第34話

「ほんっっとうに、ごめん!」


 事情を説明すると、唯華は深々と頭を下げ、私を困惑させる。

 友達のガチ謝罪って反応に困るんだよなぁ。


「ねーちゃん、キチィちゃんの筆箱ほしい!」

「バカ、あんたも謝んのよ!」

「ご、ごめんなさぃ」


 自分のせいで姉が謝罪していると言うのに、ものともせず欲しいものを強請る唯華妹こと、結愛ゆあも唯華に頭を掴まれて強制的に頭を下げさせられている。


「まぁまぁ、ほら、何事も無かったんだからさ。ところで唯華達も遊びに来てたんだね」


 こんな道のど真ん中で目立つのも嫌なので、早々に話を打ち切り話題を変える。


「妹達が好きなアニメのキャラクターショーが見たいって泣き付くから仕方なくよ」

「妹達って、その子以外にも妹いたんだ。と言うか姉妹がいた事も初耳なんだけど」


 一年の頃からの付き合いなのに、唯華から妹の話なんて聞いたことが無い。

 まぁお姉さん風吹かしてるとは感じてたけど、本当にお姉さんだったとは。


「隠してた訳じゃないのよ。ただ、敢えて妹の話する必要ってないじゃない? ただそれだけの事よ!」

「な、なるほど」

「嘘だー! ねーちゃん結愛達の事、好きな癖に〜今日だってバイトがお休みだから連れて来てくれたんだよ!」

「ちょッ!? 余計な事言うんじゃないわよ!」


 結愛は怒ったようにツインテールをぶんぶんと振り回している。

 結愛がおさげを振り回していたのは、姉からの影響なのか……。

 それに、もう一つ気になった事があった。


「唯華ってバイトもしてたの?」

「えっ、そ、それは〜なんというか……」

「あれだけ金欠金欠って言ってたのにちゃっかりしてますね〜」


 からかうように唯華を肘でつつくと、結愛が間に入って、私の体を押す。


「ねーちゃんは、家の為にバイトしてるんだよ! だからお金ないのは本当だもん!」

「えっ、あー、そうなんだ……」

「ぼしかてーっ言うの! かーちゃんも家にいないし、ねーちゃんが家の事なんでもしてくれンンッ!」


 自慢げに語る結愛の口を塞いだ唯華は、気まずそうに、顔を背けてしまう。


「……聞かなかった事にした方がいい?」


 友人の知らない側面どころか、本当に何も知らなかった事に少しばかり気まずくなってしまう。

 暫しの沈黙の後、諦めた様にため息を吐いた唯華は、気恥ずかしそうに口を開いた。


「中途半端に知られてるより、全部聞いてもらった方が変に気を使われなくて済むわよね」

「まぁ、たぶん?」


 聞かされても困るんだけどな……一応、曖昧に返事をすると、少し嬉しそうに唯華は笑う。


「やっぱり、小深の人にあんまり興味がなさそうな所って、あたし好きよ」

「あはは、どうも」


 褒められてる気がしないけれど、とりあえず笑っておく。


「じゃあちょっと待ってて、この子、もいっこ下の妹に預けてくるから!」


 妹を抱えてフードコートの方へ走って行った事を確認してから、やっと息をつく事が出来た。

 とは言え、これから唯華の話を聞く流れになってしまい、恐る恐る清水のいる背後へ視線向ける。


「……あれ」


 振り返った先には、誰もいなかった。


「お手洗い……かな?」


 そんな訳がなかった。清水が私に黙って付いて来る事はあっても、黙っていなくなるなんて考えられなかった。

 となると、清水が意図的に私の元から離れたと言う事になる。

 原因は恐らく、予定通りにスケジュールを巡れなくなったから。もしくは敵視している唯華が現れたからのどちらかだと……思う。


