第5話

 あの日から十日が経ち、中間テストの日がすぐそこまで迫っていた。

 まるで最初から清水なんて生徒はいなかったかの様に、彼女は学校へ来ることはなかった。

 どうやら家庭の事情らしく、急用だと帰っていった清水の慌てようから、流石の私も心配している……と言えば嘘になる。

 心配なんてしている余裕は、数日もしない内になくなっていた。


「また間違ってる、自動詞と他動詞を区別する時は前置詞があるかないかって教えたでしょ!」

「理屈では分かるんですけど……」

「言い訳はいいから、取り敢えず解いて解いて見直し、そして復習!」


 ツインテールをぶんぶん振り回す唯華は、スパルタ教師として私達の勉強を見てくれていた。


「まさか、唯華ちゃんがこの中で一番賢いなんてね〜」


 小塩が信じられないよねと言ったニュアンスで同意を求めてくる。


「たしかに意外だった」


 人は見かけによらないとはこの事だろう。


「聞こえてるんですけど! それに小塩、そこスペルミスよ」

「まぁ、流石だね〜」


 怒りながらも、冷静に間違いを指摘する唯華に小塩は「すごいすごい」と拍手を送る。

 本人的には褒めているつもりなんだろうけど、傍から見れば煽っていると捉えられかねない。


「そんなに褒めたって、あたしの鼻が伸びるだけよ」


 得意気に腕を組む唯華は、ちゃんとその辺りを理解している。


「あの二人、本当に仲が良いですよね」


 隣に座る千早ちはやは、二人を見て微笑みを湛えている。

 私の幼少期を知る数少ない幼馴染、汐ノ宮千早。おっとりとした可愛い系の美人で、頭も良いときた。才色兼備が服を着て歩いているみたいな存在だと思っている。


「小深、その問題は特定の日を表すからinではなくonの前置詞を使うんですよ」

「ナルホド……」


 こうして唯華と千早の二人体制での勉強会のおかげで、私と小塩の英語力はみるみると向上している気がしてくる。


「それにしても小深ちゃんってハーフなのに英語ダメダメだよね〜」

「なのにって言われても生まれも育ちも日本だし……それにパパはロシア人だから喋れたとしてもロシア語になる訳で、全く役に立たないんだよね」


 そのパパも私が物心ついた時には単身赴任で家にはおらず、半年に一回帰ってくるかどうかなので、アメリカ人だったとしても英語が苦手な事に変わりはなかっただろう。

 それを聞いた唯華は、その話題に興味を持ったのか英語のテキストを閉じてしまう。


「英語ができなくても小深は顔が良いからね! なんか大企業の受付嬢とか狙えるんじゃない? 顔採用ってやつ」

「偏見が過ぎるなぁ。中身は二の次なんだ」

「だってそうじゃない? 顔の良さは武器よ。あたしがこのグループにいるのだってアンタ達の顔を近くで見たいからだし? 眼福ってやつ」

「それはどうも。そこについては否定しない」


 ただもう少し憚った方がいいとは思うけど。

 唯華は誰にでも無遠慮といった感じで、忖度のない性格をしている。

 この時代に空気をあえて読みにいかない強気のスタイルには少し憧れるものがあるけれど、とても真似したいとは思えない。


「唯華ちゃんも美人さんだけど、小深ちゃんと汐ちゃんには劣るもんね〜。やっぱりツインテールが幼く見えるんじゃないかなあ?」

「うっさい! これはあたしに似合ってるからいいの。と言うか一番地味な小塩にそんな事言われたくないんだけど!?」

「ひど〜い。差別だ〜」


 およよ、と千早に泣きつく小塩だったが、顔は笑っている。

 美人ではないけれど、パーツは整っていて謎に大きな眼鏡を、コンタクトに変えればメイクで化けると唯華も理解しているだろう。

 でも本人から相談されないと口にはしない。

 私達は仲が良いけれど、全員が付かず離れずといった適度な距離感を保った関係を築いている。


「では、今日はこのくらいにしてカフェにでも行きませんか?」


 勉強ムードは既になく、会話が一区切りついた所で、千早がそんな提案をした。


「カフェってあの商店街の?」

「はい、紅茶が二百円で飲めるのはかなり良心的なんです」

「えー、それならフラペチーノ飲みに行きたい」

「でも唯華ちゃん、今月は金欠って言ってなかった?」

「うっ……やっぱり紅茶でいい」


 提案は満場一致で可決され、暗黙の了解と言わんばかりに本日の勉強会はお開きとなった。


「千早ってカフェ好きだよね」

「まぁそうですね。お店の落ち着いた雰囲気や紅茶が好きで、それに色んなお店に行くのは楽しくって」


 そう微笑む千早がカフェに通いだしたのはいつからだったのだろう。

 高校に入った頃には既に通っていた気がする。

