第7話

 私がフランツさんとしゃべっているところに、別の司書らしき人がやってきた――司書はエプロンをしているから、わかりやすいのだ。


「おやおや、フランツがナンパしているとは珍しい。こりゃ雨でも降るのかな?」


 淡い緑色の髪を緩く伸ばした青年が、にこやかに微笑んでいた。


 フランツさんが真っ赤になって青年に応える。


「カールステン! 何馬鹿なことを言ってるんだ!」


 青年――カールステンさんが人差し指を立てて口に当てた。


「シー、静かに。ここは図書館だぞ?」


 慌てたフランツさんが、バツが悪そうに黙り込んだ。


 私はニコニコと微笑みながら告げる。


「今日から司書になりました、ヴィルヘルミーナ・シュライバーです。ヴィルマと呼んでください」


「ああ、君が例の、オットー子爵夫人のお気に入りか。

 平民がどうやってここに就職する伝手なんて作ったんだい?」


 言葉は辛辣だけど、カールステンさんから悪意は感じられない。


 たぶん、歯に衣を着せられない人なのだろう。


 私はニコリと微笑んで応える。


「ヴォルフガングさんから魔導書の写本を依頼されたんですよ。

 それを五日足らずでこなしたら、何故かスカウトされました」


「五日?! 五週間の間違いじゃなく?!」


「ええ、間違いなく四日半ですね。五日目の午前中に終わったので」


「それ、どんな本だったんだ?! まさかヴォルフガング様が、初歩的な本の写本なんて頼まないだろう?!」


「えーと、マクシミリアン・フォン・ノイマン侯爵の『最新霊子力学解析』ですね。全九十八ページです。

 なんだか私の仕事ぶりが気に入ったとかで、その写本をディララさんにも見せてましたよ?」


 カールステンさんは、戸惑うように自分の顔を手のひらで抑えていた。


「嘘だろ、霊子力学の権威じゃないか。

 なんで平民が、あれの写本をできるんだよ……」


 またその質問かー。なんでみんな、そんなに驚くのかなぁ?


「なんでと言われても、いつの間にかできるようになってたんですよ」


 フランツさんも、なんだか信じられないという顔で私を見ていた。


「君の実力はさっき見せてもらったが、写本までできるってのかい?

 さすがにそれは、話を盛り過ぎだよ……」


 私は小さく息をついて応える。


「別に信じてくれなくてもいいですけど、嘘つき呼ばわりされるのは気に入りません。

 どうすれば信じてくれますか?」


 カールステンさんがパチンと指を鳴らして告げる。


「そうだ、サブリナの所に連れて行こう。それでわかる」


 フランツさんが困ったように眉をひそめた。


「カウンターに誰も居なくなるのは困る。そうなると、私は置いてけぼりじゃないか」


「ハハハ! お前には後で結果を教えてやるよ」


 私はカールステンさんに背中を押され、司書室とは別の部屋に向かって歩いて行った。





****


 修復室というプレートが張られたドアをカールステンさんが軽く叩くと、中から「どうぞ」と声が聞こえてきた。


 そのまま私たちが中に入ると、中では一人の若い女性が、防魔眼鏡ヴェールをかけて本の修復作業をしていた。


 丁寧に羊皮紙の上からインクで文字を書き直している女性は、緊張しながら作業しているようだ。


 一文字書き終えた女性が、ペンを置いて一息ついた。


「――ふぅ。何かしらカールステン。私に何か用? 今忙しいんだけど」


 カールステンさんが私の背中を押しながら告げる。


「今日から入った新人のヴィルマだ。

 こいつ、魔導書の写本ができるらしいんだよ。

 それなら修復作業もできるだろ? やらせてみたいんだ」


 若い女性――たぶん、この人がサブリナさんだろう――が、顔をしかめて私を見つめた。


「えー、そんな子供に修復なんて、やらせられる訳がないじゃない」


 私は内心でムッとしながら応える。


「これでも十六歳、大人ですよ?

 それに修復作業なら、第五図書館でも毎日やってましたから、慣れてます」


 サブリナさんが、私をまじまじと見つめて告げる。


「……あなた、司書歴何年よ?」


「えーと、十五歳になってすぐに司書見習いにしてもらったので、一年ちょっとですね」


「はぁ?! たったの一年程度のキャリアで、魔導書の修復ですって?!

