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休憩時間が終わり、夜の営業が始まった。
ヨハンを部屋に戻し、いつも通りエマはヴィルフリートと二人で店を回した。
忙しい時間を切り抜けてお客さんがいなくなり、閉店時間が近くなるとヨハンが下りてきた。
「何か、手伝おうか」
申し訳なさそうに視線を辺りに彷徨わせ、呟くように言った。
「大丈夫よ。ヨハンはゆっくりしてて。回復したばかりなんだから」
その時、カランコロンとドアベルが鳴った。反射的に「いらっしゃいませ」と声が出る。
入り口には二人の人間の男性がいた。どちらもガラの悪い風貌だが、この辺りでは珍しいことではないしそんな客には慣れている。
「お好きな席にどうぞ」
促すと二人は無言で顔を見合わせて、入り口に一番近いテーブル席に座った。
二人分の水とおしぼりを用意して、それぞれの前に置く。二人はテーブルの端に立て掛けているメニューを取ってパラパラと開くと、
「ホットコーヒー二つ」
片方の男性がボソッと言った。
「ホットコーヒー二つですね。少々お待ちくださいませ」
伝票を書き、カウンターの中に入ってカップを二つ出すとホットコーヒーを入れた。
この店のコーヒーはサイフォンで淹れる。これは祖父のこだわりで、基本エマには甘い祖父だったがコーヒーの淹れ方だけはうるさく、エマが店を手伝い始めた時もコーヒーだけは中々淹れさせてくれなかった。
さっきヨハンと祖父について話したからか、ふとそんなことを思い出した。
ヨハンは目の前のカウンター席に座って作業をするエマの手元を興味深そうに見つめ、ヴィルフリートはゴミをまとめて店の裏手へ捨てに行き、チーちゃんはヨハンの隣のイスで丸くなって寝ている。
コーヒーを入れたカップとコーヒーミルクをトレーに乗せて運ぶ。
「おまたせしました。ホットコーヒーです」
カップをテーブルに置いた瞬間、注文をした方の男性がエマの腕を掴んだ。
「放してください」
毅然とした態度で言ったが、男性はニヤリと笑って立ち上がるとエマの体を掴もうともう片方の手を伸ばしてきた。
「悪いが来てもらうぞ」
が、その前にエマは男性の鼻をグーで思いっきり殴った。「ぶゔっ」と男性が鼻を押さえてエマから離れる。
すかさずもう一人が立ち上がってエマに襲い掛かろうとするが、
「やっ!」
容赦なく脛を蹴り、指で目を突いた。
「があっ!」
男性が目を押さえて床に膝をつくと、ヴィルフリートが二人を押さえた。騒ぎを聞いて飛んできたのだろう。男性たちはもがくが、力でヴィルフリートに適うはずがない。
その間にエマはつかつかと店の隅に置いてある受話器を手に取り、とある人に電話をした。
数分で吸血鬼の男性が四人到着して、客の二人はあっという間に連れていかれた。
流れるように事が終わり、ふうと息をついてヨハンを見ると彼はこっちを見て呆然としていた。
「ごめんなさい。驚かせちゃったね」
「あいつら、なんなんだ」
「いつものことよ」
「いつも客に襲われる喫茶店なんて聞いたことないぞ」
ヨハンは眉を顰めた。理由があるなら説明しろと顔が言っている。
どうして客が襲い掛かってきたのか。他人には簡単に話したくない内容なのだが。
「秘密って言ったら?」
ヨハンはムッとした表情になった。
「このまま礼もせずに出て行ってやる」
小さな子どもみたいな言い方に、エマは「ぶふっ」と漏れ出た笑いを堪えた。
「なんだよ」
「ごめんごめん。そうだね、ヨハンには、話してもいいかな」
ヴィルフリートに目配せすると彼も頷いた。
エマは穿いていたズボンの右足の裾を捲り上げた。
ほっそりとしたふくらはぎには青緑色をした魚の鱗がびっしりと張り付いている。特殊メイクの類ではない。生まれた時からあるものだ。
「私、人魚と人間の混血なの」
ヨハンは赤い目を丸くした。
「でも実の両親の顔は知らない。私を産んですぐに亡くなって、そこを拾って育ててくれたのがおじいちゃんなの」
エマは写真立てを見た。祖父は写真を嫌っていたから、あれが残っている唯一の物だ。
「ヨハンは、人魚の肉を食べると不老不死になるって話聞いたことある?」
「いや、無い。本当なのか?」
「そんなわけないわよ。でも何故かそんな話が昔からあって、今は少なくなったけど、話を信じてさっきみたいに私を捕まえようとする人はまだいるの」
小さい頃は祖父やヴィルフリート、店の常連たちに守ってもらい、成長してからは護身術を習って今はある程度自分で対処できるようになった。カウンターの中には銃だってある。そこらのチンピラ程度に負ける気はないし、もうすっかり慣れたことだ。
「そういや、さっきの客を連れていった奴ら、警察じゃなかったよな」
「あぁ、あれは知り合いの部下の人。下手に警察に言うと、そっから私が人魚の混血だってことが余計に広まっちゃうから、こういう時はその知り合いの人に頼んでるの」
「ふーん。客はどうなるんだ?」
「さぁ?」
エマは肩をすくめた。
知り合いの人に自分を襲った人たちはどうなるのか聞いたことは何度もあったが、その度に「知らなくていい」とはぐらかされた。なんとなく想像はつくけれど。
「さ、店を閉めよっか」
「手伝うよ」
ヨハンが椅子から立ち上がる。
「じゃあ、お願いしようかな。あそこに残ってるコーヒーをここに持ってきてくれる?」
ヨハンは頷き、テーブル席に行ってコーヒーを持ってきてくれた。
「これ、手付けてないよな」
コーヒーは冷めているが入れた時そのままだ。
「本当。勿体ないから飲んじゃう?」
「……おう」
エマは片方のカップを持つと、傾けてくいーっと飲んだ。
「うん。我ながら美味しい」
ヨハンを見ると、彼もカップを持ってそっと飲んだ。
ブラックのまま飲んだので、ヨハンの顔がくしゃっと歪む。それを見てエマはふふっと笑みを漏らした。
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