友達よりも

第9話

 時間を巻き戻したい。本気でそう思ったのは人生で初めての事だった。

 今でも清水との逢瀬を鮮明に思い出す事ができる。

 ただ、覚えてる内容が本当に……酷い。


「ぬぉぅぅぅぅぅぅ」


 浜辺に打ち上げられた魚みたいに、ベッドの上をバタバタとのたうち回る。


「なんでッ、あんな事ッ……!」


 小深へ半ば強引にキスを迫ってしまった事を思い出しては、雑巾を絞るみたいに身体がねじれる感覚に陥る。

 熱に浮かされて暴走してしまったとはいえ、友達になってとお願いした矢先にあれは本当にない。


「ぅぅぅぅぅぅ……キス、してみたいけど、困らせたくなった」


 今でも小深の事を考えると、脳裏にハッキリと小深の唇が浮かんできてしまう。


「ぐぬぬ、ぐぐぬぬぬぬ。わたしの、バカぁ!」


 これで絶交なんて言われたらショックで立ち直れないし、暫くは学校を休んで家に閉じこもろう……。

 小深に合わせる顔なんてどこにもない。軽蔑するような目を向けられたらと思うと、怖くて学校を休んでしまった。

 きっとわたしはお酒を飲んで後悔するタイプの人間なんだろうな。


「修行でも打ち消せないわたしの醜い慾望……どうしたら……」


 熱中症で倒れた後、目が覚めた時には小深はもう帰った後で、枕元に置かれたメモ用紙には『次はないからね』と書かれていて、自分のしでかしてしまった過ちに思わず涙を流してしまった。

 保険室の先生も奇妙に思ったのか、何か聞かれた気がするけど家に帰るまでの記憶があまりなかった。

 小深を怒らせてしまった事実だけが私の心に深く突き刺さっていて、どうすれば許してくれるのか、それだけをずっと考え続けている。

 持って帰ってきたメモには何度見ても「次はないからね」と書かれていて、どう言葉を捉えるべきなんだろう。

 次はない、という事はギリギリセーフなんだろうか。それとも小深とわたしに次はないって意味なんだろうか?

 前者ならまだ希望はあるけど、後者なら考えただけでも背筋が震えて、また目頭が熱くなってくる。


「確かめたいけど……直接会うのは怖い……」


 スマホを起動させ、登録された連絡先欄を開く。

 義叔母、義父、義母。そして小深の文字。


「んふふ」


 こんな時なのに思わず頬が緩んでしまう。初めての友達で、好きな人の名前が、わたしのスマホに登録されている事実がたまらなく嬉しい。


「ち、違う、喜んでる場合じゃない……!」


 小深の名前をタップすると、メールアドレスと電話番号が表示される。

 電話かメールか。着信拒否されてたら心が折れるし、メールが返ってこなくても心が折れる。

 そういえば、小深はあんまりメールを見ないって言ってた。だったらすぐ確認できる電話の方がいい気がしてくる。


「あっ、小深は学校だ……」


 時計の針はぴったし八時を指していた。

 それだと今は授業中で、もし着信音が鳴って先生にスマホを没収される事態になったら、間違いなく「次はない」が適応されてしまう。

 そうなると必然的に電話の選択肢は消える事になる。


「い、ま、な、に、し、て、ま、す、かっと」


 当たり障りのない文章を送ってみる。

 怒ってたら返ってこないし、怒ってなかったら返ってくる……筈だ。

 しかし、座したまま三十分が過ぎても一向に返信はなかった。授業中だから当然と言えば当然なんだけど、今にもメールが返ってくるんじゃないかなと、スマホから目を離せないでいる。

 見たいテレビもなければ読みたい本もない。勉強するにしても今は一文字足りとも頭に入る気がしない。

 スマホに登録された小深の名前を眺める。それくらいしかする事がないと思っていた時に、気付いた事がある。


「これってもしかして、小深の誕生日?」


 小深のメールアドレスに記載されている末尾四桁の数字に私の心は一気に躍動する。


「八月十五日、この日が小深の誕生日……!」


 念の為にインターネットで「メールアドレス 数字 誕生日」と検索したら、やっぱり誕生日で間違いないらしい。

 ベットから飛び降り、転けそうになりながら、机の引き出しにある通帳を引っ張り出す。

 使う事がないから去年から記帳もしていないけど、最後に記帳した時には二十万。多分その三倍はある筈!


