第13話 《G》の真相……お着替えの法則。

前書き:

※伏せてはありますが、身体の描写が出ます。

 ラキスケが発生しますので、ご注意ください。

――――――――――――――――――



「ぱっと見た感じは普通だけど、ぬめりがひどいし、細かいところでカビも見られる。これは、けっこう労力がかかりそうだな」


 かおるはゴム手袋とマスクを着用して、換気扇を回した。

 浴室に入ると、カビ取り剤を一面に散布し、長いハンドルのブラシを使って、天井と壁を上から下へ洗う。特に、カビが生えている場所は、重点的に擦る。

 浴槽内には浴槽用のクリーナーを散布し、スポンジで洗う。蛇口やシャワーヘッドも忘れず洗い終わったら、シャワーでよくすすぐ。この時、できればお湯の方がのぞましい。


 あらかた綺麗にはなったが、豪華な浴室の特性上、床のタイルは目が細かい内装になっている。床にはタイル用洗剤を吹きかけ、ブラシで目地の間をしっかり洗うと、ぬめりや汚れが落ちる。排水口周りは特に念入りに洗い、排水溝にたまっていた汚れや脂質を一掃するため、強力な塩素系クリーナーを投入する。これは、三十分ほど放置してから流す。


 仕上げに、光沢を出すため、蛇口やシャワーヘッドには研磨剤入りのクリームクレンザーを、鏡にはガラス用スプレーを、浴槽や床には専用ポリッシャーを用いることによって、浴室は、入居時同然の光沢ある姿を取り戻した。


「――かおる君には、驚かされてばかりね。あなた、前世もこういう仕事をしていたんじゃないの?」

 冬木は感心のあまり、浴室の入り口で立ち尽くしている。

 白く輝くタイルは、まるで新築時のような艶を取り戻していた。蛇口は光を反射して煌めき、浴槽は清潔な白さを主張している。


「前世のことは分からないが、もしも前世も誰かに尽くしていたのなら、今回もそういう運命にあるらしいな」

「もしかしたら、前世もわたしに仕えていたのかしらね」

「それは、俺を買ってくれているということか?」

「もちろん。かおる君ほど、家事ができる男の子なんて、どこにもいないもの。まあ、でも……かおる君がいいというのは、単に便利だからという利用だけではないわ」

「どうせ、扱いやすいとか、そんな理由だろ?」

「さて、それはどうなのかしらね?」

「あるいは、冬木の毒舌に耐えうる男子が、俺だけだったのかもな」

「それも、理由のひとつかもしれないわね? だけど、かおる君でなくちゃならない理由は……もっと、もっと、大切なこと。かおる君、だからこそ……料理も、浴室の掃除も、任せられるの」

「だからそれは、俺が他のやつよりも、家事ができるから……って、なんか、堂々巡りの話になっていないか?」

「いいえ、わたしはちゃんと、意義のある話をしているわよ。勝手にループさせているのは、かおる君の方ね」

「よく分からないけど、風呂も張れたようだし、さっさと入ったらどうだ? 俺は、ご主人さまの後でお邪魔させてもらおう」

「そうね。早速、入らせてもらおうかしら」


 言うが早いか、冬木はブレザーとニットベストを脱ぎ捨て、スカーフをするりと解くと、今度はシャツのボタンに指をかけた。

 しかし、男子として枯れているかおるは、彼女の脱衣に興味はない。


「着替えは、後で持ってくる。冬木が上がるまで、俺はリビングで待機していよう」

 広大なリビングに取り残されたかおるは、やや持て余した時間を過ごしていた。視線を落とすと、そこかしこに埃や塵が転がっている。


「この馬鹿でかいリビングも含めて、まだ手つかずの部屋が山ほどあるな。トイレの掃除も残っている上……そもそも、下着やタオルの収容棚も足りていないし、風呂上がりの足拭きマットすらなかった。インテリアにこだわるなら、ソファーや観葉植物も必要だろう。内装に合わせたカーテンや、テレビデッキだって欠かせない。……まったく、当分の間は、冬木の家に通い詰めることになりそうだ」


 身体を洗い終えた冬木が再び汚れないようにと、かおるは手早く掃除を済ませていく。廊下からリビングの一部まで、最低限の清潔さが確保された。残すは、冬木の着替えを用意して脱衣所まで運ぶだけ。


