第9話 「一緒に、出かけませんか」
――翌日。空が白んだばかりの早朝、私は1人でぱちぱちと音を立てる火鉢を前に、網の上で香ばしく焼ける2つの饅頭を見つめていた。昨日はあまり寝れず、こんな早朝に起きてしまった。普段なら近くに住んでいる使用人が家に来て朝食を準備してくれるのだけど、まだ早すぎる。小腹が空いたので昨日桜の店で妹の佳世へのお土産として包んでもらったものを焼き直すことにした。火は家紋の力で簡単に起こせる。こんなことに力を使うのはどうかと思うけれど、便利だ。
「……お試しで、お付き合い……」
ぶつぶつと独り言ちながら、黄金色の焦げ目のついた饅頭を1つ手に取り、頬張った。
「美味しい……」
はあ、と感嘆の息を吐いて、緑茶を一口すすったところで、にょっと寝間着姿の佳世が現れた。
「お姉さま、……ずいぶんと、早起きですね……あっ、それ!」
佳世は眠たそうにこすっていた目をぱかっと開いて、私が手に持っている饅頭を指さした。
「お土産……まだ、あるから……、先に食べてごめんなさいね。仕事に行く前に何か食べておきたくて」
「――こんな早くからお仕事ですか? 何かあったんですか?」
一転して、佳世は不安げな表情になった。
私の仕事が命の危険と隣り合わせであることは、佳世も把握している。
顔も知らない父親と母親が妖に殺されたことも。
だから、私の仕事がいつもと違う様子だととても不安になってしまうのだろう。
「何もないわ、大丈夫よ。ちょっと、昨日寝れなくて……、家にいると考えこんでばかりになってしまうから、仕事をしたいと思っただけよ」
不安にさせてしまったと焦って早口で説明すると、佳世の頭を撫でた。
「考え事ですか……?」
「そう、少しね」
佳世はじっと姉の顔を見つめて、呟いた。
「お姉さま、何だか嬉しそうですね……」
「そ……そうかしら?」
はっとして、取り繕うように、
「お土産のお饅頭、もう一つ、今食べる?」
ともう1つ網の上にあった饅頭を箸でつまんで佳世の目の前に持って行った。
「わぁ!」
佳世は嬉しそうに顔を輝かせる。
(うまく気を逸らせたわ)
心の中でほっと息を吐いた。
鈴原くんのことは、佳世には話さないつもりだ。最近、色恋話に興味津々の佳世だ。
お試し交際の申し出を受けたなどと話せば、使用人や学校の友人に黙っていることはできないだろう。
(――あくまで『お試し』だもの)
そう自分に言い聞かせる。修介さんにあっけなく「婚約を破棄する」と言われたように、鈴原くんも自分に魅力がないとすぐに気づいて、離れていくかもしれない。
その時、居間に面した庭から、「わん!」と怒ったような武蔵の鳴き声がした。
「武蔵まで起きたの?」
驚いて見てみれば。愛犬は恨めしそうな顔で、こちらを見つめている。
(――そうだった)
「ごめんね、あなたの分のお土産を忘れちゃったわね……」
昨夜うっかりしていて、いつも武蔵へのお土産に持って帰っている干し肉を忘れてしまったことを思い出した。武蔵は「……わん」と一声吠えると、庭にある自分の小屋へと帰っていって、丸くなってしまった。
***
「おはようございます、隊長」
まだ暗い街中を歩いて防衛他の詰め所に出勤すると、既に鈴原くんがいた。
「――おはようございます。鈴原くん! ――早いですね! 夜番ではないですよね?」
時計を見ると出勤時間までまだだいぶある。
まさか彼がいるとは思わなかったので、あたふたとしてしまう。
「いえ、その……あまり眠れなくて。仕事でもしようかなと……」
鈴原くんは照れたように頭をかいた。
(鈴原くんもあまり眠れなかった……)
その言葉を聞いて、なんだかじんわりと嬉しい気持ちになった。
鈴原くんは綾子を見つめると、「あの」と言葉を切り出した。
「――隊長。今週の休務日同じですよね」
「そうです……ね」
防衛隊の休みは不規則だ。
有事がなければ、基本的には週に2日、交代で休みをとっている。
そういえば、今週の休みは鈴原くんと重なっていた。
「一緒に、出かけませんか」
「一緒に、出かける」
そのままオウム返しをした。
それはデートということだろうか。
(そんな急に、でも、お試しでも交際することになったのだから……)
「一緒に……出かけましょうか。そうですね。出かけましょうか」
そう復唱するように返事をすると、鈴原くんは「やった」とその場で軽く跳ねた。
「ありがとうございます。いや、他の方が出勤する前にお話しできて良かったです……!」
鈴原くんの嬉しそうな笑顔を見つめて思わず頬が緩んだ。
(これは……「かわいい」?)
頭にそんな言葉が浮かぶ。それからぶんぶんと首を振った。
(男性にかわいいは失礼よね)
「こちらこそ、お誘いありがとうございます。嬉しいです」
素直にそう返すと、鈴原くんはさらに顔を輝かせた。
「そんな! 週末が楽しみだなぁ……! 今日も1日頑張ります……!」
鈴原くんは上機嫌で自分の机に向かうと、資料の束をめくり出した。
じーっとそんな鈴原くんを見つめる。何となく彼に感じていた親近感の正体が分かった。
(鈴原くんは……武蔵に似ているかも……)
愛犬の顔を思い出し、今日の帰りには桜の店でお土産をきちんと持って帰ってあげようと誓った。
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