第15話 袴のアリス2

 悪寒がアリスの背筋に走った。


 アリスは恐怖に任せて、後ろに飛び跳ねる。

 先程までアリスの居た場所を薙ぎ払う、竹刀。


 アリスには、自分の影を真っ二つにする立花 みずきが視えた。


 ギリギリ躱せた。

 もしもフェイテルリンク・レジェンディアで命をかけた実戦を経験していなかったら、反応もできなかっただろう。


「速いね」


 立花 みずきは呟いて、再び姿を消す。


 アリスが恐怖に任せて左に避けるとアリスの影を貫く、竹刀。

 だが立花 みずきの突きは、それで終わらなかった。


 竹刀が急に軌道を変えアリスに襲いかかる。アリスは寸でで躱そうとしたが、袴の裾を踏んで、大きく転んだ。しかしアリスは転んだ事で、なんとか竹刀を躱せた。


 アリスが、さらに転がりながらから立花の縦振りを躱す。

 立花 みずきは追撃をしない。

 剣道では、仰向けに転んだ相手に攻撃を仕掛けていいのは一度だけなのだ。


「・・・はっはっはっはっ・・・」


 しかしアリスは恐怖のあまり尻餅をついたまま、立花 みずきに竹刀の先を向ける。

 まるで盾のように。


 立花 みずきが転んだアリスを見下しながら、静かに尋ねる。


「良い感覚。でも、こんなつまらない試合を続けて、何になる?」


 ここで審判の「止め」が掛かった。

 アリスは〝盾〟を向けたまま、ゆっくりと立ち上がる。


 2人は中央に戻って試合を再開。


 再開と同時、立花は気合の声を発してアリスに飛びかかる。

 これに盾で、応じるアリス。


「――っ ――っ ――っあぁあ!!」


 激しい竹刀のぶつかり合う音が、鳴り響く パァン パァン と、火薬が爆ぜるように静まり返った『かわさき体育館』を、支配する。


 アリスは辛うじて、立花の竹刀を受け止め続ける。

 けれど、アリスは理解わかっていた。


(――立花さんのこの攻撃は〝違う〟・・・・本命の打ち込みじゃない)


 わたしの隙を、作り出そうとしている。


(わたしに隙を作って、無防備にして攻撃しようとしている)


 もしわたしが僅かでも隙を見せたら、躱せない一撃が来る。


 だからアリスは隙を作らないように、自分の隙を見た。

 アリスは初めてだった――〝自分の隙〟を探すという行為は。


 視えた〝自分の隙〟そこに立花 みずきが、竹刀を滑り込ますように突っ込んでくる。


 アリスは、なんとか予想ができたこの攻撃を、辛うじて弾き躱した。


 ギリギリで防ぎきった、立花 みずきの本命の打ち込み。

 ――だが、この行為でアリスの心に残ったのは、絶望だった。


 攻めの剣道を自負し、先の先をとる戦い方を自分の戦いだと自負してきた。

 なのに、初めて行った〝脱走〟〝及び腰〟〝遯竄とんざん〟。


 自分の行いに愕然とするアリスに掛かったのは、冷たい声だった。


「刀は盾じゃない、武器だよ」

「ああ―――あああ」


 アリスは気づいてしまった。ある瞬間から、自身が自分の竹刀を盾と呼んでいたことに。


 立花の温度を失った声に、アリスには自身の剣道が瓦解し始める音が聴こえ始めた。




 鈴咲 涼姫もまた、観客席で愕然としていた。


「怖がってる――、あの八街さんが―――私と違って、いつでも笑っていて飄々ひょうひょうとしてる八街さんが―――」


 でも――。


(それでいいの? だって八街さん、ここまでずっと攻めて攻めて勝ってきたのに、貴女をお祖父ちゃんに認めさせたいのに―――なら貴女が貴女じゃ無くなっちゃったら、駄目なんじゃ―――貴女じゃない貴女を認めさせても、それって違うんじゃ・・・・)


