2-32:山菜採りの朝

 雪乃と空がそんな話をしてから少し後の、天気の良い朝の事。

 今日は山菜採りに行こうと雪乃と約束していた空は、そわそわと出かける時間を待っていた。

 朝ご飯の後片付けを終え必要な道具などを揃える雪乃を、空はフクちゃんをもみもみしながら大人しく待つ。

「ねぇフクちゃん。フクちゃん、ちょっとおっきくなった?」

「ピ!」

 空がそう問うと、フクちゃんはちょっと胸を張って高く鳴いた。フクちゃんを手で揉んだときの感覚から、何となく少しフクちゃんが大きくなった気がしていたがどうやら気のせいではなかったらしい。

「なんでおっきくなったの? フクちゃんってそだつの?」

「ホピ……ピキョ?」

 その問いにはフクちゃんも首を傾げた。どうやら本人も何故かは知らないらしい。

「空の魔力が少し増えたのではないか? 多分、フクは空の能力に影響されるのだぞ」

「え、ぼくのまりょく、ふえたの?」

「ああ、大きくなれば少しずつだが増えるものだぞ。空はここに来てから大分背も伸びたしの」

 背が伸びた、という言葉に空はパッと嬉しそうな笑顔を浮かべた。周りには大人や年上の子供しかいないので、成長している実感が空にはあまりなかったのだ。背が高くなっているというのは空にとっては嬉しいことだった。

「ホピピ、ピピ!」

「フクちゃんもおっきくなってうれしい? よかったね!」

 空は一回りふくっと大きくなったフクちゃんを撫でながら、ふと自分の胸に下がった守り袋に視線を落とした。

「テルちゃんも、おっきくなるのかな?」

 テルちゃんは相変わらず午前中は、守り袋に入れた依り代の石の中で眠っていることが多い。

「テルはどうかの……あれはよくわからぬな。まだ眠っている時間も多いし、それが短くなる事はあるかもしれぬな」

「そっかぁ。はやくもっとおきてられるといいね!」

「うむ。まぁ、そのうちそうなるのだぞ。それより空、そろそろ雪乃の準備も終わるから、草鞋を履くか」

「うん!」

 空は元気よく頷くと立ち上がり、玄関へと走って行く。しゃがみ込んで愛用の草鞋を手に取ると、ヤナがそれを受け取って小さな足に履かせてくれた。

「さんさい、なにがあるかなぁ」

「裏山なら、少し入った所でも色々あるぞ。ワラビやゼンマイ、タラの芽とかだな」

「おいしい?」

「空の口に合うかどうかは、試してみなければちとわからぬなぁ。すぐに食べられぬものもあるしの」

 すぐに食べられないというのは少し残念な話だ。空は雪乃が作る煮物によく入っているゼンマイの姿を思い出した。あのゼンマイは、干してカリカリの黒い紐のような状態で保存されているのだ。

「とったの、ほしたりするの?」

「それは山菜それぞれで違うのだぞ。アク抜きをしたり、サッと茹でてから干して保存したりな。タラの芽なら採ってすぐに天ぷらにできるかの」

「てんぷら!」

 空はその言葉を聞いてパッと顔を明るくした。

「空は天ぷらが好きかの?」

「うん! てんぷらおいしいからすき!」

「そうか。なら天ぷらの準備をして待っているのだぞ」

 ヤナがそう言って頷くと、支度を終えた雪乃が玄関にやってきた。長袖のシャツとズボンという動きやすい服装で、背には愛用のナップサックを背負っている。

「天ぷらって聞こえたけれど、今日の夕飯の相談かしら?」

「うむ、空は山菜の天ぷらが食べたいそうだぞ。天ぷらの具になるような山菜を頼むぞ」

「わかったわ。タラの芽のちょうど良い大きさのがあると良いわね。さ、行きましょう」

「うん! ヤナちゃん、いってきまーす!」

「ああ、いってらっしゃい」

 手を振るヤナに見送られて、空は雪乃と一緒に玄関を出た。

 すると出てすぐに、玄関前に幸生が立っていて誰かとしゃべっている事に気がついた。幸生は作業着姿で、腰には竹製の籠を着けている。

「あ、アキちゃん! おはよー!」

「おはよー、そら!」

「空ちゃん、雪乃ちゃんおはよう」

「おはよう、美枝ちゃん。今日はよろしくね」

 幸生と話していたのは美枝と明良だった。今日は二人と、そして幸生も一緒に山菜採りに行くのだ。

「いまねー、おじちゃんに、おねがいしますってしたとこなんだ!」

 明良はそう言って嬉しそうに幸生を見上げた。

 今日は元から幸生と雪乃、空の三人で山菜採りに行く約束だったのだが、裏山にタラの芽などを探しに行くと空から聞いた明良が参加したがったのだ。

「おれ、まだたらのめ、じぶんでとったことないんだ! やってみたい!」

 そう強く主張され、美枝は雪乃に相談を持ちかけた。

 裏山に行くには明良の年では本当はまだ少し早い。だが幸生たちが空を連れて行くのと一緒なら安全だろうということで、美枝と二人で参加することが決まったのだ。空は明良と一緒にまた山菜採りに行けるというだけで嬉しいので、歓迎だった。

