第14話 誘惑 side 縁
穂乃花にホテルに誘われたのは、ごく自然な流れだった。向こうも本当の話をする気はないと思っているし、こっちもそれを分かっている。性交渉をするための口実だって、双方が理解している。
だけど、生憎だったな。
俺はそんなことをする気は、サラサラない。
「嬉しい、まさか海木くんがノッてくれるなんて」
「……そうかな」
最近の高校生は、こうやってホテルに入っているのかと少し驚いたくらいで、それ以外の感想は何もない。これが思春期の男子だったら、もう鼻息荒く足早で向かうのだろうが……。でも、誘ってくれたのはラッキーだ。俺は本当に、この女に話があるのだから。
「さ、着いたよ」
「うん」
部屋に入った途端、穂乃花は俺の体に抱き着く。ギュッと、次第に力を込めながら、自分の体を俺に押し付けた。
「ずっと、こうしたかったの……」
こういう歯の浮くようなセリフに、本当に世の中の男子は落ちるのだろうか……。ゲッソリしながら、いいタイミングになるまで、彼女の好きにさせる。
「海木くん……」
色気のある声をだしていた、かと思えば「ふふ」と笑い始めた。なんだ?
「ふふ、ごめんね。いやね、おねーちゃんの事を思い出してたの」
「真乃花の?」
「うん。だって――あの”やりたいことリスト”ってゆーの?もう傑作じゃん?」
「(ピクッ)」
俺の言う「いいタイミング」というのは、この時だ。穂乃花が鶫下さんの悪口をいう時。この時を、待っていた――
「高3にもなって、あんな基本的な事もさせてもらえないなんて……私、ほーんとおねーちゃんがいてよかったって思ってるのよ」
「それは、身代わりって意味で?」
「そうそう。だって、おねーちゃんがいなかったらママの相手は私がしないといけないでしょ?そんなの真っ平ご免だわ」
「(なるほど)」
穂乃花も、あの母の事は嫌っているのか。いつも一緒に鶫下さんをイジメていたから、てっきり仲が良いのかと思いきや……違うらしい。すると突然、穂乃花は笑っていた顔をやめて、ギリッと奥歯をかみしめるような音を出す。
「この前、ママが言ってたじゃん?娘二人が家を出たら、誰が私の相手をするんだーって。私、あれを聞いてゾッとしちゃったのよねぇ」
「なんで?」
「だって、もしおねーちゃんが家出でもしちゃったら、もう私しかいないじゃん。あの家に私とママの二人きり。そうなると、きっと結婚もさせてくれないし、嫁に行くなんて大反対だと思う」
「(それは、確かにな)」
あの母親、普段は「ほのちゃん」なんて随分甘えさせているが、自分が窮地に陥った時は、迷わず手のひらを返すだろう。真乃花がいなくなれば、きっと次は、目の前にいる穂乃花だ。絶対に、離しはしない。嫁になんぞ、行かせないだろうな。
「でもね」
はぁ、と憂う穂乃花。その視線は、俺にくぎ付けだった。
「あの時、海木くんママに反論してくれたでしょ?あれ、すっごくしびれちゃって……忘れられないの」
「(……あぁ、そういうことか)」
そこまで聞いて納得がいく。どうして俺が穂乃花に呼び出されたのか――いわゆる、保険だ。
「穂乃花ね、海木くんがそばにいてくれたら心強いなって思うの。ママが私に変なことを言ってきても、この前みたいに海木くんが言い返してくれたら……穂乃花、すごく嬉しい」
「ようするに、ボディーガードをやれって?」
「えー違うよぉ」
否定はするが、顔は肯定している。薄ら笑みから、彼女のあくどい本音が漏れていた。
「付き合おうって言ってんの。ほら、海木くんカッコいいでしょ?私……ずっと前からタイプだなって思ってたんだぁ」
「(嘘八百だな)」
いい加減、芝居するのも面倒になってきた。俺は彼女の肩を持って、グイッと突き離す。
「え」
穂乃花の顔は、衝撃を受けて固まっていた。
「悪いけど、断るよ。仮に俺と付き合ったとしても、穂乃花は違う人を好きになるよ。そして二股をする。賭けてもいい」
「そんな……!ひどい、どうしてそんな事をいうの……っ?」
泣くフリも板についたもんだ。困った時は、いつもそうやって周りを頼っていたんだな。いつも他力本願。そして嫌な事は、丸ごと鶫下さんに放り投げていた。
俺はそれが、ひどく許せない――
「穂乃花は、もうあの母親に洗脳されてる。自分さえよければ、それでいいんだよ。自分の駒になる物は使って、使い終わったらボロ雑巾のように捨てる。真乃花にしろ、俺にしろ――お前らは俺たちを心から想ってくれた事はない」
「ちょ、ちょっと待ってよ……。おねーちゃんは別にしても、海木くんの事をそんな風に思ったことないよ!なによ、駒なんて……そんなひどい事、誰が、」
「誰が?事実思ってるだろ。お前が。母親があそこまで狂ってると考えなかったのは、お前のミスだ。そして母親の本性を知ってすぐに俺に縋ったのも、お前のミスだ。透けてんだよ、母親譲りの下劣な思考が」
「!」
「俺はお前の駒にならない。せいぜい苦労するんだな。狂った者同士、傷をなめ合いながらずっと二人で生活しろ」