 鈴咲 涼姫は、周りを見回した。


 彼女は人間が怖い。それはもう、人前で目立てば足が震えるほど、息が出来ないほど怖い。

 だけど、普段は怖がらない八街さんが――今、怖がってる、震えてる、怯えてる。

 なら、その恐怖を飲み込んであげるには――。




 八街 アリスは、震えながら立花 みずきを理解しようとする。


「どうすれば・・・この人は何なのか理解しないと、・・・そして何か相手の弱点を・・・」


 八街 アリスが、再び思考の沼に嵌りそうになった、刹那。


 静まり返ったかわさき体育館に――震えた、怯えた、恐懼きょうくした・・・・今にも千切れそうな声援が響き渡った。


「や、やち、またさぁん、がんばれぇ…」


 剣道の試合では許されない声援に、体育館の全員が声の主を見た。声の主はとたんに表情の色を失って、顔面を蒼白にした。

 けれども、声の主は俯いても止めなかった。


「や、やちまたさぁん、が、が、が、―――頑張れぇぇぇえええぇぇぇぇぇぇええええええ―――ッ!!」


 絶叫、全力の――頼りない声量。

 さらにはアナウンスで『応援は拍手のみでお願い致します』という叱りまで受けてしまう。


 声の主は、さらに顔を真っ白にして声を出せなくなったようで、俯いてパチパチと小さく拍手をしていた。

 けれど、八街 アリスの闘志にもう一度火をつけるのには、これで十分だった。


 八街 アリスは〝あの〟鈴咲 涼姫が人前で大きな声を出したことに驚いて、しばらく呆然とした。

 そうして気づく。


(ああ、そうか―――違ったんだ)


「アハハ…」


 気づいてしまった八街 アリスは、竹刀をこめかみに当てて笑う。


「私は何をしていたんだ―――」


 伝わった気持ち。

 そう――自分が戦わなくてどうするんだ。

 これは自分を認めてもらうための―――自分の戦いではないか。


 立花 みずきを見る。

 この子の幻想ばっかり追いかけて。


 私は、この子の何を怖がっていたんだ。


 噂とかシミュレーションとか、視えない技とか大きな幻影とか。

 なにが〝この人は何なのか理解しないと〟だ。

 この子が化け物とか、そんなのどうでもいいじゃないか。


 自分を失ったから、自分がフィルターを掛けていたんだ。「怖い」って勝手に想像を膨らませ想像ばかり観ていた――だから余計何も視えなくなる。

 自分を見失ったから、自分が目を瞑っていた事にも気づいていなかった。


「あははははははっ!」

「なにを笑うの? 八街 アリス」

「自分が滑稽すぎて」


 言い終えた八街 アリスの顔つきが、変わる。

 一気にたぎった闘志。立花 みずきが危険に気づく。だが、その気付きは少し手遅れだった。


 アリスの送り足、蹴られた床、急な突進――不意の突撃に立花 みずきの反応が遅れる。


「―――!!」


「ごめんね、立花ちゃん。力任せに行かせてもらうよ!」


 反応は遅れたものの、立花 みずきはなんとか鍔迫り合いに持ち込んだ。

 しかし立花 みずきに、八街 アリスの日本人にはない西洋人譲りの大きな膂力りょりょくがのしかかる。


 小手先の技などない、純粋な力技。

 ぶつかり合う面同士、交差する視線。


「タ――」「ヤアアアアアアッ!!」


 立花 みずきが受け流しをしようとする前に、思い切りの突き飛ばしが、立花 みずきに炸裂した。


 立花 みずきは、バイクでも衝突したかのような威力にたたらを踏む。――完全にバランスを崩してしまった。


「面ェエエエエエエエン」

 

 容赦のない一撃が、立花 みずきの真上から振り下ろされた。


 白の旗が上がった。

 観客席にいる爽波高校剣道部の男子部員たちが、一斉に拍手をする。


「一本取った!」

「アリスが、一本取ったぞ!!」

「あの立花から、アリスが一本だ!!」


 騒ぐ男子の中で副部長は、ただ一人静かに試合場に視線を向ける男子に語りかける。


「塚原―――アリスがやりやがったぞ!」

「ああ」

「予想してたか?」

「いいや、アリスじゃ無理だと思っていた」

「そうか。なあ、アリスならお前に十回中、何回勝てる?」

「0だ、一本も取れやしない――立花 みずきからだって無理だ」

「ハハハ! お前は、本当にヒデェな」

「だが今、俺は予想を外した」


 塚原は、間違いを嬉しそうに語る。

 そして、不敵に笑った。


「頑張れアリス。俺にもお前を見せてくれ――俺の頭の中のお前なんか間違いだって、見せつけてくれ。それを繰り返せば、きっとお前の祖父も本当のお前を見ずにはいられなくなるさ」


