第4話 火の中で

 何の収穫もないまま、二人が村に戻った時は、もう日が傾きかけていた。


 ちょうど畑仕事から帰って来た村の男の一人が、リヴを見つけて悪態をつく。


「おい、死体はちゃんと片づけたのか。ほうっておくと隣のうちまで悪臭が移るからな」


「……はい。雑木林の中に埋めてきました」


 消え入るような小さなリヴの声に、男は舌打ちした。


 リヴの視線が足下に落ちるのを、レインは、隣でじっと見つめている。


「まあ、この食糧難だ。人が一人いなくなるだけで食べ物に余裕が出来る。感謝しなくちゃあな」


 憎々しげに嫌味を言いながら、男は声を立てて笑った。男の嫌味は止まらない。


 仄かに瞳に宿った光は、瞬く間に消えていき、いつしかリヴは、いつものように顔を項垂れ、黙ってそれを聞いていた。


「ったく、目が見えないんじゃ一人で暮らしてなんかいけやしないさ。とっとと母親の後を追うんだな」


 そこまで言うと、多少の気が済んだのか、男は笑いながら家の中へと入って行った。


 後に残るのは虚しさだけだ。リヴは、こうやって諦める事を知っている。


「言いたいだけ言わせて、それでいいのか?」


 隣でレインが微かに怒っているのが感じられる。


 リヴは、何も答える事が出来ない。


 いつもの事なのだ。特に、雨が降らなくなってからは、どんどん酷くなる一方で、諦めてしまえば楽だった。悔しい思いや、悲しい思いを捨てなくては、生きてこられなかった。


「レインの事、他の人には見えなかったみたいね。天使を見て、何も言わない筈がないもの」


 リヴは、無理やり話題を変えて、家に入ろうとした。


 その時、何かがリヴの鼻についた。


(煙の、臭い……?)


 誰かが火を炊いているのだろうか。しかし、その臭いはどんどん強く広がっていく。


 ――何かがおかしい――


 そう思った瞬間、リヴの足は村の中を駆け出していた。


 背後から、レインの自分を呼ぶ声が聞こえる。レインには、煙の臭いなどしなかったのだ。そして、村の人達にも。


 リヴは、臭いの強い方角を目指した。途中で臭いが薄くなる度に方角を変える。


 何度か村の人とぶつかったりもした。いつもなら謝るのだが、罵声を浴びせる村の人を尻目に、リヴは走った。


 その後をレインが走って追いかける。しかし、リヴは臭いの出所を探す事に必死でそれに気づいていない。


 あまり広い村ではない為、煙の出所はすぐに解った。リヴが一軒の家の前で足を止める。そこは、すぐ傍にある雑木林に隣接していて、村の中からは死角となっていた。


「おい、どうしたんだ?」


 レインが息を切らしながら、リヴの背後で足を止めた。


 今度は、臭いだけでなく、炎が燃えさかる音まではっきりと聞こえる。


「レイン、どうしよう。この家、火事だ」


 レインもさすがに家の異変に気付き、息を呑む。レインにも判別出来る程に火の手が上がっていた。


「村の人達に知らせて来い。この気候だ、早くしないと手が付けられなくなる」


 リヴは頷くと、今来た道を戻りながら「火事です、火事です」と何度も叫んだ。


「火事だと? 目が見える俺たちには、そんなもの見えないね!」


 村人達がリヴを嘲笑う。リヴは、悔しくて涙が出てきた。盲目の少女の言葉を信じてくれる者は、いない。ただ一人の優しい天使だけを除いて……。


(レイン、駄目だよ……誰も私の言う事なんて信じてくれない)


 それは、リヴが村の人達に見せる初めての涙だった。


 今までどんな仕打ちにも耐え、決して涙を見せなかった可愛い気のない盲目の少女の涙に、村人達は動揺した。


「どうして、どうして……目なんか見えなくても、同じ人間なのに……!」


 リヴの悲痛な声に、村人達は言葉を失う。


 盲目の少女でも、幸せを手に入れる事が出来る普通の人間と同じだと、そう教えてくれたのはレインだった。


 リヴは、村人達をそこに残し、レインのいる火事の家へと走った。


 火は、乾いた空気にますます勢いを増し、家を包み込んでいた。幸運な事に、その家に人はいないようだが、火は雑木林や隣の家までをも巻き込もうとしている。このままでは、村中が炎に包まれてしまうだろう。


