第3話 我が名はタカムラ ロリコンと呼ばれし者
「お兄さんは今付き合っている人はいないのですか」
沈黙を破ったのはマヤだった
「いないよ」
「本当ですか?意外です。
お兄さんは優しくて、言葉も柔らかだし、お顔も凛々しい。その上、誰もが知っている有名大学の学生ですし、なにより、私が中学生ということ見下さないところに人の大きさを感じます」
カップを持つルルの手が微かに震えていることに気付いた
「まあ、僕には相対性がかなり欠如しているから、女性の方が話しずらくてお断りだろうから自粛している」
ルルのカップがテーブルに置かれる前にマヤは続ける
「もったいない。お兄さんみたいな、好条件に出逢うのは宝くじの高額当選くらい難しいですよ。
お兄さんは好きな人とか、いないのですか?」
ルルが震える手でカップを再度口に運んだのが視界に入る
「ウチの大学の女子達は好きだよ。会話に気を遣わなくていいから。その理屈だとマヤも好きだな」
マヤは半身を乗り出して告げる
「お兄さんに”マヤも好き”だなんて言ってもらって嬉しいです。今年一番の出来事です。
ルル姉だけでなく、私とも仲良くしてください」
美術館に行く約束をルルは知らない。魔性の妹はその能力を遺憾無く発揮している。
足をそこそこの力で踏まれた。仏頂面のルルがこちらを見て冷めた口調で言い放つ
「ヤスの導いた答えは正しかったようね。タカは、なに中学生口説いているのよ。ロリコン野郎」
僕からマヤを口説いた覚えはない。
マヤはルルの言葉を無視して続ける
「”好き”って意味が広いですね。恋愛に通じる”好き”の方はどうなんですか?」
ルルがほぼ空になっているカップを口に運ぶのが視線に入った
「学業にバイトにサークル、女性と付き合う体力は残っていないのが本音かな」
ルルが思い詰めた顔をしながら声を振り絞るような声で
「あのさ・・・・・・」
言葉が続けられない
「おまたせしました。盛り沢山ポテトです」
サーバーはルルの顔を見ると何かを言おうとしたが諦めたようだ。どうやら今日は
「お兄さん、いただきます」
ルルは目を丸くして
「さっきから気になっていたんだけど、そのお兄さんってなによ」
「ルル姉と同じ歳でしょ。篁さんの方がいい?」
「そういうことじゃなくて、私達その……。岡部さんで良くない?」
ルルの会話は歯切れが悪い。結婚を意識する言葉を咀嚼できないようだ。昨日までの僕ならば、仮に突然ルルから“結婚して欲しい”と言われても簡単に“いいよ”と答えていた筈だ。その位恋愛や結婚に執着がない。
熱力学の第1法則エンタルピーの解釈である、総合的な水準を超えれば競合がない限り先方が望めばどんな女性でも拒む理由はない
「お兄さんって呼ばないと、私はとんでもないことをしてしまうかもしれませんよ」
妹をみくびっていたルルに突然ハルノートを突きつけられた。満州からの撤退か開戦か。そんなことが頭をよぎった。
月曜日にも大学で顔を会わせなければならないルルには分が悪い
「ルル姉は、こんな優良物件が両親に会わせて欲しいと言ったのを見逃すのが信じられない!
