第23話

 七月に入ると、夏の暑さが急激に勢いを増したように感じる。

 日焼け止めクリームだけで紫外線から身を守るには少し心許なく、千早が登下校の際に使っている日傘を、私も購入するか検討する程だ。

 そんな暑さだけでも悩みが多いのに、期末テスト前の試験準備期間が遂に始まってしまった。

 天美川高校は中学の時と比べると、かなり自由な校風で、校長が「青春に命を燃やせ」と言う陽キャでも言わなさそうなモットーを掲げている。

 私自身、地毛である色素の薄い髪色を注意される事もなく、恩恵を受けている自覚はあるけれど、この試験準備期間だけは他の学校と違い、異彩を放っていた。

 テスト二週間前になると、試験準備期間が通告され、全ての部活動は大会等がない限り、一切の禁止となる。

 それに加えて、一週間前になると四限授業に切り替わるが、早く帰れてラッキーなどと喜んでもいられない。

 学校側が提示した少し高めの点数をクリアするか、平均点以上を取らないと、強制的に補習となってしまうクソシステムが実装されているからだ。

 それ故に、夏休みに補習を受けたくない生徒達は、自ずと勉学に励む事になる。

 そうなると必然的に平均点が上がり、油断して補習送りになった生徒を何人も見てきた事から、苦手教科のある私は、どうしても喝を入れなければいけない時期でもあった。

 強制する事なく、自主的に勉強させる教育方針には目を見張るものがあるけれど、進学校でもないのに平均点が七十や八十になるのは如何なものだろうか。本当に……。

 だからこそ、他の事に回せる余裕なんて私にはないのだけれど、どうしても気になる事があった。


「はぁ……」


 立ち止まり、振り返ると廊下の柱から、清水の頭が見えていた。

 暫く見ていると、ひょっこりと顔を覗かせ、私と目が合うや否や、また柱の陰に隠れてしまう。

 今週に入って三日目になるが、清水が本格的にストーキングに目覚めたのか、私の後をついてくるようになってしまった。

 害がある訳ではないけれど、購買やお手洗いに行く際に、こうも付け回されると流石に気になってしまう。


「何か用かな、清水さんや」


 声を掛けているのに反応はない。まさかこの後に至ってバレていないと思っているのだろうか。


「清水に無視されて私は悲しいなー」

「……奇遇だ、ね?」


 棒読みで泣きマネをすると、廊下の陰から清水はひょっこりと顔を出す。


「やぁ清水、奇遇だね」


 あくまで偶然を装う清水に合わせた私は、アハハと笑いながら清水に近付き、しっかりと手を握る。


「こ、小深!? こ、こここれ、これ!?」


 私の顔と、繋がれた手を交互に見て、もう片方の手をブンブンと振り回している。

 相変わらず、ボディランゲージが激しいなぁ。

 清水は何か勘違いしているかもしれないが、手を繋いだ理由は、愛情表現等ではなく逃がさない為だ。


「じゃあ、私を付け回してる理由、聞かせてもらおうか」

「えぁ……はっ!?」


 私の問いに、ようやく手を繋いでいる理由を察したみたいだが、逃げようとしてももう遅……おや?

 てっきり、逃げるのかと思ったが、清水は意外にもこの場に留まっていた。

 繋がれた手を、振りほどこうとする素振りを見せたと思えば、泣きそうな顔で呻き声を上げる。それを何度か繰り返した清水は、諦めたと言わんばかりに肩から力が抜けた後、私を見上げた。


