第12話 俺が変わった理由 side トキ
妙な胸騒ぎがした――とでも言えば恰好がつくんだろうけど、俺は本当にたまたま、ジュースを買いに部屋を出ただけだった。
いつもと違う場所で、いつもと違う静けさ。落ち着く。騒がしい大橋と一日中一緒だと、さすがに疲れた。
「(晩御飯まで俺のおかずを取ろうとするし……倉掛さんのことも。アイツ、横取りが好きなのか?)」
と言っても、倉掛さんが別に俺の物ってわけではない。むしろ、すごい勢いで友達になりつつある。彼氏彼女じゃなく、友達。
「長期戦、か」
そう呟いた時だった。自販機の近くで話声が聞こえる。男の声?何を言ってるんだ?
――「深く考えなくていいから!その、友達から、仲良くなりたいなって……!!」
――「だから、どう?倉掛さんっ」
「!?」
倉掛さん――
その名前が聞こえた途端、俺の足は動いていた。見ると確かに、倉掛さんがいる。しかも、誰だか分からない奴に腕を掴まれて、ひどく怯えている様子だった。俺は走って二人の間に行き、そして――
ガッ
「ごめんけど、離してやって」
男の手を掴んで、強引に倉掛さんから手を離させる。男は俺を見て「あ、吾妻!」と驚いて、罰の悪そうな顔をした。
「ちゃんと見て、倉掛さん嫌がってるから」
「お、俺はただ、倉掛さんを誘ってるだけだ!」
「……こんなに怯えてるのに?」
「え……?」
その時に、男はやっと冷静に倉掛さんを見たらしい。男を避けるように俺の後ろ隠れる倉掛さんを見て男は「あ……」と眉を下げた。少しは懲りたか?
「倉掛さん、ごめん……その、熱くなり過ぎた」
「え……あ、あの……」
「でも、さっきの話は考えといて。また、答えを聞きに、」
すると、俺の後ろにいた倉掛さんが、隣に来る。俺の背中に手を回し、服をギュッと握っている。
「(また、何かを頑張ろうとしているのか……)」
小さな彼女の、優しい心。健気さ、そして普段は見せない可愛さ。それに気づいた時、どうしたって皆が惹かれてしまう。俺も――その一人だ。目の前の男も、きっとそうなんだろう。
「(相条さんが言っていたのは、こういう事だったのか)」
『トキくんはそうでも、他の男子は違うからね?砂那の可愛さに気づいた男子が、この二日、砂那に押し寄せるかもよ?』
俺が前から知っていた倉掛さんの魅力に、皆気づき始めている。そして倉掛さんも、その中の誰かと付き合ったり……するんだろうか。俺じゃない、誰かと……。
「(行かないで)」
声を大にして言えない事が、こんなにももどかしいのかと思い知らされる。倉掛さん……早く、俺の物にならないかな――なんて思うと狂気じみてる気もするけど……。でも倉掛さんが笑うその時に、隣にいるのは……俺がいい。
俺だけで、いい。
「あ、あのね、林くん……っ」
「うん!」
俺が物思いに耽ている間に、倉掛さんは覚悟が決まったのか口を開く。
「私、林くんとは……帰れない。ごめんなさい」
「え、いや……えっと、他に付き合っている人がいるの?」
「ううん……いないよ」
ホッと安堵する俺。
その時――俺の背中で俺のシャツを握る倉掛さんの手が、ギュッと力を込めた。
「でも、他に好きな人がいるのっ。だから、林くんとは……」
「!?」
「そ、そうなんだ……わ、分かった」
素直に引き下がる林だけど……え?倉掛さん?え?いま、なんて?
『他に好きな人がいるのっ』
頭の中で、倉掛さんの言葉がグルグル回る。倉掛さん、いつの間に……っていうか、誰なんだ?俺の知ってるやつ?それとも……大橋?