それとも、お兄さんには私が気付いていない欠陥があるのかな」
「褒めすぎだよ、欠陥だらけだよ僕は。僕は頭が良い人が好きだけど、よく考えたら頭の良い人は僕なんか選ばないよね」
3人に沈黙が訪れる。僅かながらルルが否定して全てを収束してくれることを期待していた自分が悲しい
「ヤスさんはどうしてお兄さんが少女嗜好と勘違いしたのでしょうか?」
ロリコンを少女嗜好と言い換えるいやらしさへの耐性はできている
「2人の前じゃ言えないな」
「聞いて欲しいってことか」
ルルが息を吹き返した
「いや、ロリコンと思われてもいいから、言いたくない」
「なんだ、余計聞きたくなるじゃないか。
言え!」
「だから、言わないって」
ルルは僕の耳を引っ張って、強い口調で
「言え!」
「痛いって、
……ルルが一晩付き合ってくれたら言うよ」
耳の痛みから解放された
先に口を開いたのはマヤだった
「私でよければ一晩お付き合いしますよ」
ルルの顔が青ざめていくのが解った
「お前、意味分かって言っているか!」
ルルはマヤを怒鳴りつけた。マヤは穏やかな声で語る
「はい。私も14歳ですよ、その位は分かります。
篁さんが少女嗜好じゃないって言っていますから、ルル姉が想像しているようなことは起きないでしょう」
「きゃっ」
ルルが悲鳴を上げた
刹那、強烈な痛みに襲われ、のたうち回った。ルルが僕の急所を掴んだのだ
「どうしたのです、お兄さん」
僕は痛みのあまり声もでない
「ごめん、太腿をつねるつもりだったの」
背中を撫でてくれる細い手があった。隣には既にマヤがいた。遅れて違う手が背中を擦った
「どうされました?」
サーバーの声だと思う。大きく深呼吸しながら
「大丈夫です。
荷物をその……デリケートなところにヒットさせてしまって。
申し訳ないお店で騒いでしまって
もう落ち着きましたので大丈夫です」
サーバーは笑顔だけ残して去っていった。彼女の経験の中では男性の急所に関する知識を弁えているようだと思った。
ルルは“ごめんね”を繰り返す
「大丈夫だよ、ひとつ潰れてももう一つあるから。
次は優しく扱ってね」
冗談のつもりだった。
ルルは瞳に涙を浮かべると、次の瞬間胸に飛び込んで号泣した
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
ルルの手が僕の背中にまわっている。不謹慎にもルルの胸の感触がおかしい事が気になった
「このくらいじゃ潰れたりしないから、こんなときにからかってごめん」
背中に回した手にきつく引き寄せられる。ルルは鼻をすすりながら無言でただ泣いている。マヤは背中を擦るのを止めて呆然と立ち尽くしている。
ルルの髪を撫でようと手が動いたところで、ためらって肩を撫でた。
嵐が去るのをただ、待っている。
背中に回された手が解かれ、硬い胸が去っていった。ルルは顔を隠すようにうつむいたまま小声で呟いた
「化粧、直してくる」
“気にせず、ここで直しなよ”という言葉を噛み潰して、優しい口調で
「うん」
とだけ告げてルルを見送った。
ルルの不運は魔性の妹と一緒だったこと。マヤはルルのいた席に座った
「ルル姉、やる時はやるね」
「不謹慎だぞ」
ルルは僕の飲んでいたカップを取って口に運んだ
「ブラックなんですね」
マヤは目を閉じてカップの縁に唇を当てた
「間接キス」
幼い声は妖気に満ちていた
「ブラックだな。
マヤは早熟だね、年上の人と付き合った事があるのか」
マヤはいたずらな微笑みを浮かべて
「ヴァージンだし、誰とも付き合ったことないのよ。でも気になる人はいるかな」
マヤのカタカナ言葉に妖気が漂っている。ハルと過ごした高校の経験がなければ、この魔性の中学生に戸惑ったに違いない
「それは失礼しました」
「気になる人、誰だか聞かないんですか?」
僕は微笑んで
「ヤスに合コン誘われて、初めて参加したんだ」
「お兄さんモテモテだったでしょう」
マヤは誘導に乗った
「話題が合わないんだよね。大学の女性と話している方がよほど楽しい」
「それ、なんとなく分かります」
「で、退席したくて、女性陣がドン引きするような発言をしたんだ」
「僕はロリコンだ。とか言っちゃいました?」
「僕はシンデレラバストの女性が好きだって言ったんだ」
マヤはクスクス笑いながら
「それで、ロリコンなんですね。
姉が知った喜びますけど、お兄さんの口から聞くと悩んじゃいますね。
ところで、本当に貧乳がお好きなんですか?」
両手を結び、両ひじを立てて手の上にあごを乗せて薄笑いを浮かべながら
「実は我が家には薩摩守の祟りがあってね」
「タタリですか?」
「そういう話が苦手でしたら止めますが」
マヤは僕の肩にすがって
「ぜひ、聞かせて下さい」
腕に女性特有の感触があった。
〈つづく〉
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