 去年の夏には、半ば強制的にかき氷巡りに連れ出された記憶が残っているから間違いない。


「千早の選んだお店ってどこも美味しいもんね」


 かき氷を、氷にシロップをかけただけの大衆菓子だと思っていた私の価値観を大きく変えたひと夏だった。

 千早も同じ事を思い出していたのか、「そうだ!」を口火に、夏の予定を話し始める。


「今年の夏は、喫茶店のクリームソーダ巡りをしようと思います」

「賛成〜」


 話を聞いていた小塩はノリノリで挙手し、参加の意思を表明する。


「去年ハブられたから今年はあたしも行こっかな」

「人聞きわる〜い、夏服買いすぎて破産したって辞退したのは唯華ちゃんでしょ〜」

「あれは可愛すぎるワンピやスカートが悪いのよ」


 唯華の参加も自然と決定する。

 そうなると三人の視線は必然的に私はと向けられる。


「小深はどうしますか?」


 どうしますかと選択肢があるように見えてイエス以外の選択肢は実質的には存在しない。

 千早はカフェの事となると、少し強引なところがある。去年も最初は断ったものの当日、家まで押し入って来たので今断っても同じ末路を辿る未来しか見えなかった。


「うーん、お小遣いがなぁ」


 女子高生は何かとお金がかかる生き物だ。

 バイトをしていない私にとって、金銭面にそれほど余裕がある訳もなく。

 残念だけど今回は私が辞退させていただくとしよう。金銭的理由なら千早も流石に諦めてくれるだろう。


「それなら大丈夫です。私が出しますので」

「えっ、なんで?」


 びっくりした。急に清水が憑依したのかと思う強引さに面食らってしまう。


「千早ってたしか、私と一緒でバイトしてなかったよね?」


 中学生の時に家に遊びに行った事もあるけど、裕福な家庭ではなかった筈だ。

 珍しく私が戸惑ってる姿が面白いのか、唯華はニマニマと口元が緩んでいた。


「隠していた訳じゃないんですけど」


 千早はおもむろにカバンから何かを取り出す。

 そして、千早が手にしたのはクレジットカードサイズのピンク色のカードだった。


「何それ?」

「ファンクラブ会員証です」

「ん? ファンクラブ? 誰の? えっ、話題変わった?」

「小深のです。ちなみに会長は私ですよ」


 なんだろう……この話の一方通行感、最近似た様な事があった気がする。いや、あった。

 千早が恥ずかしそうに頬に手を添えてるのは理解できるけど、後ろの二人もなんでドヤ顔なの?


「ちなみに、あたしは副会長!」

「うちは会員番号三番だよ〜」


 お前達もグルなんかい! ええい、まぁいいや。


「……それで、私のファンクラブが金欠とどう繋がるの?」

「それはですね」


 またカバンから何かを取り出した千早から手渡されたのは、一枚の封筒だった。

 恐る恐る封筒を開くと、そこには一万円札が五枚も入っていた。


「えっ、何これ!? ほんとになに!?」


 友達から手渡される札束ってこんなに怖いものなんだ。

 次から次へと予測不能な展開に目が回りそうになる。


「これはですね、小深へのお布施です。入会費が三百円。会員が現時点で百六十七名いるので、締めて五万円という事になります」


 うん、聞いてもよく分かんないな。ってか学校の半数が私のファンクラブに入ってるんだ。それはそれでちょっと怖いな。


「いいですか、落ち着いて聞いてくださいね。実は私のファンクラブというものもありまして、その会長さんから同じようにお布施をいただきました。私でこれだけいただけるなら、小深ならもっとお布施をもらえるのではないかと思いまして」

「んで、あたしらも協力してファンクラブを立ち上げたってワケ」

「んー、ファンクラブの流れは分かった。でもなんか常識みたいに使ってるけど、お布施って言葉、日常会話でそう何度も使わないと思うよ!?」


 というかそのお金は合法なの? 金額が金額だから二つ返事で受け取りにくいんだけど。


「安心してください。合法ですよ」


 私の心を読んだ千早の発言に揺れる。それなら受け取っていいの……かな?

 金欠な事もあって、手に置かれた五万円は私の理性を破壊するには十分な重さがあった。

 ……まぁいいか。

 どうこう考えてもこのお金が消える事はないんだし、面倒だから有難く受け取る事にしよう。


「じゃあ私もクリームソーダ巡りに参加しようかな」

「決まりですね」


 こうして、汗水垂らす事なく五万円という大金を手にしたけれど、次からはちゃんと断る為に合法的にお小遣いを稼ぐ事を密かに誓った。

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