5
ヨハンは建物の屋上に上がった。
ドアを開けると、エマの後ろ姿があった。彼女の髪が夜風に揺れている。
ヨハンの気配に気付いたのか、エマがこちらを振り返った。
「どうしたの?」
「ヴィルフリートに、ここにいるって聞いて」
エマの背後には海が見えた。月に照らされ、キラキラと光っている。
彼女越しに見る海が、まるで物語の中のものに見えた。生まれた時からこの街にいるけれど、そう思ったことなんて一度も無いのに。
「こうやって海を見るのが好きなの。人魚の血が入っているからかな」
エマは微笑んで夜風を気持ちよさそうに受ける。
「なぁ」
「なに?」
「助けてくれて、ありがとう。お礼、まだ言ってなかったろ」
ヨハンは髪をぐしゃぐしゃと掻いた。礼を言うだけなのに、胸の中がむず痒くて仕方ない。
「どういたしまして。体調はもう良くなった?」
「あぁ」
ヨハンは「それと」と言葉を繋げる。
「あんたのじいさん、捜すの手伝おうか」
エマはきょとんとした顔になった。
「あんたには、世話になったし……その、言葉だけじゃない、礼をしたくて……」
声をすぼませながらヨハンは俯く。
「そうしてくれるとすごく助かるけど、多分すごく時間が掛かるわ。そうなったら私がした看病よりヨハンのお礼の方が重くなっちゃう」
「いいんだ」
上げた顔が、熱が出た時の比じゃないくらい熱くなる。夜じゃなかったら顔が赤くなっているのが丸分かりだろう。
エマは考えているようだったが、ふと「そうだ」と呟いた。
「ヨハンは今どこかに住んでる?」
「いや、家無しだ」
「なら、うちに住み込みで働かない? 丁度従業員を増やしたいって思ってたところだったの。食事と住むところを提供するしお給料も支払う。それで空いた時間や休日にはおじいちゃんを捜すのを手伝ってもらう。これでどう?」
悪くない条件だが。
「俺、接客とかしたことないぞ。学校だってまともに行ったことないし」
「初心者でも大歓迎。勉強だってこれからしていけば問題無いわ」
なら、迷うことはなかった。
「じゃあ……よろしく」
「こちらこそ。改めて、エマ・アーレンスよ」
近付いてきたエマが右手を出す。
また風が吹いて、彼女の髪を波のように翻す。
「ヨハン・オスヴァルト」
ヨハンはその手をそっと握った。
想像していたより冷たい手だった。
目を合わせると、彼女が出会ってから一番の笑みを浮かべる。
輝く海のようなそれに、体の外も中も熱くなって、鼓動が跳ね上がった。
――世話になった礼をしたいと言うのは嘘じゃない。
安全な住む場所と安定した働き口を得たのもラッキーだ。
でもそれ以上に、彼女といられるのが嬉しかった。
この時は意識していなかったけれど、後から気付いた。
俺はこの時から、エマに恋をしていたのだ。と。
海辺のファントム・ラヴァーズ 相堀しゅう @aihori_s
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