第3話 先なんて、どこにもなくて
次の日も、真白は変わらず市電に乗っていた。
学校がある限りは、毎日市電に乗り、何も考えずに向かう。そこに思考を介在させたところで、いい方向に行くことなどありはしない。そもそもの話として、学校をサボったところで真白の持つOWのせいで出来ることは限られている。そうなれば、とりあえず、くらいの感覚で学校に行くしかない。
しかしながら、先の不安と戦うのであれば、思考回路を眠らせておくことなど出来るはずもなかった。ふとした瞬間に落とした視線が、デジタル式腕時計のその小さな画面の片隅に示された日付を確かな情報として脳内に刻む。
――あ、もう月初めか……
そう思った次の瞬間に、真白はため息を1つ吐いた。
月初めの3日間は、今の真白にとって憂鬱なものだ。
聖窮学園を含めて全国に9つある製鉄師育成学園は、月初めの3日間OI体質者と魔女体質者による定期的な契約の試行を実施している。
といっても、この契約試行には強制力があるわけではなく、別にこの3日間でなくとも、教師がつくならば校内の契約魔鉄器はいつ契約に使用してもよい。
もっというと、契約用の魔鉄器を自前で用意出来るならば別に学校でなくともよい。
――ないない揃いなら、別に定期的にやんなくていいだろ
決まりごとにしてはあまりにも抜け道の多いそれに、真白は心の中で愚痴を零す。
いつ、誰が決めたのか知る気もないその試行そのものが、憂鬱の原因だ。契約のために高い建物の一番上に向かうカップルを見ること自体は真白はどうも思っていないが、憂鬱の種を呼び起こされてしまうことだけは、ただただ嫌だった。
契約という行為はその性質上、OI体質者と魔女体質者の婚姻、と言い換えられる。そのことは、幼い頃からの環境の中で真白は知らされていた。
再契約の確率が下がること、鉄脈術の性質上一生共にすることになることがその理由であることも当然知っているが、その知識は、今この時点まで、そしてこれから先もおそらくただの重荷でしかない。
――そんなやつ、いるわけない
自分の体をある程度自由に動かせるようになるまで自分のことでいっぱいいっぱいだった真白に、彼女などいるはずもなく、作ったこともない。親しい友人こそ少しはいるものの、その中にいる魔女はそれこそニアしかいない以上は、契約という行為そのものは真白にとって夢のまた夢になっている状態だった。
まだ真白が名前の響きに沿う通り女子であったならば、女性しかいない魔女体質者との契約は、同性であることを加味してもう少し心理的ハードルが下がったかもしれない。
だが、残念ながらというべきか、真白は男だった。そのことに関しては一切負の感情は持っていないものの、もしも……くらいに考えることはあった。
そんな、契約に対する真白の憂鬱な気分を、当然学校側は一切加味することはない。高校生活の折り返しが迫ろうとしている高校2年の夏になって、契約に関して少しずつ急かすような動きが見え始めている。
が、いよいよ急かされるようになってきたところで、出来もしないものに興味が湧くはずもなかった。
もしも適当に契約を交わすだけ交わすことが許されるのなら、気にしなければ生きていけないこの体質に起因するOWにさっさと別れを告げ、これまでやりたくても出来なかったことをする、という選択を真白が選ぶことが出来た。
しかし、OI体質者と魔女体質者が契約を交わし、正式に製鉄師になるということはそれ自体が兵器になる可能性を常に自らに残し続けることにもなる。実際に幼少期の真白は、製鉄師であった両親と過ごした時間などほとんどない。ある程度育って、ようやく家族水入らずで過ごせるようになったことを嬉しく思った過去がある上で、それほど知らない相手とその選択肢を選ぶ気には流石になれないのだった。
気づけば、クラスメイトでもちらほらと契約し、腕輪を金色に変えて無事ブラッドスミスとなったことを示す生徒もいる。彼らも彼らでそれぞれに抱えているOWに別れを告げ、そして新たな力を得たのだろう。
もしも、他の誰かの力を借りずとも、このとてつもなく面倒なOWを引きはがして、永遠に別れを告げることが出来るのならば、それは真白にとってどれだけ嬉しいだろうか。
自分の願いのために、他者に依存して、縛られたくはない。しかしながら、他者に依存することでしか、この願いは果たせない。
色々なものを諦めざるを得なかった真白にとって契約することは念願であり、同時に、叶わぬ夢にもなっていた。
「おっす真白」
「ん、おはよ晴好。……って、その腕輪」
見ようと思って見たわけではないのに、たまたま視界に入った友人――下社晴好の腕輪型登録証――OICCが、金色に変化していることに気づく。
「おう。朝一で先生に頼んで、バッチリこなしてきた」
「そっか。おめでとう」
こうしてまた、1人同級生が次のステージに進む。
表向きは、短い祝福の言葉を口にする。
しかしその裏で、置いて行かれることの寂しさや、自分自身のどうにもならない虚無感を感じさせられる。
だが、その腕輪の変化について先に触れたのは真白だ。晴好はその切り出しに対して答えただけであり、今ここで真白が黒い感情を吐き出せばただの八つ当たりだ。
