第2話
翌朝、自転車にまたがれば、朝八時なのに既に肉が焼けそうな熱さにまで温まっていた。ズボンを通り越して皮膚が痛い。俺が小学生の頃は朝からプールに行って涼んでいたが、今のプールはすでにぬるくなっていそうだ。我慢して学校に向かった。家から離れていくに連れ、名前も知らない花や木が増えていく。もう一年通っている道に愛着が湧いているが、一向に名前がわからない。毎日「調べよう」と思っているのに、不思議なもので家に帰れば忘れている。いつもと同じことをぐるぐる考えていれば学校に着いた。下駄箱に靴をしまうと、後ろから藤原が来たことに気づいた。寝癖のまま来ているのだろうその頭は、変な七三分けになっている。村木とは対象的だ。それに何も持っていない。なんでここにいるんだ。俺の疑問を知らない藤原は事あり顔をして言った。
「お前が決めたの? 海」
「いや村木。現国のやつだってさ。」
「ああーあれか。…何すんの?」
「知らね。」
藤原はうへーと間延びした声で返事した。俺も藤原も、あの雑さに大分振り回されてきたので慣れてしまった。
「てかさ、なんでなんも物持ってないん?」
「ちょっと用あって早めに家出たから。」
答えているようで答えていない。こいつも村木同様曲者だと感じた。
五時間目、魔の睡魔と戦うはずだった古文の授業が変更され、体育になった。お陰でやる気に満ち溢れたDKによる全力のバレーボール大会が開催され、授業終了間際になるとクラスのほとんどが床に転がっていた。かくいう俺もぜえぜえ息をしながら教室に戻る。汗でべっとりと肌から離れてくれない体育着が、いつか見たバカップルに思えてくる。腹が立って引き裂く勢いで脱いでいると、少しだけ息の上がった村木が
「ビーチバレーしようぜ。バレー楽しいわ。」
と俺に言った。こんなにバレーし尽くしたのにまだ足りないのか、とか、近くに来るな暑苦しい、とか、村木への文句が頭に溢れたが一旦抑える。
「ボールもってねーだろ。諦めろ。」
そう言えば少し悔しそうな、でも楽しそうな村木の顔が見えた。きっと放課後が近いことに心が踊っているのだろう。体がリズムを刻んでいる。暑くなるからやめてほしい。村木の熱から顔を逸らすために、ふと窓の外を見れば太陽が朝より元気に一人で仕事をしていた。彼を遮るものは何処にもいない。窓の外からの熱気と村木の熱気で俺は死にそうになった。なんでエアコンがついていないんだうちの学校は!
「来たぜ放課後! 行くぜ海!」
ガッツポーズの村木と、六月下旬だが相当な熱気にやられた俺と、いつものリュックにプラスして、何やら丸いものが入ったビニール袋をもっている藤原が校門に集結した。泉は遅れてきたが、こちらはぶ厚い鞄を持っている。誰も村木については触れなかった。
「藤原、それなに? なんか丸いけど。」
皮脂まみれで輝く俺の顔を見て答える。
「あっちについてからのお楽しみ。」
「おい! あと十分で電車来るから急ぐぞ! ついてこい!」
俺が勇者だと言わんばかりに自転車を漕ぐ村木に触発され、自然と俺たちの自転車のスピードも速くなる。熱と湿気でもわっとした道路を突っ走った。
学校から自転車で三十分はかかる駅に十分未満で着いた。本気というのは恐ろしい。初めに着いた村木が颯爽と切符を買いにいった。藤原と俺は少し遅れて到着し、運動不足気味の泉は脇腹を抱えヨタヨタ自転車をまだ走らせている。
楽しそうな村木から往復の切符を受け取り、全員電車に乗りこんだ。二人ずつ対面で座る。先程の運動と暑さでHP残り三になった泉は今にも眠りに落ちそうだ。目元に薄い隈が見えたのは、彼もこの旅を楽しみにしていたからなのだろうか。先客が開けた窓から生ぬるい風が流れ込み、汗で湿った肌を撫でていく。なんとなく心地よさを感じながら、正面窓から見える景色をぼーっと眺める。田んぼと畑だけの町から少しずつ色が変化する。緑から黄緑、それぞれの家の色、たまに灰色、あまり乗らない電車での景色は中々飽きない。でも今回の旅で一番面白かったのは泉の顔。遂に寝てしまった泉が、途中で起きて「ハッ」となってもとの体制に戻るときの顔が滑稽で、頑張って「寝てませんよ」と取り繕う様子は絶対に忘れられないだろう。しっかり写真も撮って四人のグループLINEにアップした。すぐに藤原が笑っていた。藤原はテストに向け英文法の勉強をしている。ただ何もわからないようで、ずっと同じページを見ている。わからないんだったら別の問題をやればいいのに、頭が硬いやつである。と正面の静止画を観察していたところ、
「おい見ろ海だ!」
対角線上の村木が興奮した声で言った。彼側の窓から顔を出しそうな村木から視線を窓に移せば、まだ遠くだがしっかりと青が見えた。真っ青な、雲一つ無い青空をそのまま映した海は、遠い分色が濃く見えてとても綺麗だ。群青色と呼ぶんだっけ。思わず口角が上がってしまう。普段生で見られない海の綺麗さに圧倒され、俺は興奮して泉を起こした。最初は不満げだった泉だが、海を見れば彼の顔も喜色をあらわにした。藤原は変わらず参考書とにらめっこしていたが、体をゆする村木のウザさに根負けしたようで振り返って外を見た。すると寄っていた眉がどんどん離れていく。期待よりも素晴らしい景色だったのだろう。俺は自分を棚に上げて、面白い顔になった二人をからかった。二人は顔を赤くしながら反論し、そこからどんどん話は広がっていく。気づけば、海付近の駅に電車が着いていた。
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