゃーん、生おかわりー!」
そんな事をぼんやり考えていた時、常連客っぽい一人が厨房に向かってそう叫んだ。
「楠希……」
清水の名前も楠希だった筈だ。あれ、そう言えば清水ってどこでバイトしてるか聞いた事なかったな。
私は考えるのをやめて顔を上げる。
ビールジョッキを持ちながら、顔をおぼんで隠す店員を凝視する。
「やっぱり……」
店内を動く時の店員が持っているおぼんは、わたし達の方を向いていた。厳密に言うとわたしの方を向いている。
つまり、顔を見られたら困るのはわたしと自白しているようなものだった。
そう考えると、点と点が繋がり、姉の目的をようやく理解する。
「お姉ちゃんさぁ……」
「あちゃー、流石に気付いちゃった?」
テヘペロ、と舌を出す姉にはもう少し年相応の行動を取ってほしいと思うけれど、それよりもどうして姉が清水のバイト先を知っているのかの方が気になった。
とはいえ、店員が清水だと分かると、姉の気持ちが分かるように私も少し悪戯心が疼いてしまう。
やっぱり私と姉は姉妹で間違いないようだった。
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