吐き捨てると、穂乃花は怒りを露わにした。
「ふざけんな!!」
さっきよりも、えらく低い声を発したかと思えば、近くの壁をダンッと腕全体で殴った。顔は、般若の形相だ。
「私があんな母親と同じ?小さいころから、あの母親の普通じゃないところは、この身をもって察してきたわ。だからこそ、反面教師で……私はうまく立ち回ってやろうって、そう思っていたのよ!あんな惨めな母親のようにはならないようにしようって!!」
「それは、実の姉を犠牲にしてまですることか?」
ギロッと、睨みを利かせる。だけど穂乃花は、俺を睨み返して反論した。
「そりゃそーでしょ!母親の目が自分からそれているのに、わざわざ矛先を変えようなんて思う!?おねーちゃんを庇ったその時点で、次の標的は私よ!?おねーちゃんみたいな生活を送るくらいなら、おねーちゃんを犠牲にしてでも、私は私の自由を選ぶわ!」
「真乃花は一度たりとも、お前に代わってほしいなんて思ったことはないぞ?」
「当たり前でしょ!だっておねーちゃんなんだから!姉が妹を守るのは、当然の事でしょ!?」
「!」
今まで抑えていた怒りが、沸々と、俺の中で沸騰している。そして煮え切った。こいつはまごうことなき――クズだ。
「真乃花の妹だから、もしかすれば改善の余地はあるかと思ったが。そうか、お前ら親子は、そうなんだな」
「な、なによ!」
「いや、ここまで来ると逆に清々しい。お前らにクズの素質がここまであるとは――調教しがいのある奴らだ」
「ひッ!?」
「真乃花をこれ以上、侮辱するな」
俺が手をブンッと横に振ると、この薄暗い部屋全体が暗い赤に染まる。そして、いたるところから「おいで」と言う声が聞こえ始める。
「な、なに!?なんなのよ……!」
「お前らクズの行く末だ。よかったな。あの世に行けば、クズはクズ同士で、気が狂うまで罵倒しあえるぞ。ま、もともと気が狂ってるお前らにとっては、生易しいもんか」
俺の言葉を聞く余裕はないのか、穂乃花は「いや!」と耳を塞ぐ。あちらこちらで手招きしている無数の手も見えているのか、穂乃花はついに悲鳴をあげて部屋から飛び出した。俺は逃げていくその背中に「念力」を送る。
――今度真乃花にひどいことをしてみろ
――お前が死ぬのを待たずに、すぐにあの世に連れて行ってやる
すると俺の念力が穂乃花の心に届いたのか「もうしませんー!」と廊下に声が響いた。それはまるで、負け犬の遠吠えだった。
バタンッ
「ふぅ……」
まだ禍々しい雰囲気のこの部屋で、パンパンと手を叩く。
「すみません、エキストラの方。ありがとうございました。おかげでうまくいきました。迫真の演技ですね」
すると、無数の手は「それほどでも~」と手を振りながら消えていった。
「いやー念には念をいれておいて正解でしたね……」
実は、穂乃花からホテルに誘われた時から、この部屋に着くまで……道行く幽霊たちを、こっそりと勧誘していた。もちろん、タダ働きになるが……ということも了承してくれた。こちらの期待に応えて、幽霊たちが絶妙なタイミングで出てきてくれたから、感謝しかない。
「ふっ。あの怯えよう……傑作だったな」
これで穂乃花も、鶫下さんに悪さをしないだろう。
「はぁ、よかった……」
ズルズル――と体が壁を伝って、地面に崩れ落ちる。全ては上手くいった。唯一よくなかったのは、思った以上に体力と気力を持って行かれたことだ。
「映画監督も、楽じゃないな……」
それから、命からがら家にたどり着き、鶫下さんの部屋に来たというのに。穂乃花とホテルに行くところを見られ「変態」と呼ばれる始末。
「(まあ、いいんだけどな)」
鶫下さんが今以上に傷つかないなら、それで。安心感と、達成感。体の中で芽生えたその二つが、俺を満足させた。だけど、
「はあ……体がつらい」
しばらくは、ベッドから身を起こせそうにないな……。
「……あ」
ベッドで横向きになると、少し離れた所に置いてある鏡が目に入る。そこには、青白い肌の俺が映っていた。
「こんな体たらくになって、何やってんだか……」
自分の事を結構「慎重派」だと思っていたが、鶫下さんのことになると後先考えずに突進してしまう癖がある。いつまでも、こんなやり方でやってたんじゃ……もたないぞ、俺。
「落ち着け、俺。落ち着け……」
鶫下さんを守る。早く治して、早く、彼女の隣に立つ。そのためには、もう少し冷静になれ。最短ルートで、なんとか彼女を幸せにするんだ――
「そのためには、早く……見つけなきゃな」
瞼が重くなって、俺の目はだんだんと閉じていく。すると、現実世界と入れ替わるようにして、すぐに白い世界が頭の中で広がった。
――早い夢のお出ましだな
ふう――と一息。そして夢の中の俺が疲れてもおらず、満足に体を動かせると知ると、
「じゃあ、行くか」
すぐに俺は足を進めた。その先に、俺の探している物がきっとあると、そう信じて――
縁 side end
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