「手、離したくない……」


 天然でこれをやっているのだから、末恐ろしい。

 私じゃなければ、小動物を思わせるこの愉快な彼女に恋をしていたかもしれない。


「さいですか。廊下で話すのもなんだし、中庭にでも行こうか。あ、一応言っとくけど、逃げないでね」


 流石にもう逃げないだろうとは思うものの、念の為、言葉で釘を刺しておく。

 清水が頷いたのを確認し、握った手を解放して歩き出す。


「えっ……」


 そんな清水の声が聞こえたと思った矢先の事だった。


「うおッ!?」


 スカートの裾を引っ張られ、思わず足を止めてしまう。

 勿論、犯人は清水だ。関係が逆転してしまったのか、今度は清水が私を捕まえている。

 なんだろう、何かある度に掴まれてる気がするな……。


「流石に見えちゃうかもだから手、離してね。あと普通に危ないから、次からは引っ張るんじゃなくて、声掛けて」


 注意の意味を込めて、少し語気を強めると、スカートから手を離し、大人しく従ってくれる。

 仕方なく清水へ向き直ると、小さな彼女は俯き、更に小さくなっていた。対応を間違えると面倒くさい事になりそうだった。


「それで、今度はどうしたのかな?」


 怒られて萎縮した子供の様な清水へ、今度は優しく問いかける。

 これじゃあ、まるで保護者だな。そんな事を思っていると、ゆっくりと顔を上げ、上目遣いで私を見る清水の表情に、萎縮した子供とは言えなくなってしまう。


「手、繋いだままじゃ、ダメです、か?」


 まるで恋する乙女の様な、恍惚とした表情を友達の私へ向ける。

 ダメだと言ったら、次はどんな表情を見せてくれるんだろう。悪戯心が擽られ、少し意地悪したくなる。


「どうしよっかなぁ」

「ぇ……」


 悲痛な声を漏らす清水から一歩下がり、両手を上にあげて悪戯っぽく笑う。


「握れたらいいよ」

「……小深は、イジワル」


 怒ったのか、上気した頬を膨らませた清水は、私の手を狙って飛ぶ。


「ふん、んっ、えいっ!」


 掛け声は立派だけど、清水のジャンプ力はあまりにもお粗末で、身長差は恐らく約十五センチメートル。手を挙げている事もあって、その差は更に開いている。


「フフフ、諦めてもいいんだよ」


 不敵に笑ってみせると、清水はヤケになったのか場所を変えて、横からぴょんぴょん、後ろからぴょんぴょんと諦めずに跳ね続ける。

 流石に大人気ないかな。そう思い始めてから、どのタイミングで終わりを切り出すか考え始めた時だった。

 背後から回された手が、私の腹部をしっかりと抱きしめられてしまった。


「えっと、これはどういう事かな……?」


 顔だけ後ろに向け、微かに視界に映る清水は、お返しだと言わんばかりに不敵な笑みを浮かべた。


「清水が手を下ろすまで、離さない」

「そうきたか……」


 これは背後を取らせてしまった油断からの敗北だった。

 今いる場所は、特別教室が並んだ廊下で人通りが少ない。しかしそれは誰も来ない訳ではない。

 こんな所を誰かに見られたら、「人気のない場所でイチャつく二人」との不純同性交遊のレッテルを貼られるのは目に見えていた。

 となれば、仲良くおててを繋いで中庭に向かう方が、よっぽどお友達として健全に見える事だろう。


「降参、私の負けだね」


 本来なら降参では手を上げるのだが、今回に至っては逆に手を下ろす事で、降参の意思を表明する事になる。

 下ろした手は、目を輝かせた清水キャッチされ、冷んやりとした小さな手が指の間を潜り、絡ませる。

 まさかの恋人繋ぎだった。


「あの、清水? 手を繋いでもいいけど、それはちょっと」

「……負け犬の、遠吠え」

「なっ……!」


 私の悪戯に腹を据えていたのか、清水のお口からそんな言葉が出てくるとは思わず、素で驚いてしまった。

 負けは負け。しかも自分から仕掛けたのだから、敗者は大人しく勝者に従うしかないと言うことか……。


「仰せの通りに」


 清水と仲良く手を繋ぎ、中庭へと歩を進める。

 私は、誰とも会いませんように! 短い道のりにそんな願いを向けたのだった。

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