 司書の仕事、舐めてるの?!」


 私は何と答えていいか困ってしまって、眉をひそめて応える。


「舐めてなんて居ませんよ。私だって、毎日誇りをもって仕事をしてますし。

 でも、今まで魔導書を損壊させたことは一度もありませんよ?」


 サブリナさんが怪訝な顔で私に告げる。


「……今まで何冊の本を修復してきたのよ?」


 何冊? 何冊だろう? 数えてこなかったしなぁ。


「えーと、多い時で一日二十冊は修復してましたし、それを毎日なので、平均十冊としても単純計算で……三千冊以上じゃないですか?」


 サブリナさんが目を見開いて驚いていた。


「はぁ?! 一年で三千冊?! あんた、でたらめを言っても修復なんてさせないわよ?!」


「いえ別に、私が修復作業をしたい訳ではないですが。

 でも嘘を言ってると思われるのは心外です」


 ニヤニヤと様子を窺っていたカールステンさんが、笑顔で告げる。


「な? 面白い人材だろう? 言ってることが本当なら、私たちは大助かりだ。

 五万冊に及ぶ蔵書を、たった五人の司書で管理してるんだからな。

 だからどうだサブリナ、その修復作業、ヴィルマに任せてみないか?」


 サブリナさんは、私を睨み付けながら考えこんでいた。


「……そうね、根拠もなく疑うのは良くないわ。

 あなたがそこまで言うのなら、試しに修復作業をしてご覧なさい。

 もし失敗しても、私がなんとしてでも修繕してあげる」


 うーん、よくわからないけど、修復すればいいのかな?


「わかりました。その本を修復するんですね――」


 私は懐から防魔眼鏡ヴェールを取り出して装着すると、慎重に損傷具合を調べていく。


 ……うーん、何度も上書きしてるから、文字が読み取りづらくなっちゃってる。


 サブリナさんは頑張って文字を入れ直してるけど、これじゃあ滲んで読めないよ。


 ふぅ、と一息ついた私はサブリナさんに告げる。


「新しい羊皮紙を用意してください。ページを差し替えましょう」


 サブリナさんが目を白黒させながら声を上げる。


「はぁ?! これだけ劣化した魔導書のページを差し替えるの?!」


「そんなに劣化してます? これくらいなら、そんなに難しくないですよ」


 私は手袋をしてから≪剥離≫の魔導術式で装丁を丁寧に剥がし、折り丁を綴じている紐を≪切断≫で切り離し、抜き取っていく。


 あっという間にばらけた紙を、丁寧に机の上に置いて損傷しているページを取り出した。


「……サブリナさん、紙とペンをください」


「――あ、そうね。ちょっと待ってて」


 慌てて新しい羊皮紙を取りに行ったサブリナさんが、紙とペンを私の横に置いた。


「ごめんなさい、丁度いい大きさの羊皮紙がなかったわ」


「問題ありませんよ。本の大きさはわかりましたから」


 私は新しい羊皮紙を、本のサイズに合わせて≪切断≫で綺麗にカットしていく。


 今度はその羊皮紙の上に、損傷したページの記述を丁寧に写していった。


 サブリナさんの声が聞こえる。


「……凄い、なんでそんな速度で、そこまで劣化した文章を読めるの?」


 カールステンさんの声も聞こえる。


「読む方も大概だが、書く速度もとんでもないぞ。

 なんでこの速度でペンを走らせて、これだけ綺麗な字が書けるんだよ……」


 私は周囲のノイズを無視しながらページを写し終わり、元のページと新しいページをサブリナさんに見せた。


「ダブルチェックをお願いします。読めないなら言ってください。自分でやりますから」


 まぁダブルチェックを一人でやる意味なんて、ほとんどないけどね。


 サブリナさんは私からページを二枚受け取ると、慎重に読み比べて行った。


「……完璧ね。いえ、完璧以上よ。潰れて読めなかった文字が、読めるようになってる」


「ああ、読めなくなっていた部分も当然、修復してありますよ?」


 私はサブリナさんから新しいページだけ受け取り、≪乾燥≫の魔導術式でインクだけを乾かした。


 今度は折り丁を束ねて新しい絹糸を通し、きっちり結わいていく。


 最後に≪粘着≫の魔導術式で装丁を丁寧に張り付け直し、ため息をつく。


「――ふぅ。終わりました。

 どうですか? ちゃんと修復できたでしょう?」


 サブリナさんに修復が終わった魔導書を手渡すと、彼女は修復箇所を改めて眺めていた。


「……嘘みたい。なんでページ差し替えが、こんな短時間でできるのよ」


「そりゃ、魔術を併用してますからね。

 普段はあまり使わないんですけど、その魔導書はばらしておくと良くないので、手早く済ませました」


 きょとんとした二人は、私の説明に対して疑問符を浮かべていた。

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