トボトボと帰ろうとする林を、倉掛さんが呼び止める。
「あの、林くんっ」
「え?」
「その……誘ってくれて、ありがとう」
ペコリとお辞儀をする倉掛さん。林は眉を下げて笑って「やっぱり、いいな」と呟いた。俺だけが聞こえてしまい、複雑な気分になる。
「友達なら、なってくれる?」
「も、もちろんだよっ」
「じゃあ、またね。倉掛さん」
「うん。またね、林くん」
二人、円満に手を振って別れる。でも、心穏やかじゃないのが俺だ。
廊下で二人きり、知らない男に腕を掴まれてるし、告白まがいのことされてるし、挙句の果てには「好きな人がいる」って爆弾発言してるし……。
「(ヤバい……ちょっと、いや、かなり……凹む)」
ズルズル……とその場に座り込む。倉掛さんはビックリしたらしく「トキくん!?」と背中をさすってくれた。
「やっぱりトキくん調子悪かったんだね、しずかちゃんの言った通りだった……。トキくん、たくさん無理させちゃってごめんねっ?」
「(調子悪い?俺が?)」
「横になる?先生呼ぼうか?」
俺の周りをワタワタして忙しなく回る倉掛さんの手を、パシッと掴む。
「ひゃっ」
いきなり掴まれた事により倒れてしまった彼女は、座って胡坐をかいていた俺の足の中にポスンと落ちて来た。
「……っ」
「あ、あの……トキくん……?」
いきなり、倉掛さんの顔のドアップが目の前に来て……やばい。絶対、いま顔が真っ赤だ。でも、赤面しているのは倉掛さんも同じだった。と言っても、倉掛さんの場合は「俺だから」ってわけじゃなくて、この態勢が恥ずかしいんだろうけど。
「トキくん……ごめんね重いよね。降りるね」
「……」
もし、倉掛さんがさっきの林って男を好きになったら……付き合って、抱きしめあったり、キスしたり、もちろん――その先だって……。
「それは……嫌だな」
「え?」
俺の上から退こうとした倉掛さんの小さな体を、ギュッと抱きしめる。小さな体。同じ宿のお風呂を使っているから、今は俺と同じ石鹸の匂いがしている。なんか……酔ってしまいそうだ。この体勢に、雰囲気に。
「と、トキくん……っ」
俺から脱出しようと、一生懸命にあがく倉掛さん。でも、そんな彼女を更に腕の中でキツく抱きしめた。
ギュッ
「行かないで……」
「っ!」
「倉掛さん、ここにいて……」
倉掛さんの肩に、俺の頭を置く。すると倉掛さんは、まだ俺が調子悪いと思っているのか「大丈夫だよ」と頭を撫でてくれた。あたたかい、とても優しい彼女の手――
「トキくん、色々ありがとう。トキくんがいなかったら、私、今日をこんなにも楽しめなかったよ。トキくんがいてくれて良かった。いつも助けてくれるトキくんは……私のヒーローだね。いざと言う時に頼りになる、そんなカッコいいヒーロー」
「……っ」
なぜだか泣きそうになった。久しぶりに聞いた、その言葉。俺がその言葉を聞いたのは、二回目。俺が変わるきっかけになった、彼女の思い――
受験の日に倉掛さんに会って、そして恋をした。嬉しそうにする顔も、悲しそうにする顔も、全てが愛しく見えて……。一目惚れってやつなんだろうけど、内面に惹かれたのも事実で。早く会いたいって思ったら、合格発表の日に、彼女と友達を見かけた。
その時に――聞いたんだ。
『砂那、高校入ったら、何したい?』
『ん~……あのね、恋……してみたい』
『え!?どうしたの砂那がそんな事いうなんて!ちょっと、どんなタイプが好きなのよ。教えなさいよ~』
『え、えへへ、えっとね……』
恥ずかしそうに俯く君が言ったのは、こんな言葉。
『いざと言うときに頼りになるカッコいい人』
そう君が言った。
そして、俺は思ったんだ。
『(今の俺には、当てはまらない――)』
今の俺じゃダメだと思った。だって俺は……見た目からしてダサいし、身長も低いし、何より……自分に自信がなかった。
もしも倉掛さんが不良に絡まれたら?
他の男に言い寄られたら?
