第31話 二人の嫉妬 『義弟が隣に』

 それからおよそ一週間後。

 

 お母様の初七日を済ませた宗一さんが中野家にやって来た。

 義父は話しを聞いたあと、彼に会いに行ったらしく、


「三味線弾きや女形もしていただけあって、一見、女かと思うほど軟弱な容姿をしているが、花柳に知り合いも多そうだし、装飾の京都支店にでも置いておけば看板になるかもしれん」


 養子に迎え入れることを前向きに考えられて、本日から同じ住居で生活をすることになったのだ。

 ……ここまでは予想通り。


 果たして、宗一さんが中野家に馴染めるか(と心配している私も未だそうであるとは言い難いが)、彼自身が畑違いの仕事でやっていけるか、長男の嫁として焦らず見守っていかないといけない。



「はじめまして……ではないですね、お義姉さん」


 邸内での初顔合わせで、宗一さんは少し照れたように笑った。

 可愛い。

 やはり美少年だ。


「そうですね。ホテルの園庭ではご挨拶もできずに……ごめんなさい」


「いいえ。大事な行事の最中に突然訪れた僕が悪いので」


 声まで美声。

 まるで居間に歌手がいるようだ。

 お唄を歌われていたからか、良く通る声だった。


「琴子です。宜しくお願いしますね」


 挨拶を終えた私を、一郎さんの後ろにいた添田さんがつまらなそうに見ている。

 私のすることなすこと全て気に食わないのだろうか?


「じゃ、夕方まで僕は工場のほうに宗一を連れて行ってくるよ」

「はい。いってらっしゃいませ」


 一郎さんがはりきって宗一さんを連れて外出していく。

 あの方は誰かに仕事を教える時が一番生き生きとしているように思う。面倒くさがり屋なんだかそうでないのかよく分からない。


「随分と呑気な性質なのですね、奥様は」


 皮肉めいた声で添田さんが言い、私はできるだけ表情を変えないで振り返った。

 もうこの人の言葉に惑わされたくない。


「呑気でいてはいけないのですか?」


「……あの子が中野家に入ってくれば、奥様の存在価値が下がるかもしれませんよ」


「存在価値?」


 添田さんがメガネを上げて頷く。


「どういうことですか?」


 もしかして、跡取り云々の話? 

 それならはじめに頭に浮かんだことだった。

 

 結婚してから私は、長男の嫁としての子供を作らなきゃいけない責任を特に感じてはいなかったが(一郎さんが女性を抱けないと見合の時に話していたので)、弟がいたことで、彼が結婚すればその負荷が少し減ると考えたのも事実だ。


「奥様のお考えは甘い」


「え」


 何も言ってないのに、ピシャリと否定される。

 怖い。

 やっぱり、この人、他人の考えや気持ちが読み取れるの?


「あの子は、ちょっと要注意ですね」


「……添田さんは宗一さんのことは反対なのですか?」


「僕が反対などできる立場でないことはおわかりでしょう、どんなに気心しれた間柄でも、所詮は雇い主と使用人ですから」


 切ない言葉を残し、少しだけ哀愁を漂わせて、添田さんが居間を出て行く。


 それと入れ替わるように、タエが取り込んだ洗濯物を抱えてこちらへやって来た。何だか顔が赤いように見える。


「奥様、あの麗しの少年は今夜からこのお屋敷で暮されるのでしょうか?」

 

「ええ、そうですよ。一郎さんのご兄弟ですからね」


 タエの顔がさらに輝いた。


「そうなんですね! 女中たちの間で “美少年が来た” って噂で持ち切りなんですよ。皆、あの方のお世話をしたがってます」


 自分と同い年くらいかと思っていたが、こうやって宗一さんのことを話す時のタエは少女のように幼く感じる。実際はまだ二十歳にもならないのかもしれない。


「そう、今日から好きなだけお世話できるわよ」


 篭の洗濯物を上から順に取って畳みながら、私は呑気に笑っていた。

さっき挨拶した宗一さんは、どう見てもか弱い少年で、添田さんが言うようなも必要なさげだったから。


 ところが――


「二階なんて嫌だよ」


 戻ってきた宗一さんを、掃除したばかりの二階へ案内しようとしたら、拒まれてしまった。


 義父が用意した部屋を、宗一さんは気に入らないご様子。


 理由は、二階の部屋は主に使用人や物置にあてがうこと多く、そこだと、″家族 ″ として認められていないようで淋しいと言うのだ。


 わかるような、でも、十八歳にしては言い分が少々子供染みてるような……。


「そんなこと言ったって、母屋の一階には空きの部屋はないんだ。二階は日当たりもいいし、湿気が少ないし悪い事ばかりじゃない」


「それでも一階がいい」


  一郎さんが宥めるも、この場に義父がいないせいか、宗一さんは思いのままを口にする。


 彼のために綺麗な布団を二階に持って行こうとした女中が、困ったように二人のやり取りを見ていた。


「兄さんたちが住んでいる離れには空きがあるんじゃないの?」


 黙って話を聞いていた私も、思わず、「え」と驚き、声にしてしまう。

 確かに離れには、私達の寝室と居間があり、その隣に四畳ほどの未使用の小部屋があるが、それは襖一枚で仕切られているだけだ。

 話し声その他もろもろが駄々漏れになる。


「あるにはあるが、かなり狭いぞ」


 一郎さんが、腕を組んで考える様子を見せる。

 広さの問題じゃないのですが……。

 そう喉まで出かかっていたけれど、グッと堪えた。


「別に兄さんたちの部屋には入らない。でも、隣なら孤独を感じずに済むと思うんだ」


 おたつさんの位牌と遺影を抱えて、潤んだ瞳でそう言われれば、一郎さんが彼を突き放すはずもなく、


「慣れたら二階へ移動しろよ」



  私達の寝室の隣に、義弟が住むことになった。










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