家の目の前で迷った話
武藤勇城
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家の目の前で迷った話
これはお酒が飲めるようになって、それほど間もない二十代の前半、若しくは半ば頃の話です。
自分の生家は埼玉県の田舎にあります。周囲は雑木林に囲まれていて、小規模な農業を行っている隣家が幾つかありました。家の目の前を通っているのは舗装されていない砂利道で、道を挟んだ向かい側にはお茶畑がありました。今は何か別の作物を育てているでしょうか。あの辺りに行く機会がほとんどありませんので、現在何を作っているのか、そもそも何か作っているのか、よく分かりません。また、家の裏手側では、当時トマトのビニールハウス栽培を行っていました。夏になると、採れたて新鮮の瑞々しいトマトを箱買いして、丸齧りしていました。ここも今現在の様子は知りません。
その日は友人と、仕事終わりに飲みに行って、酔っぱらって歩いて帰ってきました。前後不覚になるほど泥酔はしておらず、ちょっとフラフラしながら良い気分でいたと思います。家の前の舗装されていない砂利道には、街灯なども多くありません。数十メートルおきに、ポツン、ポツンと数本ある程度です。舗装された大通りと砂利道との交差点に一本。大通りの交差点付近にお寺があり、そのお寺の敷地を通り過ぎた辺りに一本。それから家の目の前に一本。大通りから家まで百メートルほどの道にあるのは、そのぐらいだったでしょうか。今現在は民家が少し増えて、その各家の前などに数本増えていると思います。
他の話でも何度か書いている通り、自分は『鳥目』です。鳥目というのは、暗くなると何も見えなくなってしまう人の事です。よく「今夜は満月で明るい」みたいに言う人がいますね。しかし自分には、月明り程度では何も見えません。手元も足元も、顔の目の前で掌を振ってみても、ほとんど認識出来ません。ギリギリ、何となく白っぽい物があるのが分かる程度でしょうか。その手の形がグーなのかチョキなのか、と聞かれたら答えられないと思います。
夜遅くの街灯がない暗い道。酒を飲んでほろ酔い。鳥目。この三つの悪条件に加えて、更に悪い事に、その日は雨が降った後で、砂利道のあちこちに水溜まりが出来ていました。この悪条件下で、水溜まりを避けて歩くなんて芸当が出来るはずもなく。帰る途中で靴に浸水、靴下まで湿っていました。大通りから暗い路地に入り、家の目の前に建っている街灯を目印に、家周辺まで到着しました。真っ暗なので家の正確な位置は見えません。家は右手側にありますので、街灯の位置から考えて「この辺かな?」といった地点で右へ曲がりました。ここを入って行けば、玄関まで残り十メートルといったところです。
―――ガサガサッ。
雨露に濡れた樹木の感触が。家の目の前、街灯のすぐ傍には数本の樹が植えてありまして、街灯の真下付近まで行くと樹々と葉に遮られて明かりが見えなくなってしまうのです。どうやら、その樹木に顔面から突っ込んだようです。「少し行き過ぎたか」と思い、数歩戻ろうと回れ右をしました。一歩、二歩、三歩・‥
―――ガサガサッ。
今度は太腿から膝にかけて、雨露に濡れた灌木に片足を突っ込んだ感触がありました。そうです、道の反対側に植えられていた、お茶っ葉の畑のようです。戻り過ぎたでしょうか。「こっちがお茶の畑だから、きっとこっちが家に違いない」辺りは真っ暗で何も見えませんが、そう判断して方向を定め、進みました。
―――ガサガサッ。
また何かの樹々が行く手を遮りました。もはや右も左も北も南も分かりません。現在地点を完全に見失いました。全身びちょ濡れになりながら、手探りで方向を確かめようとしましたが、アルコールによる判断力の低下も相まって、全く分かりません。一か八か「こっちだ!」と前を目指しました。
―――ガサガサッ。
やはり樹々があって進めません。「これは・‥隣の家を囲っている生垣?」さっきまでとは全く違う感触でした。顔面から足先まで、全身が何か柔らかい葉っぱの感触を訴えてきました。秋から冬にかけての季節だったでしょうか。気温も低く、夜中に水浸しになったまま、道に迷って(※家の目の前です)数十分。やがて全身に震えが来ました。ガタガタと、体の芯から震えが。
「このままでは死ぬ!」(※家の目の前です)
そう考えた自分は、泥だらけの地面や周囲を手探りしながら、とにかく何か見えないかと目を凝らしました。そして一つだけ、ある物に気付きました。自分が履いていた靴です。光を最も反射する色、白い靴だけが、真っ暗な中でも何となく、ぼんやりと目に映りました。
「こ・れ・だ!」
閃きました。この靴を、現在地点の目印にしようと。今どこにいるのか分かりませんが、とにかくここを基点として、家の方角を探るべきだと(※家の目の前です)。雨で水溜まりだらけの砂利道に、唯一の命綱として白の靴を置き、靴下になりました。足の裏は砂利が食い込んで痛いし、泥水でぐちゃぐちゃです。しかし、そんな事に構っている場合ではありません。命の危機なのですから(※家の目の前です)! 靴の位置からスタートし、文字通りの
―――ガサガサッ。
灌木の感触。どうやらこっちがお茶畑です。つまり家の方角は反対側になります。後ろを振り返り、靴の位置を確かめました。同じ方角に進んでは、また生垣に戻ってしまいますから、少しだけ角度をつけて進みました。勿論、家があると思われる方に向かってです。今度は、雨露に濡れた樹木はありませんでした。代わりに、今まで以上に大きな水溜まりが・‥家の前の駐車スペースでしょう。
「ここまで来れば家に辿り着ける!」(※さっきから家の前にいました)
こうして全身濡れネズミ、泥だらけで帰宅。洗濯カゴに靴下と濡れた服を突っ込むと、お風呂に入る気力もなく、そのまま布団に包まって眠りました。
次の日に熱を出したかどうかは、ちょっと覚えていません。ただ、迷っている間に家の前で財布を落としたようで、翌朝母が「家の前に靴と財布が落ちていたよ」と渡してくれました。「財布は落としたかも知れないけど、靴は自分の命綱だったんだ。もしそれがなかったら死んでいた」・‥とは、言えませんでした。
家の目の前で迷った話 武藤勇城 @k-d-k-w-yoro
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