『守れない、よな……こんな俺じゃ。見た目から舐められそうだし……』
俺自身がもっとかっこよくならなきゃ、強くならなきゃって思って……イメチェンした。牛乳もダメ元で大量に飲んで、筋トレもした。運動もできないと、と思って、入学式までにたくさん習い事を入れた。そして、だんだん自分に自信がついた、そんな時――俺は君と、再会したんだ。
だけど変わりすぎた俺に、倉掛さんは気づかなくて……それに、気づいたと思ったら「友達」だと言われた。
長期戦――
俺の恋は、受験の日から始まっている。
今更、挫けない。
諦めない。
俺はずっと、君だけが好きだ。
俺が告白して、君に振られるまで、ずっと――一途に君を、想い続ける。
「(倉掛さんが好きな人と両想いになるのが一番……だよな)」
好きな人の幸せを、願い続けたい。そう願える自分でいたい。俺が全力を出して、その時に倉掛さんが振り向いてくれなかったら、その時は諦める。
でも、もしも……俺の方を少しでも見てくれるなら、
その時は――
「(君の手を掴んで離さない。絶対に――)」
「……トキくん?」
「え……あ、うん。ごめん。もう大丈夫」
「私も、いつまでも足に乗っちゃって……ごめんね。降りるね」
ヨイショと可愛い掛け声をして、倉掛さんは俺から降りる。立ち上がった倉掛さんが、俺に「ど、どうぞ」と遠慮がちに手を伸ばした。
「立てる?無理はしなくていいからね」
「うん……立ちたい」
その手を、握るためなら。
「よいしょっ、トキくん。大きいだけあって重たいね!筋肉がすごいのかな?」
「……見る?筋肉」
「え、遠慮しておきます……」
恥ずかしそうに手で顔を隠す倉掛さん。その姿が可愛くて、笑ってしまった。すると「もう平気なの?」と倉掛さんが心配そうに俺を見た。そういや、俺が調子悪いと勘違いしてたっけ……。
「どこも悪くないよ。元気だから」
「そ、そう?ならいいんだけど……」
「むしろ倉掛さんは、どうしてここに?」
聞くと、彼女は目を大きく開けた後に、照れているのか伏し目がちになる。モジモジと、足を動かして……。
どうしたんだろう?
倉掛さんこそ、調子悪いんじゃないのかな?
「どこか悪い?」
「や、じゃなくて……その、これ……パジャマ、見てほしくて……トキくんに」
「え……俺に?」
「うん、だって選んでくれたし……ど、どうかなって……」
恥ずかしそうに両手を広げて、頭をコテンと倒す倉掛さん。
「〜っ!」
いや、それは……反則すぎる……っ。
淡いパステルカラーに少しだけレースが入っていたり、ヒラヒラが裾にあったりと……女の子感満載のパジャマだ。完璧に俺の好みで選んでしまったけど……でも、それが倉掛さんにとてもよく似合っている。
「(どうしよう、目の前に、天使より妖精より可愛いのがいる……)」
その後の事は、言うまでもなく……。「そんな恰好で出てきちゃダメ」と注意をして、部屋の前まで送る。なんとか消灯時間までに帰すことが出来、ホッとしている俺とは反対に、
ガチャ
「トキくん、ありがとう。また明日ね」
一度締めたドアを開けて、それだけを言うために顔を出す倉掛さん。「また明日」と言うと、倉掛さんは、はにかんで手を振った後にドアを閉めた。
パタンっ
「今日はもう寝れないな……」
楽しいことも悲しいことも、辛いことも嬉しいことも――全部ぜんぶ、君からもらっている気がする。それをいつか、二人で分かち合えたら……なんて思ってしまう。
「俺と同じ”好き”っていう気持ちも、倉掛さんがいつか経験してくれたらな……」
もちろん、相手は俺で。
その時に、廊下の明かりがパッと消える。どうやら消灯時間が来たようだ。
「……暗いな」
明るかった廊下は瞬時に暗くなり、足元の明かりと、非常口を知らせる緑のマークだけが光っていた。暗い帰り道。時々、明るい場所。
それはまさに、自分の恋路と同じだなと――そんなことを、思ってみたりした。
トキ side end
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