最終話 ノーリグレットチョイス
「――地上に
研究室でココとモニターを共に眺めながら、時雨は深々と頷く。
「そして、天空鬼とタイクウさんの脳を比較しましたが……彼はまだ人間です。正気を失ったあの時は、直前にかなりのストレスを受けていたことが強く影響していたのかもしれません。もちろん、今後も注意深く経過をみていく必要はあると思います」
そこで一旦言葉を切って、ココは時雨の顔を見つめていた。上目遣いで、躊躇いがちに口を開く。
「問題なかったんですか? 彼らを自由にするだけではなく、運び屋のお仕事まで許可してしまって」
「それなりの制約はつけたがな。だが、それはどちらかと言うとこちらの台詞だ。ブラウこそ、良かったのか? 君のご両親は――最初の天空鬼の被害者だ。きっと誰よりも悲劇の種を蒔くことに抵抗があるし、彼らを憎む気持ちもあるだろう」
時雨がそういうと、ココは何故か不思議そうに瞬きをした後、力を抜くように笑った。
「確かに私の両親は、一番初めに天空鬼に襲われた航空機に乗っていました。初めは天空鬼を憎む気持ちもあったのかもしれません。それが、タイクウさんの存在を知って、希望に変わったんです。ひょっとしたら、私の両親は姿を変えて生きているかもしれないって。……まぁ、研究を進めていく内にタイクウさんが特例だと分かって、すぐにその希望は打ち砕かれてしまいましたが」
ココはそう言って、少し寂しげな笑みを浮かべる。
「今では両親のためにも、今の私にできることをやろうという気持ちが強いです。それにタイクウさんたちには是非、私にとっての『予想外』でいていただきたいんです。その方が、研究者としては面白いでしょう? 正直かなり迷いましたが、他の天空鬼とタイクウさんに明らかな違いが見られる限りは、ボスと同じようにお二人を信じてみても良いかと思ったのです。ヒダカさんも、強い覚悟を決めてくださってますしね。もちろん、少しでも異変があればすぐに報告させていただきますけど」
毅然として言ったココの言葉に引っかかりを覚えて、時雨は思わず眉を寄せる。
「二人を信じる……?」
「あら、自覚されてなかったんです?」
ココはタブレットで口元を隠し、笑い声を漏らした。
「許可を出したということは、そういうことでしょう? ボス、隠そうとしてますけど身内には甘いタイプですし。弟さんには特に……ですし」
喉を詰まらせたような声を上げた時雨は、誤魔化すように咳払いをした。
「ハーヴェイにも、似たようなことを言われた」
「むう。あの人と同じというのは、ちょっと複雑ですね」
ココが口を尖らせると、タイミングを見計らったように研究室の自動ドアが開いた。
「おお、大将ここにいたのか! 新しい戦闘機の開発に関する予算についての相談なんだが――ん? ハニー、なんだその口をひきつらせた珍しい表情は!? そんな表情も最高にチャーミングだな!?」
「なんでレイジャーさんはそうなんですかっ!」
この二人は大丈夫なのだろうか。色々な意味で。
時雨は思わずため息を吐いた。
研究室を出た時雨は、自分の執務室に戻ってきた。そして、部屋の奥にある扉を開く。窓もないそこは通信室となっており、彩雲の政府とも話ができる通信設備が揃っている。薄暗い部屋には机と椅子が一組と、巨大なモニター付きのコンピューターが置かれていた。
部屋の照明をつけた時雨は、ジャケットの胸ポケットから一通の封筒を取り出す。真っ白で何も書かれていないそれは、一度綺麗に開封された跡があった。
時雨は椅子に腰かけると、ヘッドフォンをはめ、手元のパネルを操作する。指先の動きは彼にしてはどこかぎこちない。やがて、断続的な音が耳元に響いたかと思うと、モニターが一人の女性の姿を映し出した。
ああ、昔はもう少し髪が長かっただろうか。十年も経っているが、確かにあの時の面影がある。
ショートボブの栗色の髪を揺らし、彼女はペールピンクの唇を震わせた。
『時雨、さん……?』
「ああ。久しぶり、だな。手紙をありがとう」
時雨の声は震えて、言葉遣いもぎこちない。彼女、桜は目尻をそっと指先で拭うと、とても綺麗に微笑んだ。
『届いて良かった。やっぱり運び屋さんは優秀ね』
「弟たちのこと、世話をかけてしまって申し訳ない。本当に感謝する」
いえ、そんなこと。桜は激しく首を横に振って、時雨の言葉を否定した。
『私の方が助けられてるもの。私の方こそ、あの二人に感謝だわ』
桜は少し視線を落とすと、口をまごつかせながら話を続けた。
『手紙にも書いたのだけど、その……私はまだ地上へは帰れない。お店とお客様のことが大切だから。だけど貴方に、私の気持ちだけは伝えておこうと思って。あれから十年も経っているのに、重い、わよね。自分勝手に気持ちを押し付けちゃって、本当にごめんなさい! 私のことは、どうか気にしないで』
「いつか」
思わず少し腰を浮かせて、時雨は桜の言葉を遮る。目を丸くする彼女の表情に顔が熱くなり、時雨は意味もなく眼鏡に触れた。
「いつか、地上と彩雲が昔のように自由に行き来できるようになった時には――その時には、君に私の気持ちを聞いてほしい。十年以上も胸に秘めて、煮詰めてしまった気持ちだ。非常に煩わしいかもしれないが、それまで、その――待っていてくれるだろうか?」
呆けたように目を丸くしていた桜が、やがて顔全体を桃色に染める。
時雨の胸の中は、まるで春が訪れたような暖かさで満たされていった。
「重たいのは恐らく、私の方だからな」
珍しく微笑を浮かべて告げると、桜は瞳を潤ませながら蕩けそうな笑みで頷いた。