「恋人繋ぎじゃ、ご機嫌取りにもならなかったかぁ」


 スマホを取り出し、清水にどこにいるかメールを送ると、直ぐに返信が帰ってきて安堵した――のも束の間、開いたメールを目にして私は顔を顰めてしまう。


『先に帰ります。ごめんなさい』


 直後、慌てて私は走り出した。

 清水が姿を消してから五分も経っていないと予測しての事だ。

 帰るとなると恐らくバスだと目星を付けて、正面入口から出てバス停に直行する。


「まじか……」


 私と入れ替わる様に、大阪港駅行きのバスが走り去ってしまった所だった。

 それに運悪く、青信号に変わったばかりで、バスはスピードを遅めるどころかスピードを増していく。

 走りの遅い私じゃどう足掻いても追いつける訳がない。


「……はぁ、もういっか」


 夕方になっても陽射しは健在で、少し走っただけの私の額には汗が薄ら滲んでいる。

 ここから駅まで走るなんて選択肢はもう私にはなく、湧き上がるような「面倒くさい」という感情が私のやる気を全て奪っていった。


『ごめんね』


 たった四文字の謝罪文を送り、スマホをカバンの奥へとしまい込んだ。


 ーーーーーー


「どこ行ってたのよ、探したんですけど」


 元いた場所に戻ると、プリプリした唯華が仁王立ちして私を睨んでいる。


「あー、ちょっと野暮用があって」

「野暮用って……あれ、清水はどこ行ったの?」


 そんな質問に苦笑で返すと、途端に唯華は申し訳なさそうに眉を落とした。


「もしかなくても、あたしのせいよね……」

「私と清水の問題だから唯華が気にする事じゃないよ」

「そんな訳にもいかないでしょ、二人で遊んでる所に妹が邪魔したなら、清水が怒る気持ちも分かるもの」


 しおらしくツインテールの先を弄る唯華は、珍しく私の顔色を窺っている気がする。


「……その、前から仲が良いなって思う時があったけど、その二人ってもしかして――」

「付き合ってない! ただの友達だから!」


 強めに否定しておく。と言うか二人で遊んでるだけで恋人認定されるのは恋愛脳にも程がある。


「そうなんだ……ふーん、出不精の小深がこんなに暑い日でも遊んでくれる友達思いな人なら、あたしももっとアプローチしちゃおうかしら」

「か、勘弁してください……」


 夏休みに毎日遊ぶ想像をするだけでゾッとした私は、すぐに降参だと手を上げる。

 フードコートに移動した私達は、アイスを購入して空いている席に腰を下ろした。


「妹は?」

「上の子が中学生だから下の子達と好きに回らせてる」

「下の子達……」


 私の反応を見た唯華は、ソフトクリームをひと舐めし、「四人姉妹よ」と素っ気なく答える。

 聞きたい事はあるけれど、それは私達の暗黙の了解を破る様で、私からは何も言えず、ただ冷たいアイスクリームを舐めるしかできない。

 フードコートの喧騒を耳にしながら、妙な沈黙が暫く続き、ため息と共に口火を切ったのは唯華の方だった。


「聞いたと思うけどあたしの家、母子家庭なの。あの子達は勘違いしてるみたいだけど、別にすごく貧乏って訳じゃないの。まぁバイト代の半分以上は家に入れてるから強ち嘘でもないんだけどね」


 目を伏せたまま唯華は、「でもね」と続ける。


「去年の夏におばあちゃんが入院しちゃって、それから足の調子が良くないの。介護って嫌よね、大好きだったおばあちゃんなのに、呼ばれる度に鬱陶しく感じちゃうし、そんな思いを妹達にさせられないしで……。小深達のグループにいるのも目の保養もあるけど、頻繁に遊ばないからお財布的にも丁度良いなって」