 いつもはワンピースとエプロン姿のことが多い美枝も、今日は山歩きをしやすい服装をしている。

「アキちゃん、たのしみだね!」

「うん!」

 二人は向かい合って笑い合う。

 そんな可愛い孫の姿に幸生は思わず天を仰ぎかけたが、側に来た雪乃に背中を叩かれ、気を取り直して空をひょいと持ち上げた。

「坂道を歩いたりするから、空はじぃじと一緒に行きましょうね」

「うん!」

 大きな肩に乗せてもらって、空はご機嫌で頷く。

 空の肩に乗っていたフクちゃんも、幸生の頭にさっと下りてちょこんと座り込んだ。

「しゅっぱーつ!」

 空がそう叫ぶと、幸生がうむと一つ頷いて歩き出し、その隣を明良が楽しそうに歩く。雪乃と美枝はお喋りをしながらその少し後ろを歩き始めた。

 頼もしい祖父母や明良たちが一緒なら何も怖い物はない。

 空はわくわくしながら幸生の頭にしがみ付き、初めて入る裏山をじっと見つめた。



 細く、緩やかな坂道は林の中へと続いてゆく。

 空は物珍しそうに木々を眺め、そこかしこで芽吹いている草を見つけては幸生に声を掛けた。

「じぃじ、あのやわらかそうなくさ、たべられる?」

「食えない」

「あのはなは? あとあっちのはっぱ!」

「あの花も食えない。葉は食えないことはないが……まずい」

 空は食べられそうな山菜がないか熱心に探すのだが、どれがそれかもよくわかっていない。とりあえず目についた淡い緑の草や葉、見慣れない花などを適当に指さして聞いてみる。

 幸生はその度に律儀に、頑張れば食える、毒がある、美味しくない、などと応えた。

「たべられるの、このへんにあんまりないの?」

「一応あるけれど、美味しいのはもう少し奥ね。ほら、そこにこごみが少し生えてるけれど、細いでしょう?」

「あ、ほんとだ!」

 空は幸生の肩から乗り出すように、雪乃が指し示す道端を見下ろした。

 道端の草むらの中から、確かに見たことのあるくるりと丸まった草が何本か頭を覗かせている。しかしそれは確かに去年皆で採ったものよりもひょろりと細長く、どことなく頼りなげな姿だった。これなら絡みつかれても、空でも振りほどくことが出来そうだ。

「日当たりとか水場が近いとか、植物ごとに好きな場所があって育ちも違うのよ」

「そうなんだ……じゃあ、じぃじはいいのがあるとこ、しってるの?」

「うむ。任せろ」

 幸生はそう言って深く頷く。空にはその姿がとても頼もしく見えた。

「あ、そら、あれのくきはたべれるよ!」

 食べ物を熱心に探す空を笑って見ていた明良が、不意に少し離れた場所に生えた丸くて大きな葉の草を指さした。

「ほんと? あれなぁに?」

「あれは蕗ね。空ちゃん、フキノトウは知ってるでしょ? あれはその葉っぱよ」

「ふき! ばぁばがにたやつ、たべたことある!」

 蕗は茎の中が中空で、それを甘辛いきんぴらのように煮た料理がとても美味しい。

 空がよく見ようと幸生の肩から身を乗り出すと、雪乃が慌ててそれを止めた。

「空、あそこのはあんまり大きくないみたいよ。あれももっと良いのが採れる場所があるから、またにしましょう」

「そうなの? じゃあ、あとにする!」

 もっと良いのが採れる場所があるなら、慌てなくても良いと空は納得してまた幸生に掴まる。

 しかしその蕗の横を通る時、空はふと気になって雪乃を振り向いた。

「ねぇ、ばぁば。ふきって、なくの?」

「蕗は鳴かないわねぇ」

「じゃあ、にげる?」

「大丈夫、逃げないわよ空ちゃん」

 折り取るときに可愛い声で鳴いて採った後もころころと逃げ出すフキノトウと、蕗は違うらしい。それなら去年のような罪悪感はなさそうだ、と空はホッと胸を撫で下ろした。

「蕗は手を伸ばすと茎を捩って避けるから、素早く捕まえるだけでいいわ」

「……そっかぁ」

 ホッとしたのも束の間、やはり一筋縄では行かないらしい。

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