第37話

「ででで、デートですか!?」


目を見開いた千早が机越しに私に詰め寄る。


「お、お相手はッ!」

「この人だけど……」


息を荒くした千早が少し怖くて、私は言われるがまま姉から送られてきた写真を千早に見せた。

スマホには金髪のセンター分けにしたマッシュヘアにサングラスをかけた如何にもな大学生風の人物の姿が映し出されていた。


「こ、これは……ッ! い、いけません! こんなチャラチャラした不真面目を体現した様な相手、私が認めません! 小深、今すぐ断ってください!」

「断りたくてもお姉ちゃんの命令ってほぼ強制だし……」


私も面倒だし断れるならそうしたい。でも姉が迷惑かけまくってる後輩の人だし、酔った姉を送りに来てくれた時には玄関で軽く喋ったりするので、知らない間柄でもなかった。


「緒花さんはどこですか! 私が話をつけます」


眉を上げた千早は、怒り心頭といった様相でそう言ってくれるものの、それを察していたのか姉は既に逃亡済みな事を伝える。


「くぅぅッ、許せません。小深をこんな悪鬼の元へ送ろうだなんてッ!」

「まぁまぁ、この人……名前は忘れたけど結構いい人――」

「まさか小深ッ! こ、こんな頭の悪そうな方が好みなのですか!?」

「違うけど……と言うか近い……」


ぐいぐいと顔を寄せる千早を押し退け、私は別の意味で面倒になったなと心の中でため息を吐く。

ブツブツと小声で何か言っている千早が今にも暴走しそうな雰囲気を感じて私は、何か話題はないかと思考をめぐらせ、ふと頭の隅に根付いていた言葉が口を衝いていた。


「キスした事って――」

「キス!? こ、この方とそんなッ! ゆ、許しませんよ!」

「いや、そうじゃなくて……千早ってキスした事あるのかなって気になっただけなんだけど」


落ち着きを失った千早がこんなに面倒な事になってしまうとは、幼馴染でも知らない事って沢山あるんだな。

唯華の妹の件もそうだし、私が単に人に興味がないだけなのかもしれないけど。


「そ、そうですか……私は経験がありませんけど、どうしてそんな質問を?」

「いや、特に理由はないけど」


気になっただけ、と返すが千早は目を細めて疑いの眼差しを私に向ける。


「もしかして……キスしたんですか?」

「してないよ」


こんな質問をしたんだから、その返しも織り込み済みだ。平然を装ってノーの言葉を突き付ける。


「そう、ですね……確かに小深にそんな相手がいるとは思えません。それに目下、貞操の危機のある問題が目の前にあるのですから、どう対処すべきかですね」

「貞操の危機って……まぁ面倒だけど、良い人だし貞操もなにも――」

「甘い! グラブジャムンの様に甘いです! 世の大学生という生き物は狼で、優しそうな面の下では凶暴な牙を隠し持っているのですよ!」

「偏見だなぁ……」


ずっと私の言葉に被せるように声を荒らげる千早に、私は諦めて話す事を放棄した。


「小深はまず自分がどれほど美しく可憐なのかと言う事をですね……」


ネチネチと私の良さを語る言葉をただ聞くだけの人形と化した私は、幼馴染思いの千早が飽きるまで死んだ魚のような目を浮かべるしかなかった。


「あぁ〜〜沁みる〜〜」


お風呂の沸いた音声が鳴った事で、我に返った千早は、「私に任せてください!」と吐き捨てて帰ってしまった。


「と言うか、何しに来たんだろ……」


デートの話題になってからは千早のペースに呑まれて聞けなかったけど、千早が我が家に来た理由は依然として分からなかった。


「まぁいっか」


考えたって分からない事は分からないのだ。

今はこうして、お風呂に浸かって日々の疲れを取る事に注力する事にした。


ーーーーーー


私は小学生の頃から小深菊水の事をずっと見守り続けてきた。

初めて彼女を意識したのは、同じクラスになった小学二年生の時。

幼子ながら、自身の容姿に絶対的な自信を抱いており、だからこそ初めて小深を目にした時、こんなに可愛い人がいるんだと己の自惚れを恥じた事が始まりでした。

将来、絶対に美人になる運命にある彼女にコンタクトを取ると、小深もまた自身の容姿に絶対の自信を持った少女なのだとすぐに理解する事になります。

今とは違い自分の美を声高らかにする性格で、数多の告白を振っているのは今と変わりませんが、一つ違うとすれば、それは自惚れの強度でしょうか。

だから彼女は心を閉ざす事になってしまった。

私がもっと真摯に向き合っていれば防げていたかもしれない彼女の心の傷は、今も尚消えずに残っている。

人との繋がりを避け、孤独であろうとする彼女に出来る償いは、彼女の傍らにいて笑顔を絶やさない事。

だから、今にも消えそうな小深の背中に不安を感じて緒花さんに連絡を取り、彼女の進学先を突き止める事ができた。

小中高一貫校から違う学校に進学するなんて思いもよらなかった私は、更に彼女の動向を注視するようになった。

高校でも良い友人ができ、小深の顔があの頃よりも生き生きとしていた。付かず離れずの浅い関係は小深も心地良いと思っていた。そう感じたから高校生活はずっとこれでいいと――高を括ってしまった。


「私はずっと間違えてばかり……」


二年に進級して、春の終わり頃から違和感を覚え始めた。

それは僅かな、しかし確実な変化だった。

理由が何か分からない事で不安に駆られた私は、少し踏み込んでしまった。

過去の繋がりで、運命という言葉で彼女に私の存在を意識させた。

彼女の事をよく知っているからこそ、そんな事は無駄だと分かっていても私もいう存在を見てほしい衝動に抗えなかった。

結局、その原因があの騒動によって、清水楠希という異分子が関わっていた事を知った。

彼女が小深の隣にいる事が当たり前だと自惚れた態度が嫌いだった。

けれど小深の口から友達だと言われたら、排除する訳にもいかず、私は傍観者となってしまった。

そうして日に日に、私以外の要因で変わっていく彼女を目にするのが、とても辛かった。

それでも清水楠希を許せていたのは、小深のさを信じての事だった。

彼女は誰も選ばない。いや、選べない。

清水楠希も選ばれない。そう、私も……。

だから、小深との楽しい夏の思い出を作る為に、清水楠希と手を組んだ。

それが正しい選択なのかは分からなかったけれど、今は自信を持って正しかったと言える。

私はスマホの電話帳から彼女のスマホへコールを鳴らす。


「もしもし、清水さんですか? 私、汐ノ宮千早です」


電話の相手は、協力者である清水楠希。

今日はある確認をしに小深の家へ尋ねたのだけど、男とデートする事は彼女と手を組んでいなければ知る事が出来なかった。


「小深の危機です。私と一緒に彼女を助ける気はありませんか?」


あの画像に映った軽薄そうな不埒な男の魔の手から小深を守らなければならない。

どんな事があっても、私だけは貴女の隣で支え続けると決めているのだから。

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