 三度みたび白線を挟み、礼をする両剣士。


 立花 みずきが蹲踞から立ち上がり、俯いて嬉しそうな声音を静かに出す。


「―――ここからが、本当の試合」


 顔を挙げた立花 みずきの瞳に飛び込んできた、〝それ〟。

 立花は〝それ〟を視た瞬間、水鏡のようにしていた心を――僅かにざわつかせた。


 高く掲げられた、竹刀。


 背筋をしっかりと伸ばし、凛とした、見事な姿勢。

 アリスの、最も得意とする構え。


〝――――――〟



 会場にいた選手、審判、全ての剣道経験者たちの背筋に電流のようなものが走った。


 会場にいた人のほとんどは、知っている。

 立花 みずきは〝胴〟を得意とすると。

 ――対し、八街 アリスが決勝まで〝胴を晒す〟上段の構えで勝ち上がってきたことを。

 にも関わらず八街 アリスは、この立花 みずきとの試合では、上段を封印していた事を。


 立花 みずきが笑う。


「わたしの得意技は〝胴〟だよ」

「うん。絶対にやっちゃ駄目って、ウチの主将に云われたよ」


 しれっと答えたアリス。


「なら、どうして?」

「私は、〝面〟が得意だから」

「ふふ―――ふふふ」


 表情は変わらないが嬉しそうに笑う立花 みずきに、挑戦状でもぶつけるような声でアリスは宣言する。


「貴方と戦うのは主将じゃない、わたしだから! 得意を封じるんじゃない――得意をぶつけ合うんだ!」

「そうだね。そうしてこそ〝わたし達の戦い〟だ。――じゃあ試合、はじめようか」

「うん!!」


 立花 みずきが、中段に竹刀を構える。


 互いに、既に一本取っている。

 次に一本取ったほうが、この日を制する。

 それは、長い人生のたった一日かもしれない。

 けれどもしかすると、人生で一番輝く瞬間かもしれない。


(すごい。――ワクワクしてるのに心が静かだ)


 アリスの視界には、もう立花 みずきしか映っていなかった。

 観客も、審判も、風景も――噂もシミュレーションも、視えてはいなかった。

 ただ、小柄な立花 みずきが恬淡てんたんと立っていた。

 アリスにはその姿が、視るともなく観えてくる。


 隙き――いや、相手の気持ちすら意識しないで観えてくる。


(もしかしたら、これが塚原部長の言ってた〝明鏡止水〟なのかな――それともスウさんの言う〝ゾーン〟ですか?)


 でも、今はどっちでもいい。

 明鏡止水でも、ゾーンでも、他のものでも――ただ、今は。


 立花 みずきが、アリスの思いに答えるように返す。


「そう、今は言葉なんかどうでもいいよね。ただアリスがいて、わたしがいる。それでいい」


(うん)


「ヤァァァアアアアアア!!」


 アリスが、気合を返事に代えて突っ込む。

 思い出す、塚原部長の言葉。


『上段の構えはまるで隙だらけに視える。だが面を護っているし、何より速い。上段は小手も晒しているが、速さで覆せる。さらに、中段の構えも篭手を晒している』


 そして、高身長からの面。低身長からの胴。


 条件は五分。


「面ェエエェェエエエェェェ――」

「胴ォオオォォオオオォォォ――」




 ―――勝ったのは―――




『神奈川県予選優勝、立花 みずき』


 会場が拍手に包まれる。


『神奈川県予選準優勝、八街 アリス』


 再び拍手。


「・・・っ、うぅ・・・」


 アリスは、涙が止まらなかった。

 しゃくりあげるアリスの隣の立花 みずきが、声をかける。


「悔しいよね―――準優勝」

「・・・・・・うん・・・」

「あと一歩なのに届かなかった準優勝。三位なんかよりずっと悔しい」

「・・・・・・うん」

「わたしはまず。この春、関東大会を征す。だから、」

「・・・・・・」

「アリスは、夏、全国で優勝を取りに来て」


 アリスは何も応えない。


「また戦おう」

「・・・・・・」

「インターハイで」

「うん―――っ」

「約束ね」

「約束する!」


 指切りを交わす、二人の女剣士。


 彼女たちを遠くから見ていた鈴咲 涼姫もまた、瞳に涙を浮かべていた。

 

「すごい戦いだった―――本当に」


 涼姫は、背後の窓から空を見上げる。

 そこは高く高く、誇らしい蒼をしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る