「しかし……分からないものだな。着痩せというのは、物理法則を無視していないか?」

 冬木の下着とバスタオルを取り出した時、思わず目に入った英数字に、かおるはふとした疑問を口にした。


《G65》……男子高校生のかおるでも、この《G》という文字の持つ意味の重さを理解できる。実際、その下着は両手に収まりきらず、折って畳まなければならないほどだ。

 しかし、冬木の骨格は華奢であり、とてもこんなブラジャーは似合わない。着痩せするとはいっても、豊満な胸を持っているようにも見えない。


 まだ《あこがれて買った》と言われた方が、よほど説明が成り立つだろう。


「いや、だが……確かに体操服姿の冬木は、別人かと思うほどのスタイルだったな。女子の骨格、体型とは……あれも含めて、いったいどんなマジックなんだ……」


 服装ひとつで、時に儚げな少女に、時に完璧なプロポーションへと変貌を遂げる。

 事実と論理だけを信じるかおるにとって、それは解明すべき最大の謎となっていた。


「まさか……パッドか? プライドの高い冬木なら、それも十分にあり得る話だ」

 本人の前でこんな推測を口にすれば、またマクラでも投げ込まれそうな発言だが、かおるはこの推論に確かな手応えを感じていた。


『分かったら、わたしの身体美を、金輪際愚弄しないこと。いい?』


 以前、自分を貧乳呼ばわりした時の冬木の反応を思い出す。あの時の彼女は、明らかな不満を顔に浮かべていた。完璧を求めるお姫さまは、体型においても一点の曇りも許さないのだろう。

 そこで冬木は、現代女性の秘密兵器、《パッド》の力を借りることにしたのではないか。

 どこかの雑誌で読んだ記事によると、パッドさえあれば、理想の体型も夢ではないという。たとえサイズの合わない大きな下着でも、パッドを贅沢に詰め込めば、願いは叶うかもしれない。


「謎が解けた。冬木のパッド事情は……まあ、この話題には触れない方が身のためだろう」

 ひとりでに納得したかおるは、着替えとバスタオルを脱衣所に置いて踵を返す。


「また、散らかってるな……やれやれ。これも、俺が片付けておこう」

 そしてかおるは、再び掃除の続きに移った。

 まずかおるの目に入ったのは、玄関周辺に無造作にちりばめられた衣類の数々。まるで脱衣の痕跡を示すかのように、彼女の下着類が床に点々と連なっている。


 速乾性インナー、スポーツブラ、サポートインナー、体操服、シャツ、ニットベスト、ブレザー、スカート、ニーソックス……。


 幾つかの下着は、かおるの知識にすらないものだ。なぜ、女子の下着は、こうも種類が豊富なのか。……いや、そもそも冬木が、これほどの重ね着をしていたという事実の方が驚きだ。


「もしかして、インナーを重ねることで、スタイルアップを狙っていたのか?」


 だが、その的外れな推理に確信を深めようとした瞬間、かおるの目の前には、予想もしなかった光景が広がることとなる。


「「――えっ?」」


 洗面所のドアがガチャリと開き、水滴を零す足音が、静かに近づいてくる。

 その音に振り向いた瞬間――かおるは、一糸纏わぬ姿の冬木を目撃してしまうのだった。


「……」


 月明かりのような白い肌が、かおるの視界いっぱいを埋め尽くす。

 水滴に煌めく金色の髪が、優美な肩のラインから胸元にかけて、まるで絹のカーテンのように流れ落ちている。


 くびれのあるたおやかな腰、砂時計のようなシルエット、細く長く伸びた脚……。


 その全てが芸術品のような美しさを放っていたが、特に際立っていたのは、制服の下に隠されていた真実。

 パッドの力を借りているというかおるの推理は、完全な見当違いだった。


 髪のカーテンが大部分を覆い隠しているものの、その特徴的なシルエットは見て取れる。

 デコルテ部分のボリュームはほとんどなく、谷間もない。ここだけ取り上げれば、貧相な身体に見えるだろう。

 だが、下っていくにつれて、それは驚くべき角度でツンと張り上がり、頂点から下部にかけては、豊かで美しい半月が反るように描かれている。この釣鐘のような形が、大きく着痩せする要因となっているのだろう。


