さよなら、耳なし令嬢

 いよいよ大音楽祭の開催が明後日に迫った週末の午後。


 フェルディナンド楽団での練習を終えて楽団の活動拠点を出ると、エドワードさんが私を待ってくれていました。話をしたいことがあるそうです。そのままお屋敷まで送ってくださるとのことで、私はいつも送迎していただいている楽団関係者に断りを入れて、エドワードさんと二人で近くの自然公園へと向かいました。


 大音楽祭が終わる頃には短い冬季を迎えるであろう王都の、今日の天気は快晴。大音楽祭を間近に控えているおかげで街中の人たちの熱気は高まる一方で、時折吹き付ける冷たい風などものともしません。


 公園内の並木道を歩いていると、エドワードさんが「実は」と切り出します。


「仕事の関係で、この国を離れることに決まったんだ」


 フランカさんへの一目惚れを諦めて以来、仕事に精を出した彼は、どうやら短期間でそれなりのポジションへと上り詰め、そして最先端の科学技術を学びに隣国へ派遣されるそうでした。彼を高く評価している上司と共に赴き、短く見積もって二年の滞在となるらしいのです。


「……寂しくなります」


 つい私は道の真ん中で立ち止まってしまいました。


 これまで竪琴を教えてくれた人であり、この王都へと導いてくれた人です。

 家族同然に過ごしてきた彼と2年も離れることになると言われても、うまく想像できません。


「僕もだよ。メリアもここを離れるんだって?」

「そうです。叔母さんたちに会いに町へと帰ります。……この半年近くであったいろんな出来事を、手紙じゃなくて直に叔母さんたちに話したいんです」

「それから、またここへと戻ってくる。手紙でそう書いていたよね」


 先日にお嬢様に許可をいただき、そしてフェルディナンド王子にも伝え、正式に決まったことでした。


 私たちは並木道を抜け、広場にあるベンチに腰掛けます。遠くにラナやシエルと同年代ぐらいの子供たちが数人で種々の木管楽器を手に何か話しているのが見えます。合奏前の打ち合わせ、あるいは後の反省会でしょうか。


「あの、エドワードさんには、ぜひ聞いてもらいたいんです。私の作った曲を。それに……お許しが出れば、お嬢様の歌もぜひ。曲はあともう少しで完成なのですが、いつ出発なさるのですか」

「それが……実は明日なんだ」

「え――」


 あまりにも急な話です。まさか大音楽祭前に発つだなんて。


 彼曰く、開催中だとまともな街道の混雑ぶりが今以上であるそうですが、何にしても急です。せめて、もっと早くに手紙で教えてくれていたならとなじると、彼自身も決断したのは数日前とのことでした。


「たしかにメリアが作った曲を聞けないのは心残りだよ。でもまぁ、その曲は僕のためにあるというより、君とロザリンド殿下のためにある曲なんだろう? 君たちは……特別な関係のようだし」

「ど、どうしてそれを」


 あたりを見回します。幸い、私たち二人の話が聞こえる位置に他の誰かがいることはなさそうでした。


「手紙でそうだとはっきり書いたことは一度もなかったですよね?」

「ああ。でも……育ての親を自称する気はないけれど、僕は君の師匠だからね」


 親愛なる師はそう言って笑います。


 遠くの少年少女たちが演奏を始めました。その穏やかな旋律は私たちのもとまで届き、しばし耳を傾けていました。誰かのミスで演奏が中断されると、エドワードさんが「メリア」とかしこまって私の名を呼びます。


「向こうに着いて、落ち着いたら手紙をまた送るよ。ええと、そうだな、実家ではなくてお屋敷のほうに。僕は……君がこの先の未来で何か思い悩むことがあった時に支えてあげられる人間でありたい。それはこれからだって変わらないからね」

「ありがとうございます、エドワードさん。えっと……どうかお元気で」


 私の差し出した右手を、彼は強く握ってくれました。


グラスジールあっちの国には、僕の運命の人がいる気がするんだ。そうだ、そうに違いない。このお別れは新しい出会いのためなんだ、わかってくれ、メリア」

「えっ、あっ、はい。そうですね、たぶん出会えると思います」


 この人なら大丈夫、どこでもやっていけると結論を出すのでした。





 エドワードさんにお屋敷まで送ってもらい、荷物を自室へと置くと、お嬢様の私室を訪ねることにしました。この時間帯に来るようにと命じられてはいないのですが、部屋で一休みするよりも、一目でいいから会って話したい気持ちが湧いてきたのです。

