第41話
わたしと汐ノ宮は、キューズモール内を駆け回っていた。
「すみません……怒りのあまり我を忘れてしまいました」
「……そう、なんだ」
そう言われてしまうと、わたし自身にも身に覚えがあるので何も言えなくなってしまう。
「まだ時間が経っていないのでキューズモール内にいるとは思うのですが……」
そうは言うものの、二人が最初から外に向かっていたとしたら、既にキューズモール内をどれだけ探しても小深を見つける事はできない。
「手分けして探そ、わたしは外を見てみる」
「そうですね、では私はまだ探していない所を探してみます」
別れてすぐ、アパレルショップの一番近くの入口から出て辺りを見渡す。
集合場所をここにしたのなら、地下鉄で移動する線はないだろうと歩道まで出る。
大阪に引っ越してきて一年以上経つものの、学校とバイト以外では家から出る必要がなかったのでこの辺りの知識は何一つない。
せめてデート……もといお出かけスポットみたいなものを知っていれば当たりをつけられたかもしれないのにと、遅過ぎる後悔の念に駆られる。
「小深、どこにいるの……」
あてもなく駆けずり回ったものの、結果を得れず、途方に暮れていると、前の方から高校生と思われる騒がしい集団が歩いてくる。
普段なら気にも止めないのだが、彼らが声を大にして話している内容が気になった。
「さっきの子めっちゃ美人だったよなー」
「わかるわ〜! 彼氏がいなきゃ俺が声掛けてた」
「バーカ、お前なんかが相手にされる訳ないだろ!」
足を止めたわたしの隣を、一瞥もする事なく通り過ぎる男子達。
対してわたしは彼らを目で追ってしまう。
こんな広い街に、美人で彼氏持ちの人間はどれほどいるのか想像もつかない。
でも、可愛いではなく美人と評する人間像は小深と一致し、たったそれだけの要素は、藁にでも縋る思いのわたしには十分過ぎる情報だった。
「あの、詳しく話を聞かせてください……!」
突然話し掛けたにも関わらず、男子達は快くその場所を丁寧に教えてくれた。
別れ際に電話番号とSNSのコードが描かれた紙を五枚も渡されてしまったけれど、小深に関するかもしれない情報を親切に教えてもらった手前、それを無下に断る事はできなかった。
男子達の情報を信じて向かった先は、入口に「てんのうじどうぶつえん」と平仮名で書かれた動物園で、夏休みという事もあって家族連れやカップルで行列ができていた。
「いたっ!」
その行列の中程に小深の姿を見付け、思わず肩の力が抜ける。
これで見つからなかったら最悪、電話をかけてでも居場所を聞く事も考えていたので、そうならなくて本当に良かったと胸を撫で下ろす。
入場する為には同じようにここに並ばなくてはいけず、長蛇の列に反し十分ほどでチケットを購入する事が出来た。
既に動物園の中に入っていった二人追うように入園すると、歩くのも困難な程に人が密集している。
背の低いわたしはまともに歩行するのも困難で、もみくちゃにされながら、なんとか人の雪崩を抜け出し、息をつく。
「こ、これじゃ小深を探すなんて無理……」
ここまで人が密集している理由は、どうやら園内で工事をしているらしく、三分の一程の動物が見れないのだと同じく避難している人達の声がそう教えてくれる。
だから一つの檻の前で長時間居座る人が多く、こうして回転率が悪くなっているようだった。
「動物園じゃなくて水族館にして正解だったかも」
実は動物園も小深とのデートをするにあたっての候補地の一つだった。
ただ屋外という事もあって、小深はきっと嫌だろうなと思って候補地から外した訳だけど、正解だったみたいだ。
今日も相変わらず陽射しが強く、小深は楽しめていないのではないだろうか。
そして、ふと思う。もしかしたら小深は屋内にいるのではないだろうか。
暑いのが嫌いな小深の事だ、動物を見るよりも避暑地を求めている姿が容易に想像できた。
ただ、小深は優しいから相手に合わせて、無理をして付き合うという可能性も無視しきれないけど。
園内マップを見る限り、屋内施設は多くはないのですぐに見つかるかもと淡い希望を見た。
「いない……」
しかし、屋内施設をくまなく見て回ったけれど小深を見付ける事が出来なかった。
入れ違いになった可能性はあるものの、工事中のおかげもあって三十分ほどで屋内を全て回ったのだから、園内には絶対に居るはずだと自分を鼓舞する。
それにしても、動物園に来ているのに動物をまともに見ていないのはわたしくらいだと、周囲の人達を見て思う。
羨ましいという感情はないけれど、小深と見て回れたらときっと興味のない動物でも可愛く見えるんだろうな。
そんな事を考えていた時、スマホが震える。
もしかすると小深かもと思い、画面を見ると汐ノ宮の文字が表示されていた。
「あっ、忘れてた」
合流してもまた暴走されては困る。そう思って出るか迷い、五コール目にして電話に出る事を決める。
迷惑を被るよりも、小深を見つけられない方が困ると判断したからだ。
スマホを耳にかざすと、電話口から情けない声が私の耳に届いた。
『見つかりませんでした……私のせいで小深に何かあったら……』
そう嘆く汐ノ宮に、わたしは朗報を伝える。
「小深いたよ。また見失ったけど、天王寺動物園にいる」
