第5話
バースタイン家本邸、執務室。
『ラヴィニア・バースタインの卑劣な悪業! 被害者が語る悪女の素顔!』
『クリストフ元王子殿下の身分差恋愛〜悪女も引き裂けぬ二人の絆〜』
「ふむ」
最悪な見出しが並ぶ最悪な新聞の数々を、セオドアが読み進めていく。ぺらりと紙を捲る音が聞こえてくるたび、ラヴィニアは小さく体を震わせた。
婚約破棄騒動のあと、クリストフは宣言通り、王位継承権を放棄して〝ただの人〟になった。噂のアンナ嬢とは、近々婚姻予定であるらしい。
この前代未聞の大事件は、世界各地に衝撃をもたらした。
なにせ次なる王と目されていた人物が、平民の娘と結婚するため尊い身分を捨てたのだ。激怒した国王はクリストフに絶縁宣言を叩きつけたそうだが、それすら処分としては生ぬるかった。時代が時代なら、相手の女が首を刎ねられもおかしくない。
だが驚くべきことに、国内外の新聞各社はこぞってクリストフの決断を称賛した。
理由は、ラヴィニアにある。
「〝悪役令嬢〟か。面白い称号がついたものだね」
セオドアは最後に手に取った新聞の紙面を指先で軽く弾いた。そこには『悪役令嬢ラヴィニアの犯罪記録!』という見出しがでかでかと印字されていた。
――結局、クリストフ王子の告発でラヴィニアが牢屋送りになることはなかった。決定的な証拠がないのだから、当然である。
しかし〝愛し合う恋人たちを引き裂こうとする悪女〟という存在は、人々に強烈な印象を植えつけたらしい。これに目をつけたとある新聞社が〝悪役令嬢ラヴィニア〟という見出しの新聞を売り出したところ、なんとその号は新聞社創設史上最高の売れ行きを記録してしまった。
そこから始まったのは、一大悪役令嬢ブームである。
悪役令嬢なる言葉に流行の兆しを見るや、どの新聞社も『身分差に苦しむ王子と平民少女の恋』と『それを邪魔する極悪非道な婚約者』の物語をこぞって書くようになった。中には脚色に脚色を加え、ラヴィニアが滝壺に落ちて消息不明になったと報じる記事まで発刊されたほどである。
結果、世論はクリストフ王子を支持する声で埋め尽くされ、ラヴィニアは〝悪役令嬢〟として、一躍時の人となってしまったのだった。
「本当に……申し訳ございません。私が、未熟だったばかりに……」
今にも消えてしまいたい気持ちをこらえ、ラヴィニアは声をしぼり出した。
一族を窮状から救うため王子の婚約者となったのに、結婚するどころか婚約を破棄されて、挙げ句の果てに王子は〝ただの人〟になってしまった。
今後しばらくは家業を手伝うことも、政略結婚の駒になることもできないだろう。なにせラヴィニアは、国内でも有数の著名人となってしまったのだから。
「こんなことになるなんて。私は……どうやってこの失態を償えば……」
失望されるのだろうか。それとも罵られるのだろうか。不安で途切れ途切れになりながら、なんとか最後まで言い切った。
傾きかけた家門を支えるつもりが、むしろとどめの一撃を加えてしまったも同然の結果である。このままでは一族も、どうなるかわかったものではない。
いっそ泣いてしまいたい気持ちを抑えて、ラヴィニアは父の言葉を静かに待った。
だが――
「いやいや。とても素晴らしいよ」
「……え?」
返ってきたのは、晴れやかな父の声だった。見ればセオドアはニコニコと、見たこともないほど上機嫌な笑みを浮かべていた。
「期待以上だ。正直、君がここまでやってくれるとは私も思っていなかったよ」
「あの。どういうことですか」
意味がわからなかった。これほど手ひどい失敗をしたというのに、どうしてセオドアは笑っていられるのだろう。
ラヴィニアがきょとんとしていると、セオドアは奇術の種明かしでもするかのように、事の真相を飄々と語り出した。
「実は以前から、私は第二王子殿下にお仕えしているのだよ」
「第二、王子?」
「そう、第二王子オルフェウス殿下だ。だが、順当に行くと第一王子が王位を継ぐことになるだろう。だから私は、第二王子殿下を穏便に、誰もが納得するかたちで王にする方法を考えた」
ぐらりと足元が揺れる感覚があった。涙を堪えて火照った頬から、急速に熱が失われていく。
これ以上は聞いてはいけない、と本能が叫んだ。けれども耳を塞ぐこともできなくて、ラヴィニアはただただその場に立ち尽くした。
「そこで考えついたのが、夢見がちな第一王子に身分の低い女をあてがう方法だ。愛する平民の女と婚姻するため、王子という身分を捨てる――なんて、いかにも彼が好みそうな話だろう? ただこの場合、我が子に甘い国王陛下が第一王子と平民女の婚姻を認めてしまう恐れがあった」
そこでセオドアは、震えるラヴィニアに視線を移した。
「だからお前と第一王子を婚約させたんだ。平民女にうつつを抜かした上に、大勢の前でお前との婚約破棄を宣言するような真似をされては、国王陛下であっても我が子を庇うことではできないからね」
「あ……あの……」
「で、結果はこの通り。第一王子は皆に祝福されながら継承権を手放し、第二王子殿下は自然な形で次期国王の座につくことになった。そして我々は表では落ちぶれながらも、裏では次期国王との強固な関係を結ぶことに成功したわけだ。本当に、これ以上ない結果だよ」
長々と語ったあと、セオドアは満足そうに紅茶を口にする。
その顔に嘘偽りの影は見当たらなかった。ただし、あえて語られずにいることが山ほどあった。
「お父様。つまりアンナという女は、お父様の手の者なのですか」
「ああ、そうだよ。王子の好みを調べ上げて、一番ふさわしい女を用意したんだ。金を握らせ試しに王子を誘惑させてみたら、たった一日で彼を虜にしてくれたよ」
「では彼女を暴漢に襲わせ、第一王子に『ラヴィニアが黒幕である』と情報を流したのも」
「私だ。第一王子ときたら、証拠もないのにすっかり信じ込んでくれて助かったよ」
そして義憤に駆られたクリストフは、ラヴィニアとの婚約破棄を決意することになった。
つまり婚約破棄騒動の引き金を引いたのは、他ならぬセオドアなのである。
「そんな……」
ぽつぽつと見えてきた真実を前に、これまで信じてきたものが音をたてて崩れていった。それでもラヴィニアは、追及する声を止めることができなかった。
「婚約破棄がきっかけで、私の悪名は国中に広まりました。その結果、今では国中の民がクリストフ殿下を祝福し、誰も第二王子殿下の躍進に疑問を持とうとしません。これも、お父様の計画通りですか」
「ああ」
「なら私がこうして世間から憎まれることも、くだらない記事で悪し様に書き立てられるのも、はじめからすべて計画のうちに組み込まれていたのですね。……第二王子を、王にするために」
震える声で問いかけながら、父を真っ直ぐと見据える。
「それは違う」と言って欲しかった。「これには理由があって」と弁明して欲しかった。これまで父のために努力を重ねてきた自分が、こんなくだらぬ計画のために、使い捨てられるはずがない。
だがセオドアは取り繕おうともせず、ただ困ったように両肩を竦めてみせたのだった。
「そうだとして、何か問題でもあるのかな」
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