 髪の上からでも分かるそれは、紛れもない《G》の存在感を示していた。


「~~っ!」

 時が止まったかのような沈黙の後、冬木が我に返った。

 彼女は細い腕で慌てて胸元を隠し、小さく身を屈める。上目遣いの視線には、いつもの強気な態度がなく、代わりに冬木は、目の端に切なげな雫を溜めていた。


「や、やっぱり、かおる君も男の子なのね。いくら、澄ました風を装っていても、わたしの身体を、そんなに見たかったということかしら」


 覗き魔の烙印を押されたかおるだが、彼の思考回路は全く別の謎に直面していた。

 そもそも論として、なぜ彼女はこのような姿で玄関まで来る必要があったのか。

 その謎を解明することの方が、かおるにとって喫緊の課題だった。


「お前……着替えは、どうした?」

「ふ、ふふん。また、そうやってはぐらかすのね。素直に、認めたらどうかしら? かおる君は、わたしの身体が見たかったのでしょう」

「いや……全裸で玄関をうろつく方が、よっぽどおかしいだろう。冬木は、どうしてここまで歩いてきたんだ?」

「どうしてって……そんなの、決まっているじゃない。わたしはほら、いつも玄関で脱ぎ捨ててる・・・・・・・・・・・・って言ったでしょ。朝になったら、直ぐに出かけられるよう、って……あ」


 そこで冬木の言葉は、切なげに途切れた。

 そう。彼女はいつもの習慣で、玄関にこそ着替えがあると、勝手に思い込んでいたのだ。

 ぽいぽいと、適当に服を脱ぎ捨てていた自堕落な習慣が、ここに来て、思わぬ形で報いを受ける羽目となったのだ。


「お前……俺の話を、聞いていなかったのか? タオルと着替えは脱衣所にあるって、確かにそう伝えたはずだが」

 かおるは溜息まじりに額を押さえる。

 いかなる予想外の事態を想定していても、こんな展開だけは想像の埒外だった。


「だ、黙りなさい。わ、わわっ、わたしの身体を見てしまった事実は消えないのだから、言い訳なんて通用しないわ!」

「いや、本当に掃除してただけなんだが」

「だっ、だいたい、その反応はなんなの! わたしの、この完璧な身体美を目の前にして、脳内に永久保存しておきながら、どうしてそんなに平然としていられるの? 何か、言うべき感想があるんじゃない!?」


 動揺のあまり、冬木の目は目まぐるしく泳ぎ、耳まで真っ赤に染まっていた。しかし、かおるにとっては、そんな彼女の反応さえも、いまは関心外のことだった。


 確かに、彼女の身体美は、もはや完璧という言葉をも超えていた。華奢な骨格ゆえに、通常のGと比較すれば、体積はそこそこ劣るだろう。それでも、髪の上からでも分かるあの質量感と形状だけは、否定することができない。


 感想を求められれば、かおるはこう答えるしかないのだった。


「《G》は、本当だったんだな」

 すると冬木は、むっと不満げな顔を見せると、大事なところを隠しながら立ち上がる。

「さ、散々言ったでしょう。わたしは骨格的に、かなり着痩せしやすいの」

 その訴えるような声には、長年の苦悩を理解されなかった苛立ちが混ざっていた。

「てっきり、パッドだと思っていたんだが……大きな謎が、ようやく解けた」

「かおる君らしい、実に愚かな推測ね。わたしは、骨格や体型の都合上、どうしても着痩せしやすいのよ。まあ……体育の日とかには、もっと意図的に隠すことがあるのだけれど、でも、ただそれだけのことで、パッドを入れる必要なんてないわ」

「納得はしたが……それはそうと、すまない。こんな形での、鉢合わせになるとはな」

「だったら……そうね。わたしからも、一言言わせてもらうわ」

 冬木はあくまで強気な態度を取り繕って、こう告げた。

「かおる君の、ばか」

 いつもの理不尽な冬木の悪態も、この時ばかりは受け入れる他ないだろう。

 冬木が脱衣所へと消えていくと、かおるは黙々と掃除を再開させた。

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