3

 翌日、体調はほぼ普段通りまでに戻ったので、ヨハンは数日振りにシャワーを浴びた。髪を乾かした後エマに呼ばれたので、部屋を出た。

 階段が上下の階に伸びていて、エマに続いて下の階に行く。するとコーヒーの濃い匂いがして、昨日彼女が言っていた通り喫茶店が広がった。


 今いる場所の正面に出入り口があり、左手にカウンター席が六つと調理場、右手にはテーブル席が二つあるだけの小さな店だ。テーブルやその他の家具は全部木でできていて、落ち着いた雰囲気だった。

 店の中の見渡すと、

「狼?」

 灰色の毛、ピンと立った耳に長くふさふさとした尻尾の大きな狼が、カウンター席の前で二本脚で立っていた。服も着て紺色のエプロンまでつけている。

 こちらに背を向けているが、二足歩行の狼なんて人狼しかいない。しかし彼らは昼間は人間と同じ姿で、月夜の晩に狼の姿に変身するはずだ。昼間に狼の姿になるなんて聞いたことがない。

 困惑していると、狼が振り返った。ヨハンを見て耳がピクリと動く。

「やぁ、元気になったんだね」

 低くて穏やかな声だった。ヨハンはペコリと頭だけ下げた。

「どうも……」

「彼はヴィルフリート。一緒に住んでるうちの従業員よ」

「ヴィルフリート・キースリングだ。十年くらい前に狼の姿から戻れなくなって、以来このままだ。慣れるまでちょっと怖いだろうけど、よろしくね」

 近付いてきたヴィルフリートが手を差し出す。ヨハンは毛に覆われたそれを握った。思っていたより硬い感触だった。

 ヴィルフリートは嬉しそうに握り返してブンブンと手を上下に振った。


「それともう一人……チーちゃん、どこー?」

 エマが声を掛けると、カウンターの中から何かが飛び上がってきた。カウンターの上でバウンドしてそのまま一直線にエマのところにくると、彼女はそれを受け止めた。

 飛んできたそれは黄土色の鱗を持つ、胴がやたら短くて太い蛇だった。

「蛇?」

「チーちゃん。うちの看板ツチノコよ」

 ツチノコはチーチーと鳴きながら赤い舌をちょろちょろと出した。チーチー鳴くからチーちゃんなのか。オスメスはどっちだろう。見ているだけでは分からなかった。

「お昼までの営業が終わって、今は休憩時間なの。ヨハンは何か食べる?」

 腹の中が空っぽなのは先程から感じていた。頷くとエマは笑みを浮かべた。

「何がいい?」

「血以外なら何でも」

「分かった。座って」

 促され、カウンター席の丸いイスに座った。


 少し待つと、目の前に薄く黄色がかったジュースの入ったグラスと、野菜やソーセージの入ったスープが置かれた。

「どうぞ」

 ヨハンはスプーンを手に取り、湯気の立つスープから食べた。

 塩味が病み上がりの体にやけに染みた。固形物を食べるのも久々で、野菜もソーセージもいつもよりやけに美味しく感じた。

 程よく食べたところでジュースに目を向ける。

「これは?」

「ミックスジュース。うちの看板メニューよ」

 ストローから一口飲むと、少しドロっとした液体が口の中に入ってきた。でも不快ではなくて、色んなフルーツが複雑に混ざり合った甘さが一気に広がる。

 目の前が弾けるような衝撃だった。

「美味い……!」

 素直に感想を告げると、エマは「でしょう?」と嬉しそうに笑った。


 ぐびぐびとミックスジュースを堪能しながら、何気なくカウンターの後ろ、木製の置物に混ざって置いてあった写真立てに目を凝らした。

 そこには幼いエマと、おそらく人間の五十代から六十代くらいの老人が店の前で並んで立っている姿が映っていた。老人はエマの肩に手を置いていて、二人とも笑顔だ。

 ヨハンはその老人に見覚えがあった。どこで会ったのだろうかと記憶遡っていると、思い出した。

「あの人は、あんたのじいさん?」

 写真立てを指差す。

「そうよ」

「今はいないのか」

「えぇ。どうして?」

「いや、前に会ったことがあるから……」

「どこで!」

 エマが急に大声を上げたのでグラスを投げそうになった。

 彼女は目玉が飛び出るくらい目を見開いてカウンターから身を乗り出していた。

 その勢いに仰け反りそうになった。後ろにいるヴィルフリートとツチノコも驚いた顔をしている。

「い、一年くらい前に、貧民街でちょっと揉めてたところを助けてもらった」

「それで、おじいちゃんはどこに!」

「知らないよ。そのままどっかに行った」

 そう言うと、エマは萎むように肩を落とした。

「何かあったのか」

「うん。おじいちゃんはね、一年前に何の前触れもなく行方不明になったの。それからずっとおじいちゃんを捜してるんだけど、何の手掛かりも得られてなくて……」

 エマは写真立てを取ると、酷く悲しそうに、そして愛おしそうに見つめた。

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