 曲の完成まであとほんのわずか、最後のピースはやはりお嬢様が持っているような気がしているのでした。


 そんなわけで一階の廊下を歩いていると、フランカさんと出会いました。


「ただいま戻りました。お嬢様はお部屋にいらっしゃいますか」

「ええ。この頃は本当に、あなたが傍にいないと落ち着かないといった雰囲気ですよ」


 そう言って苦笑いをするフランカさん。


「……今のうちにお伝えしておきます。あなたが故郷から戻ってきた後の話ですが、侍女として働いてもらうつもりです」

「フランカさんのお仕事の一部を、私がさせていただけるということですか」

「そのとおりです」


 使用人の数が少ないお屋敷なので、業務内容は各々でほとんど固定でしたが、そこに変更があるというのです。


「その、着替えのお手伝いや整髪、小物作り、それに外出のお伴を?」

「外出に関しては二人きりはあり得ませんが、他の身の回りのお世話は任せていく形になるでしょう」

「……入浴のお手伝いもでしょうか」

「なに、顔を赤くしているんですか。いいですか、メリア」


 そう言って、フランカさんが一歩近づいてきます。


「私は先代からの命を受け、お嬢様の幼少期よりそばに仕え、成長を見届けてきました。それはこれからも変わらないのです。たとえお嬢様があなたを寵愛しようとも、私は一人の従者としてお嬢様のそばを離れません」

「こ、心強いです。えっと、そんなフランカさんが私に仕事の一部を譲ろうとしている件を、どう解釈すれば? お嬢様のご提案ですか?」


 フランカさんが首を横に振りました。


「私の判断です。あなたを信頼していますからね、くれぐれもお嬢様を間違った道へと導かないように。もし今後、お嬢様へと婚約を迫る誰かが出てきたり、現セインヴァルト女王の気が変わって、どこかの貴族を当てがおうとしたりした時には……」

「した時には?」

「お二人で駆け落ちを企てる前に、私に相談しなさい」


 表情は真剣そのもので、冗談ではないようです。


「わ、わかりましたっ。私、お嬢様と……幸せになります」

「まずそういう台詞を決して外で口にしないと約束してください」


 溜息をつくフランカさんでしたが「さあ、お嬢様のもとへお行きなさい」と微笑んでくれもします。お嬢様と話した後で、時間があったらフランカさんに書類仕事のお手伝いを申し出よう、そう思いながら私は階段を上っていきました。 




 ロザリンドお嬢様にさっそくフランカさんからの通達を報告すると「練習してみなさい」と言われ、髪を結んでみることになりました。

 ドレッサーの前に腰掛けるお嬢様の背後に立ち、その綺麗な髪に指先を通しながら、指示通りにやってみるのですが、うまくいきません。いつもなら的確な指示を与えてくれるお嬢様であるのに、鏡越しにくれる言葉は私を翻弄するようなものばかりです。


「ねぇ、しつこく聞かないって約束したけれど、やっぱり聞いていい?」

「曲のことなら、まだです。できたら一番に伝えます」

「そう。でもね、覚えているでしょう?『あともう少し、一欠片、何かきっかけがあればできあがるんです』と言ったのがもう4日も前ってのは」

「今のって、私の声真似ですか」

「そうよ。そっくりだったでしょう。他にもできるわ。『ローザ、そ、そんなところ触ってはダメ、んっ』って。ほら、どう?」


 顔から火が出る心地でした。

 さっきのフランカさんとの会話の比ではない羞恥です。二人きりの時は「お嬢様」ではなく「ローザ」と呼ぶように誓わされたのは事実で、それに2日前の夜に、私がほとんど同じ台詞を口走ったのも事実です。何を隠そう、お嬢様のせいで発した矯声なのです。お嬢様はなんというか……私をいじめるのがとても上手なのです。