「そうなんだ」

「そうなんだって……心配とかしないの?」

「心配してほしい訳じゃないから私達に言わなかったんじゃないの?」


 本当に心配していないと言うと嘘になる。

 普段の唯華とは思えない自虐的な表情に、軽く踏み入ってはいけない問題なのだと理解していたから、私は一歩後ろで俯瞰的に物事を見る。


「……ふふっ、やっぱり小深って面白いわね。今まで大丈夫? とか頑張って! とか当たり障りのない言葉で心配する素振りだけの薄っぺらい人ばっかだったのに」

「私も薄っぺらい人間ではあるけどね」

「嘘、小深は自分では気付いてないかもしれないけど、結構お人好しだと思うわよ」

「そんな自覚はないけどね」


 お人好し、私はそこまで優しい人間ではない。

 優しくはあると自負はしているものの、自他共に認める淡白さは少なからず持ち合わせている自覚があった。

 うまく生きる為の処世術である、八方美人でそう見えているだけに過ぎない。


「一つ。いや、二つか。聞いてもいい?」

「良いわよ。この話は今日で終わりだから、今のうちに全部聞いておかないと後悔しちゃうかもよ」

「別にそこまで興味がある訳じゃないけどね」


 愛想笑いを浮かべ、私は改めて言葉を発する。


「去年の夏って事はさ、唯華が服を買い過ぎたって言うのは?」

「勿論、嘘よ。あの時は大変だったから、お金とかお金とかお金がね」


 やっぱり、お金が一番の問題らしい。

 何かを思い出しているのか遠い目をする唯華に、次の質問を投げかける。


「実はこれが一番気になってるんどけど、何のバイトしてるの?」

「あー、やっぱり聞いちゃうわよね」

「そりゃあもう」


 早くと急かすと、唯華はジト目になり唇を尖らせる。


「遊びに来ないって約束するなら教えてあげる」

「仰せのままに」

「ふふっ、なによそれ」


 ツボに入ったのかクスクスと笑い出す唯華の表情にホッとする。


「あー、おかしっ。まぁいいわ、教えてあげる、あたしのバイト先はミスドよ!」

「ミスドってもしかしてあそこの?」

「そうよ、従業員割引で安く買えるのも金欠女子的には嬉しい特典よね」


 だからドーナツ事情に妙に詳しかったのかと納得がいった。

 それにしても、遊びには行かなくとも、ドーナツを食べに行くのはセーフなのだろうか。

 そんな軽口を最後に叩こうかと思ったけれど、唯華は溶けたアイスが机に流れ落ちるのをじっと見詰めながら、今日一番か細い声で私に問い掛ける。


「この話、みんなには内緒にしてね」

「……仰せのままに」


 気を使われたくない。そんな気持ちがありありと伝わってきた事で私は、私達の居心地の良い関係を守るために、私はいつもと変わらず、冗談っぽく言葉を返した。


「それじゃあ、そろそろあたし達は帰るけど、小深も一緒に帰る?」


 唯華妹達と合流した唯華は、迷惑かけるかもよと小声で私にそう告げる。


「おー、ねーちゃんの友達めっちゃ美人やん!」

「結愛の言った通りでしょ! でも良いのは顔だけっぽい」

「こら! 結愛は迷惑かけたんだから反省しなきゃでしょ。すみません、えっと……」

「小深だよ」

「小深さん、妹がお世話になりました。今後とも姉と仲良くしてあげてください」


 小学生女児二人と、しっかりした中学生、そして唯華が並ぶと、確かに姉妹って感じがした。

 私はあまり姉と似ていないけど、姉妹とはこうあるべきだ! みたいな血の出方がしている気がする。


「おねーちゃん、さっきの恋人は?」

「恋人!? 小深、やっぱり清水と……」

「違うから! 誤解だから!」


 否定してもまた変な誤解が生まれた事に辟易しそうになる。


「清水……さっきのおねーちゃんは帰っちゃったんだ」


 優しい私は、小学生女児を虐める趣味はないので、君せいで清水が怒って帰ったんだよ! とは言わずオブラートに包んで伝える。

 すると、結愛は不思議そうに首を傾げた。


「なんで? さっきいたよ?」

「いたって……清水が!?」


 思わず結愛に目線を合わせるようにしゃがみ、詳しく事情を聞いてみる。


「ついさっき? 観覧車のところで並んでたよ?」

「あー、結愛が言ってたこけしのおねーさんってあれやってんな」


 こけしのお姉さんとは清水の事なのだろう。

 じゃあメールの帰るとは一体何だったんだろうか。


「小深、あたしが言うのもアレだけど、清水と仲直りできるならした方がいいわよ」


 唯華の言葉に背中を押されて、私は立ち上がる。


「なんて言ったらいいと思う?」

「素直に謝りなさいよ!」

「ですよね」


 苦笑気味に笑い、私は観覧車乗り場に向かって走り出した。


 ーーーーーー


 小深の遠ざかる背中が見えなくなるまで立ち尽くしていると、背後から妹達の会話が聞こえてくる。


「……ねーちゃん、なんか寂しそう」

「あほ! 友達と偶然会ったんやからねーちゃんやって遊びたいに決まってるやろ」

「そっか、ねーちゃん友達少ないもんね」


 心配されているのか、軽んじられているのかどちらとも取れる言葉に、あたしは笑って振り返る。


「ほら、帰るわよ。帰ったら夏休みの宿題する約束守りなさいよね!」

「ギャー! 寂しそうなんて嘘やん!」

「夏休みの宿題いやー」


 キャハハと逃げ惑う妹達をよそ目に、上の妹の里子さとこが心配そうに私の服の袖を摘んでいた。


「姉さん、良いんですか?」

「良いって、何が?」

「姉さんが高校に入ってから楽しそうに話してくれる変な人ってもしかして……」

「違うわ。あれは……思春期真っ盛りなただのお人好しよ」


 里子の言葉を遮る様にあたしは二人の妹を追い掛ける。

 あーあ、今日はついてないわね。小深には家の事がバレちゃうし、里子には変に勘ぐられちゃった。

 変な人、それは小深で間違ってはいない。

 けれど、里子が言いたい事は言葉にしなくても理解しているつもりだ。

 互いに踏み込まず、心地の良い関係を築けているのは小深のおかげだと、あたしは思っている。

 汐ノ宮も小塩も、本来はもっと相手の事を知りたくて仕方のない部類の人間なのに、踏み入れさせない様な空気を作ったのは、間違いなく小深の存在があってこそだ。

 そんな小深にあたしは感謝している。だから――


「あんな小深を見ちゃったら、として応援するしかないじゃない」


 清水の事は好きになれないけど、あたしは大切な友人の仲直りを、切に願うのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る