第27話

 七月三週目の金曜日。それは夏休み前、最後の登校日だった。

 千早達の協力もあり、なんとか期末テストを乗り切る事のできた私は、明日から始まる夏休みに思いを馳せていた。


「昼まで寝てても怒られない生活が、明日から一ヶ月半も許されるのかぁ」

「相変わらずですね小深は。私達との約束、忘れてませんよね?」

「覚えてるよ。あれでしょ、クリームソーダ巡り」

「はい。後は海やプール等も、行けたらいいのですけど」


 チラチラとわざとらしく、私の顔を見る千早に私は首を振る。もちろん横にだ。


「行かないよ」

「どうしてもですか?」

「どうしても。猛暑の中、陽射しに焼かれながら、ナンパを断り続ける羽目になるのが目に見えてる」


 実際、中学三年の修学旅行で白浜に行った時には、十人以上からナンパをされた事がある。

 それは千早も同じで、当時の事を思い出したのか苦い顔をする。


「仕方ありません。小深の水着姿は諦めるとしましょう」


 珍しく、一番しつこい千早が早々に折れた事で、観衆から非難の声が上がる。


「汐ノ宮が諦めたらダメでしょうが!」

「そうだそうだ〜高二の夏は一生に一度だぞ〜」

「小深! 夏の思い出作るわよ!」

「レッツ、サマーバケーション〜」


 今日を逃すと私を捕まえるのが困難だと判断した二人は、やけに高めのテンションで夏のイベントに勧誘してくる。


「小深、来年は受験です。きっと受験勉強が忙しくて夏休みの思い出なんて、何も残らないと断言します。だったらいつ遊ぶのですか?」

「それは〜」

「今でしょ!」

「このテンション面倒だなぁ」


 千早も前言撤回と言わんばかりに、珍しく悪ノリに加わって来る。そこまでして、夏の思い出を作りたいのだろうか……?


「そうだ、喉乾いたから何か買ってくるね」


 三つの非難の声を無視し、振り切る様に教室から逃げ出す。念の為に後ろを振り返り、追い掛けてこない事に安堵した。

 ここ最近、あの三人からの距離感が少し縮まってきている気がしている。

 踏み込んでこないという点には変わりないけれど、超えない一線へ一歩近付いた様な感覚は、夏の暑さが関係しているのか、私はほとほと理解出来ないでいた。

 教室近くの自販機は、職員室の隣にある事もあって、なんとなく中庭まで足を運ぶ。

 この暑さで、ここまで来る生徒は少ない。大抵の生徒は職員室横の自販機か購買へ行くので、中庭の裏にある自販機は穴場だったりもする。


「あっ……財布忘れた」


 逃げる様に出てきたから、財布はカバンに入っているのだろう。無駄足だと分かると、一層暑さに気分が滅入る。

 取りに戻る時間もないので、諦めて教室へ戻ろうと踵を返すと、背後に清水が佇んでいた。


「うわぁッ!? びっくりした……えっ、なんでいるの?」


 教室を出た時、後ろ確認したよね? 私の知らない間にまたストーキングレベルを上げたのだろうか。

 そんなレベルがあるのか甚だ疑問だけど、ないに越したことはないだろう。


「えと、小深が教室から出ていったから、一緒の時間、わたしも欲しいなって」


 可愛い事を言ってくれるが、声も掛けずに後ろに佇んでいたと思うと、その可愛さも半減すると言うものだ。


「そっかぁ、それで清水は何か買うの?」


 自販機から一歩横にずれ、清水の視界へ自販機を映す。


「えっ、じゃあ……何にしよう」


 身長が低い事もあって、高い所にある飲み物を見るのも一苦労なのだろう。何より、背伸びしても一番上のボタンは押せそうには見えない。


「んー、小深は何にする、の?」


 結局、決めあぐねたのか、清水は自販機から私へ視線を戻してしまう。


「私は財布忘れたからいいや」


 何も持ってないよと、手を開いて見せる。

 すると、何故か嬉しそうに目を輝かせた清水は、手に待った財布を私に差し出した。


「わたしが奢る!」


 お金持ちのお嬢さんがそんな事を言い出してしまう。別にそういう意味で言ったんじゃないんだけどな。


「別にいいよ、喉が渇いてたって訳じゃないし」

「いいの、小深に何かお礼したいなって、考えてたから……!」


 ふんす! と無い胸を張る清水に、私は何かお礼をされる様な出来事があったのか記憶を探る。

 恐らく、いじめ疑惑の事をまだ気にしてるのだろう。だとすると、ここはお言葉に甘えておくのがお互いにとっての吉だと判断する。


「じゃあ、遠慮なく」


 自販機に目をやり、商品を吟味する。購買にならカフェオレがあるけど、ここには残念ながら陳列されていない。

 なら水かカルピス、午前ティーの三択になる。


「清水は結局どれにするの?」

「小深と同じもの」


 そうきたか。私も特別これ! といった物がないので、ふと思いついた意地悪を試してみる。


「私のオススメはこれとこれと、これ。後は清水が好きなの選んでね」


 奢ってもらう立場にも関わらず、なんて上から目線なのだろうか。でも清水はこんな事で目くじらを立てるような人間ではない。


「無難にお水? でもせっかくなら、カルピスの方が……紅茶も……」


 予想通りどれにするか迷い始めていた。

 あーでもない、こーでもない。飲み物一つ決めるだけなのに、最善手を求めようと足掻く清水のそういう所は、意外と嫌いではなかった。

 そんな清水を見て楽しんでいたせいで、声を掛けられるまで背後に人がいる事に気付けなかった。


「あの、買わないんだったら、どいてもらえます?」


 苛立ちを隠そうともしない女子の声、振り返ると、やはり不機嫌そうに私達を見る生徒の姿があった。上靴の色からして一年生だ。

 青みを帯びた黒い濡烏ぬれがらすの様な髪を、低めの結んだハーフツインによって、本来の年齢よりも少しばかり幼い印象を受けた。

 何より、膝上二十以上はありそうなスカートの短さは、涼しそうよりも防御力の低さに不安を覚えてしまう。

 腰に巻かれたカーディガンのおかげで階段下から覗かれる心配は減るだろうけど、向かい合って座ったら見えてしまいそうだ。

 先輩として助言するべきか……いや、お洒落でやってる可能性が高いし、流石にそんな面倒なお節介を焼くほど、私は優しくない。


「小深、水にしたよ……!」

「あっ、うん。君もごめんね」

「別にいいですけど」


 私達が退くと、後輩は午前ティーを買い、一年生の教室へ戻っていく。


「小深、どうしたの?」

「あぁ、さっきの一年生のスカート丈が気になって」

「一年?」


 そんなのいた? みたいな顔をするので、飲み物を選ぶのに夢中で気付いてなかったのかもしれない。すごい集中力だ。


「じゃあ、これどうぞ」

「有難くいただくね」


 差し出されたペットボトルを受け取る。ひんやりと冷えたペットボトルを頬に当て、涼を取った。

 眩しく降り注ぐ陽射しへペットボトルをかざすと、反射しキラキラと輝いて見える。

 清水も私を真似て、ペットボトルをかざす。


「これ、どんな意味があるの?」

「特に意味はないよ。空を見上げるの好きなんだ。だからこうしてるだけ」


 そう、この行為に意味はない。水の入ったペットボトルを通して揺れる空に、私は夏を感じている。ただそれだけ。

 教室に戻ったら、どうやってあの三人の猛攻を防ぐか考えないとな。

 そんな事を考えながら、本格的な夏の始まりを予感しながら、平穏な夏を望むのだった。

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