「バイトしてて良かった……!」


 暇だからという理由で、バイトを色々していたけど、ようやく使い所を見つける事ができた。

 それに、小深と初めて会ったのも短期バイトをしている時だった。小深は覚えていなかったけど。


「小深は何が欲しいのかな」


 ブランド品? ゲーム機? アクセサリー? あまりピンとこない。

 何をプレゼントしても受け取ってくれそうだけど、せっかくなら小深の欲しいものをあげたい。

 記憶が正しかったらプレゼントを渡すなんてイベントを経験した覚えもないし、不安だ……。

 インターネットで女子高生が欲しがるプレゼントを検索し始めた時だった。

 ブルルと携帯が震え、メールの通知と共に、小深の文字が表示される。

 慌ててメールを開くと『寝てた』と簡素な三文字の言葉に、初めて小深とメールのやり取りをしたという実感と、怒っていないのかもしれない。そんな淡い期待を抱いてしまう。


『おはようございます。怒ってませんか?』


 小深がスマホを見ている間に急いで返信を打ち、送信する。

 すると、一分も経たずに小深から返信がきた。

 怒ってると書いてない事を祈りながら、メールを開く。


『怒ってない。でも反省はしてね』


「怒ってない! 小深、怒ってない!」


 濃い霧の中を彷徨っていたら、辺り一面が晴れた様に視界が広がり、喜びを抑えきれず部屋中を飛び跳ねてしまった。

 こんなに嬉しい事は人生で初めて! 枕を強く抱きしめている時に、ふと思う。


「小深も学校行ってないの、かな?」


 二年でクラスが同じになって、ずっと見ていたけど小深は遅刻がかなり多いし、欠勤も少なくなかった。

 そう考えると、「寝てた」と言う言葉から小深が家にいる可能性は高かった。

 それが分かると、欲が顔を覗かせる。小深の声を聞きたい。電話してみたいと。


『電話してもいいですか?』


 お互いに休んでるなら、一緒にデートとか行けたりするかもと、気持ちが昂ってしまう。

 デートに行くなら電車に乗って、天王寺や難波に行くのもいいかもしれない。

 そんな夢物語に浸っていると、またメールがすぐに返ってくる。

 あんまりメールの返信しないって言ってたのに優しいな。そう思ったけど、メールを見てやっぱり小深は小深なのだと実感する。


『めんどくさい。少ししたら出かけるからまた今度ね』


 ここで電話の強要をしたら「次はない」になるから、諦めるべきだけど、出かけるという言葉が引っかかった。


『誰とどこに行くんですか?』


 送信してから、流石に重い女だと思われないか心配になる。

 でも小深が私の知らない人と楽しそうに遊ぶなんて耐えられない。

 もしかしたら、汐ノ宮千早かもしれない。だったらもっと嫌だ……。

 嫉妬心が自分でもむくむくと湧いてくるのが分かる。

 返信のメールに汐ノ宮千早の名前が書いてませんよう。神様、お願いします。そう強く願った。


『清水ってめんどくさいね笑 スーパー銭湯に行くだけだから。先生には内緒でよろしく』


「め、めんどくさい……でも笑ってくれたなら良かったの、かな?」


 直接言葉で言われるよりマシかもしれないけど、文字でめんどくさいと言われると流石にショックだ。

 それでも一応は神頼みが通じたみたいで、胸を撫で下ろす。


「ん、もしかして学校にいると思ってる?」


 ここまでのやり取りを見返すと、確かにわたしは学校を休んでるとは一言も言っていなかった。

 すると、まるでお告げの様にわたしは名案を閃いてしまった。

 マップアプリを開いて検索するのは、スーパー銭湯。ヒット数は二件。つまり、小深はこのどちらかに行くという事になる。


「小深とお風呂……まだ付き合ってもないのに……で、でも友達でも一緒にお風呂に入る事もあるみたいだし、下心があるわけじゃないけど友達なら裸の付き合い? 洗いあい? は通るべき道、そうに違いない!」


 よく調べてみると、一件はスーパー銭湯ではなく旅館との事で、残る一件は間違いなくスーパー銭湯だった。

 家から自転車で十五分の距離。今から急いで行けば小深を待ち伏せ……もとい鉢合わせ出来るかもしれない。

 思い立ったら吉日、制服に急いで着替えて家を飛び出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る