『本当ですか!? お手柄です、今すぐ向かいますね!』
そう言って電話を切ろうとする気配を感じ、「まって」と呟いた。
別に汐ノ宮と話したい訳ではない。彼女を引き止めた理由は小深について少し聞きたい事があったからだった。
「小深の好きな動物ってなに?」
わたしがまだ知らない小深の数ある好きの一つを、気に食わない相手に聞いてしまう。
本当は本人の口から直接聞きたかったけれど、少しでも小深を見付ける事のできる可能性があるのなら、今は選り好みしている場合ではないと自分に言い聞かせた。
『猫は好きだった筈ですよ』
「猫……動物園にいそうなのは?」
『あぁ、そういう。そうですね……確か中学生の頃にペンギン図鑑を読んでいた事がありましたが、好きかどうかは――』
「わかった」
引き止めたにも関わらず、わたしは最後まで話を聞かず一方的に通話を切った。
ペンギン、水族館で小深が雑学を披露してくれた事を思い出す。
小深を探すのに夢中で気付かなかったけど、この動物園には確かペンギンがいた筈だ。
幸い、中央広場にいた事もあり、走って工事中のエリアを抜けると、目と鼻の先にペンギンエリアが広がっていた。
「複雑……」
すると、呆気なく小深を見付けてしまった。
汐ノ宮の助言のおかげなのは癪だけど、今は素直に喜ぶ……のはまだ無理そうだ。
小深が興味深そうにペンギンを見ている隣では、そんな小深を見つめる姿があった。
タイミングが良いのか悪いのか、周りには人が少なく、一本道故に近付くとすぐバレてしまうので後方から覗くしかなかった。
そこから見える隣の男性は、ペンギンではなく小深を見ているのだとハッキリ見て取れる。
「わたしの、なのに……」
片足が前に出る。けれど次の一歩が出なかった。
尾行しているのだから正しい判断には違わないのに、今日は全ての行動を間違えている気がしてならない。
もしもの話には何の意味もない。それはお父さんが死んだあの日からずっと悩んで至った答え。
それをわたしが一番分かっている筈なのに、頭の中には「もしも」がいくつも浮かんでくる。
もしも、あの男の人の事を直接問いただしていれば。
もしも、デートになんか行かないで! と我儘を言っていれば。
もしも、小深の隣にいるのが……わたしだったら。
悲しい妄想はどこまでいっても妄想でしかなく、見詰める先の光景が現実であり、思わず目を伏せてしまう。
もしも、小深がわたしよりもあの人を優先してしまったら。
確かめなくてはいけない。そう思ってしまったわたしはスマホを取り出していた。
『いま、なにしてますか?』
簡素な質問。送信ボタンを押すすんでのところで、指の勢いが止まる。
新たに浮かぶ万が一、もしも小深がわたしに嘘をついたら。
ありえないと信じたいけど、それを目の当たりにしてしまったら、わたしはまた逃げてしまう。
小深を信じきれない弱いわたしは、祈るようにスマホを握りしめて送信ボタンを、押した。
ぎゅっと固く閉ざした瞼は、辛い現実から目を逸らす行為であり、心を守る為の悪足掻きでもあった。
もしメールの返信がきたら、嘘偽りのない内容だったら、わたしはきっと勇気を貰えると信じて待つ。
一分が経ち、二分三分と刻が過ぎていく。
体感ではもう何十年と経っていてもおかしくないと思える程で、時間の経過が進めば進むほど心が冷えていく感覚があった。
それでも、観覧車で何でもすると自分自身に誓ったあの覚悟を、わたしの決心をもう一度奮い立たせる為に願い続けるしか、今のわたしに出来ることは思い付かない。
するとブルル、とスマホが震える。
初めは自分の手の震えが酷くなったのかと思ったけれど、すぐに違う事に気が付き、文鎮のように重かった瞼が嘘みたいに勢いよく開いた。
いつ見ても気持ちが高揚する名前がスマホに表示され、一呼吸置きメールを開いた。
『ペンギン見てる〜』
そんな文面と共に、ペンギンが映った写真が添付されていた。
小深に教えてもらった事は全て覚えている。だからこのペンギンが、フンボルトペンギンだという事も知っている。
「やっぱりペンギンの事、好きなんだ」
偽りの無い文章を目にして、思わず頬がうわずってしまう。
そうだ、わたしは何を怖がっていんだろう。
小深に怒られる事? 小深が誰かのものになる事?
どれも間違っていない。小深からの向けられる負の感情はなんだって怖い。
でも、それでも、小深にはわたしだけを見てほしい。これまでそうだったように、これからもそうであるように、わたしは彼女の一番であり続ける為に頑張るしかないんだ……!
片足を前へ進める。
同じようにもう片足を前へ。
大丈夫、わたしはもう進める。そう思った瞬間、わたしは一筋の光を目指して駆け出していた。
「小深……!」
「えっ、し、清水!?」
彼女の手首を掴むと、驚いたように振り返った小深がわたしの顔を見て更に驚く素振りを見せる。
当然の反応だ。口を半開きにした小深のその目にはわたしがここにいる説明を求められている気がしたけれど、それを無視して走り出す。
背後から小深ではない誰かの制止の声が聞こえた気がするけど、もう関係ない。
わたしは彼女を連れ去った。いや、連れ帰ったのだ。
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