「そんな顔をしないで、メリア。もっとからかいたくなっちゃうわ。それで、話を戻すけれど、楽団の練習では何も掴めなかったわけ?」

「皆さんの演奏は参考になっています。けれど、それらに込められているもの、表現しようとしているものは、私たちの曲に欠けている何かとは違うんです」

「なるほどね。いっそ私が書いた歌詞に音を乗せるようにする?」

「それって……既に書き溜めている詩でもあるのですか」

「まあね。貴女が私の特別になったその日から、こっそり書いていた詩がいくつかあるのよ。」


 詩作自体は教養として習ったものだそうです。


「全部を見せる気はないわ。ねぇ、作詞も自分でする予定だったの?」


 お嬢様は鏡越しではなく振り返って訊ねてきます。髪を結うのを諦めていた私の手からするりと抜ける髪。


「いいえ、それはお嬢……、ローザに頼もうとしていました。ですが、普通は曲が先にあるものかと」

「そうとも限らないわ。前にも提案したとおり、共同作業をしましょう。ええ、そのほうがいい。大音楽祭中は楽団での練習もないのでしょう?」

「はい、王子が忙しいので」


 これまでの大音楽祭の期間中、王族の中ではお嬢様だけが「暇」だったのです。お嬢様が16歳、12歳、8歳、4歳であった当時、そのいずれにおいても、大音楽祭が開催されていた一週間はお屋敷に籠りきりだったそうですから。


 ですが、今年は違います。


「忙しくなるわ。貴女は大音楽祭を堪能しつつ、ご実家に帰る準備もしつつ、作曲もしつつになるのだから。……ついでに言えば、わがままで意地の悪い、雇い主にも構ってあげないといけない」

「ついでなんかじゃありませんし、私にとって一番大切な時間です」

「わがままで意地の悪いって部分は訂正してくれないの」

「それはあなた様しだいですよ、ローザ」


 私は少し屈んで、お嬢様の額に軽く口づけをします。


「いい子にしていなさいってこと? 年上を子供扱いするものじゃないわ。そういうところ、フランカに似てきたかも」

「そんなつもりでは。でも、フランカさんに似てきたというのは褒め言葉ですね」

「ダメよ、メリア。私の前で他の人の名前を出さないで」

「従者としてそれは無理があるのでは……」

「ふふっ、半分は冗談よ」


 お嬢様は立ち上がると前のめりに、私の胸元へと寄りかかってきました。そのまま顔を隠したままで話します。


「あのね、よく聞いて――――決めたことがあるの。貴女がいない時間を独りで過ごしていて、私自身が決意したことよ」

「……どうか教えてください」

「お兄様やお姉様に、つまりはこの国を統べる者たちに貴女の曲と私の歌を聴いてもらう。それから、大勢の人々に」


 表舞台へと立つ表明。それは思いもよらない言葉でした。驚くと同時に、求めているのが歓声や脚光でないのを悟ります。そうではないのです。お嬢様が願っている未来、そこにあるのは今まで退け、避けていた、旋律。そしてもしかすると新しい時代の音たち。


「安心なさい、すぐにではないわ。けれど十年後なんて待っていられない。私は……証明したいの。この耳で生まれてきたのは間違いでなかったって。貴女と出会えた、それだけでもこの耳に価値はあるわ。そして私の歌は……悪い冗談なんかではなくて、本物の音楽として、人の心を響かせると自負しているわ。これって驕りかしら?」


 お嬢様が顔を上げて私の両肩に腕を乗せ、口づけを交わすような距離感でそう訊きます。


「――違います。それは、ロザリンド・セインヴァルトの矜持であり、音楽への愛です」

「よく言ってくれたわ。メリア・リズトゥール、私の隣をこれからも歩いてくれると言うなら、その誓いとして……」


 言い終わる前に、その可憐な唇に私は自分の唇を押し付けました。柔らかな感触。頭にひらめく音。紡がれるメロディ。


 今この時をもって曲が完成したのです。


 ――さよなら、耳なし令嬢。

 

 いつかそう私たちが笑い合える日が来ると信じられました。


 ベールを脱いで、仮面を外して、名も知らない大衆たちからの邪な噂から解放される明日を。


 さよなら、耳なし令嬢。

 ありがとう、幾万の旋律たち。

 はじめまして、新しい音色。

 この世界で私たちは響き合っていくのです。願わくばいつまでも、いつまでも……。

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ひたむきな竪琴弾きはひねくれ異種族令嬢を響かせたい よなが @yonaga221001

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