少ない交友関係を崩すことをしたくはないため、ひとまずは一度言葉を飲み込んで消化しきってしまう。
「……もしかして、それ見せに来ただけ?」
「いやぁ、つい嬉しくて」
「……はぁ」
からかい、あるいは急かし。一瞬目線を逸らしながらついたため息で、逆流して少しにじみ出てきそうな悪態を振り落として、もう一度友人である晴好に目線を向ける。
「三鏡も、早くできるといいな。顔いいお前なら普通に女子から話いっぱい来てそうなのに」
「これっぽっちもないね。早くは無理そう」
「意外だな」
――意外も何も、自分の顔なんてまともに見れた記憶ないんだよな
真白のOWは、視界に映る自分自身の姿が、どのような形であれ適用される。それは鏡に映る自分も、写真に映り込んだ自分も例外ではない。
真白が最後に自分自身の顔をきちんと見ることが出来たのは、それこそOWが適用される小学生時代の、もうすでに記憶からなくなった時間にまで遡るのだ。
ただ、自身の女子人気がそれほど悪くないということは、ニアがそう言っていたので知っている。ニア曰く『あんまり喋らないのが逆にいい』と、一昨年くらいの冬に一方的に言われた記憶がある。
実際のところ、真白にとっては同じ年の異性への接し方がよく分からないので、当たり障りのないようにしているだけなのだが、それがそのように見える、と言っていた記憶があった。
「まぁ、顔云々抜いたとしても、お前には3組の創さんがいるだろ」
「ニア? まぁ……そうだな……」
級友からの言葉に、真白は言葉を濁しながら答える。
――向こうは多分、そこまで考えてないだろうしな……
月初に毎回来る契約試行のタイミングだが、不思議とあまり話題は出てこない。少なくとも真白は意図的に避けているのだが、ニアの方がどう考えているのかは、言及したこともないので知りようがない。
「いるにはいるけど……向こうもそんな気じゃないだろうな……」
「校内で兄妹みたいな言い合いしてるのに?」
「関係ないだろそれは」
少しばかり口を尖らせながら、真白は次なるからかいに答える。
兄妹のような感覚であることには全く持って違いはないが、外から指摘されるのは、あまり好きではない。
「ま、そん時が来れば話は出るだろうしな。俺はペアと共に高みの見物しとくわ」
「はいはい。勝手にしてくれ」
「つれないねぇ」
晴好に笑いながらそう言われて、真白はため息をつく。事情への突っ込み具合の加減を分かっているのか物言いで不快になることはないが、それでも、内側にたまった感情を吐き出さずにはいられない。
どうして、自分の周りには、こんな風にちょっと真白で遊ぼうとする雰囲気があるのだろうか。振り回され慣れたのは、間違いなくこの雰囲気のせいだろう。
「ん、そろぼちおいとますっかな」
「んじゃまた昼休みなー」
「ういーす。ほなまたー」
教室から出ていこうとする晴好の返事を聞いた後、真白は窓越しに見える景色に目を向ける。
今日も必要以上に照りつけている太陽は眩しく、少し吹いている風が留められていないカーテンを揺らす。
そんな、おそらくほとんどの人と同じ風景がある視界に、自分の左手を入れる。
ノイズがかった左手は、もはや原型をなくし、好き放題ずれていた。ひとまずカーテンを掴もうとしても、1回では確実に掴めず、5回ほど試行してようやく掌に掴んだ。
するとそのカーテンにも、ノイズが走る。『三鏡真白が所持したもの』として、真白のOWの影響を受けている。
風景に異物として映る、自分の身体。その影響を受けてしまった、窓際のカーテン。ノイズ混じりの体は、この世界に存在する『バグ』なのかもしれない。
魔女とOI体質者の契約は、稀にイマジネーションの不足で失敗すると、真白は聞いたことがあった。
だが、こんな『
それは、ある意味では本末転倒に聞こえて、また別の視点からは、筋が通っているようにも聞こえる。矛盾をはらんだものであることには違いない。
――矛盾、か
いつだったか、真白は先ほどまで話していた晴好に言われたことがある。『真白って矛盾してるよな』と。
早く世界とおさらばしたいのに、契約する気などさらさらなく、行動を起こそうともしない。確かにそれは、矛盾以外の何物でもないと、今でも思う。
――でも、どうしようもないんだよな
自分本位で行動を起こすことが可能なら、真白も動いたかもしれない。だがそれが不可能である以上は、動いたってしょうがないと、簡単に諦めもつく。
今日から続く、ただただ憂鬱な3日間を過ごせば、後はただゆるりと過ごすだけの28日間が待っている。定期考査も、夏休みもあるが、それらは別にただの時間にしか過ぎない。やることがなかったせいで勉学は割とできる以上、適当にこなして、のんびりと休みを過ごすだけだ。
――早く夏休み来ねぇかな
どうしようと進んでいく時間の上に、エスカレーターの乗客のような気持ちでいることしか、真白には出来ない。
それを分かっているからこそ、足掻こうという気持ちにはなれないでいる。
そうして今日もまた、真白の頭の片隅に、真っ白な予定表が捨てられる。
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