「おい! 俺の食器や調理器具一体どこに入れたんだよ!?」
「えっと、その段ボールの中かなぁ?」
「これか――うおおおっ!?」
「あ、ごめん。僕のクッションだった。ウササギくん生誕十五周年記念限定の顔クッション」
「突然目の前にこの顔は心臓に悪りぃだろうが!? くそ、全部適当に放り込みやがって」
「ご、ごめん。えー、どこに入れたかなぁ? あー! こんなことなら、事務所すっからかんにして出て行くんじゃなかったぁ!」
藍銅鉱は解散だと、タイクウが家具一式と荷物を全て片付けてしまった弊害である。
大型家具は潔く処分しまったものも多いため、買い直すのには時間がかかるだろう。おかげで当分、運び屋の営業は再開できそうにない。
必死に段ボール箱を開きながら、タイクウはふとヒダカに声をかける。
「ねぇ、ヒダカ。ココさんの話、どう思った?」
「ああ!? どうって?」
「いや、その、天空鬼の起源の話だよ」
タイクウは彩雲に戻る前、ココから聞いた話を思い出す。
「天空鬼が人が変化したものであると仮定して、その根源はどこなのだろうという疑問を、私たちはずっと抱いてきました」
窓もない箱のような小さな部屋で、二人はココと向かい合っていた。
彼女がタブレット端末で差し出したのは、一見タイクウにはなんのことだか分からないデータの数々である。
「その根源を探るため、あらゆる点からアプローチをしてみたのです。その結果、この地球は私たちが想像するよりも遥かに長い歴史を持っていることが分かったのです。それこそ、今までの我々が積み重ねてきた歴史を、もう一度繰り返せるほどです」
ココはタブレット端末から顔を上げ、タイクウとヒダカの顔を交互に見つめる。
あくまで仮説ですが、前置きした上で、彼女は重々しく口を開いた。
「天空鬼の正体は、変化、いえ、進化した旧人類なのではないかと」
タイクウたちは互いに顔を見合わせる。お互い、ピンときていないような表情をしていた。
「私たちが生まれるよりも昔、私たちのような文明を築いた旧人類は……なんらかの原因で滅亡の危機を迎えます。そこで何を食べても生きていけるように、厳しい環境でも生きていけるように、意図的か偶然かは分かりませんが、体を変化させたのではないだろうかと」
「じゃあ、僕の体が変わってしまったのは?」
「恐らく、血液ですね。原点に立ち返って、タイクウさんが初めて変身した時の状況をもう一度詳しくうかがいましたよね? あの時のタイクウさんは怪我をされていて、反撃のために天空鬼を攻撃、その血を傷口に浴びて双方の血が混ざりあった。その際に、天空鬼になり得る何かに感染……とでも言いますか、体を作り替える何かが入り込んだのだろうと思います」
ただし、同じ条件でみんなが天空鬼になると仮定すると疑問が残り、タイクウには偶然変身できる素質があったとしか言うことはできないらしい。
「その何かが分かれば、タイクウさんの体を元に戻すことも可能だと思われます。私も、最後まで諦めません!」
力強く告げたココは、そこで顔を伏せると、ひとりごとのように呟いた。
「まだまだ不明点も多いですが……もしかしたら天空鬼は、旧人類が生き残るために下した決断だったのかもしれませんね」
「まぁ、ピンとはこねぇけど、それですぐにアイツらがいなくなるわけでも、俺らのやることが変わるわけでもねぇしな。研究は専門家に任せりゃいい。それより、テメェこそ大丈夫かよ?」
「え、何が?」
瞬きをしながら首をかしげると、ヒダカは言いづらそうに視線を落として言った。
「その、天空鬼の正体って元人間だってことが、ほぼ確定したわけだろ? それで、天空鬼を倒すことになんか、その、ねぇのか?」
「ああ、そのこと」
タイクウはふにゃりと眉を下げると、頬をかいた。
「んー、まぁ、僕がこうなってる時点である程度予想はできてたことだしね。一応、その可能性も視野に入れて、運び屋をやろうってことにしたんだよ」
「はぁ!? なんだよそれ! あーあー、そうだわ。テメェは昔から変なところで腹括るの早えぇんだよな」
「はは、そうかもね」
タイクウはふと目を伏せ自分の右腕を見つめた。
「――ねぇ。条件付きで運び屋、一応続けられることになったけどさ。もしも本当に僕が」
「万が一の時は、どんな手を使ってでもテメェのことを止めてやる。だけど俺は、タイクウを元の体に戻すことも、俺の夢も、最後まで諦めねぇからな」
ヒダカの視線は伏せられていて、表情までは分からない。けれど、彼の声は力強い決意に満ちていた。
どんな手を使ってでも、その言葉に含まれた手段を察しながらも、タイクウは柔らかく微笑んで頷く。
「うん。ありがとう、ヒダカ」
この先のことは何も分からない。けど、あの時、ヒダカの手を取ったことを後悔しないように。その為に、今できることをやって、少しずつ前に進んでいこう。
きっとまだまだ、後ろを振り返りたくなる時があるだろうけど。
「先に謝っとく! ごめん! ヒダカ、これからもよろしくね!」
「――あ? それは何のための謝罪だ?」
「えー? うん、お察しの通りかなぁ。これからもいっぱい後悔して色々迷惑かけるかなぁって」
きっと何度でも、前を向いて歩いていけるはずだ。
「少しは改善の努力をしろ! この、後戻り野郎があぁぁぁっ!」
「わぶっ!?」
飛んできたウササギくんのクッションが、タイクウの顔面を直撃する。
込めた「願い」の変わった彼の髪の毛が、ふわり宙に浮かんだ。
了
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