「レイン、お願い助けて! 私一人じゃ、何も出来ない……!」


 泣きすがるリヴに、俺には出来ない、とレインが冷たく言い放つ。


「俺は、お前が幸せになる手伝いをしに来たんだ」


 ここでレインが手を貸す事は、リヴが幸せになる事にはならない。幸せとは、自分の力で手に入れてこそ、幸せと言えるのだ。


 捨てられた子猫のような表情をしたリヴの頬を、レインが優しく両手で包み込む。


「目なんか見えなくても、お前には出来る事があるだろう」


 初めに火事に気が付いたのはリヴだった。目が見えない代わりに、鼻と耳が敏感になっているのだ。


「助けてぇ~!」


 突然、火事元の家の隣の家から声がした。


 二人が驚いて視線をやると、二階の窓から子供が顔を出して助けを求めている。


 火の手は、隣の家にも侵略していたのだ。


「きゃ~! うちの子供よお! 誰か、誰か助けて~!!」


 いつの間にか、燃えさかる家から少し離れた所に村の人達が立っていた。


 さすがに火事だという事に気付いたようだ。


 しかし、すでに一階は火に包まれていて誰も入る事が出来ない。雨が降らない所為で、火を消す程の大量の水が、今この村にはない。


 村人達は、為す術もないまま立ちつくし、子供と、その母親の泣き叫ぶ声だけが響く。


「ね、レイン。手伝ってくれるって、言ったわよね」


 リヴの視線は、子供の泣き声がする方を向いている。


 ああ、とレインが頷く。リヴがこれから何をしようとしているのか、レインには分かった。


「俺が、お前の目になってやる」


 レインが大胆不敵に笑う。そして、二人は燃えさかる炎の中へと入って行った。


 村人達は、予想外の展開に付いて行けず、放心状態で盲目の少女を見送った。


 彼らの中に、この燃えさかる炎の中へ身を投じる勇気がある者は、ただの一人もいなかった。あとは盲目の少女に賭けるしかない。


 家の中では、リヴが必死にその耳を効かし、崩れ落ちる瓦礫から身を守りながら、二階に続く階段へ向かっていた。そこら中に煙と炎の臭いが充満していて、鼻は効かない。


 危ない時には、レインがリヴの目となり、指示をくれる。リヴには、レインを信じる事が出来た。それは、レインが唯一、自分を信じてくれていると知っているからだ。


 焼けるような暑さと煙の臭いに何度も意識を捕らわれそうになる。しかし、その度にレインの声がリヴを支えた。


 何とか二階へ上ると、子供が床に倒れていた。煙を吸い過ぎたのだろう。


 それでも、まだ息がある事を確かめると、リヴは安堵のため息を漏らした。


「さあ、早くここから出ないと本当の天使様になっちまうぞ」


 リヴを励ます為に言った冗談だったが、リヴは、それもいい、と思った。


 そうしたら、レインとずっと一緒にいられる。


 リヴの瞳から一筋の涙が零れ落ちた。


「うちの、うちの子供があぁぁ……!」


 外から母親の叫び声が聞こえて、リヴは現実へと引き戻された。


(いけない。この子達の母親が待ってる)


 頬の涙を拭い、気をしっかり持つ為にその頬を両手で叩いた。


「行こう、レイン。私はもう、諦めないから」


 そう言い切るリヴの瞳からは、強い意志が感じられる。それを見て、レインが微笑む。


「ああ、それでいい」


 その時、別れの時が近い事を、レインは悟った。でも、それでいいのだ。いつもこうやって必ず誰かと別れる時が来る。それは、その人が幸せになった証なのだから、むしろ喜ばなくてはいけない。


 家は、瞬く間に炎に包まれ、瓦礫が崩れ落ちる。そこにいた村人達の誰もが、もう駄目だと思った。そして、勇気ある盲目の少女に、今まで自分達がしてきた態度を恥じた。


 そんな中、一人の少女が子供を抱えて家の中から現れた。


 母親は、子供を抱きしめると、その場に泣き崩れて神に感謝した。


「神じゃない。助けてくれたのは、リヴだ」


 村人の一人が呟くと、皆が口々にリヴに感謝と謝罪の言葉を述べた。


 諦めない事で、皆にリヴの心が伝わったのだ。


 リヴは、いつしか傍から消えている天使に気付かないまま、村人達に囲まれ、生まれて初めて嬉涙を零した。


(これが、幸せというものなの?)


 火傷を負った肌に、冷たい刺激が走る。


 雨だった。

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