エピローグ
小川三次は幸せを感じていた。
小百合とふたり東京へ出て一年が過ぎていた。
まだ、籍を入れて無かったし、共稼ぎなのでしばらく子供は作らないと話し合って決めていたが、そろそろと思い今夕にでもアパートに帰ったらその話をしようと思っていた。
あの早瀬先輩みたいな家庭に憧れがあったし、小百合も以前にそう言っていた。
「ただいまぁ」
玄関を開けてちょっとあれっと思った。
室内が暗い。……今日は小百合の帰りの方が早いはずだった。
珍しく残業でもしているのかとも思った。
そう思いながら<2K>の我が城の居間に入って電気を点ける。
「小百合」
声を掛けたが反応は無い。一応、風呂とかトイレとか覗いてもいない。
食事の支度はしてあるが、並べられてる食器は一組だけだ。
えっ? 一度帰って来たのか? でも小百合の分が無いぞ。
そして「三次さんへ」と書かれた封筒をテーブルに見つけた。
何事かと少しビビったが開けると、その中に小百合のスマホと手紙が入っていた。
「えっ」と思って手紙を読んだ途端に血の気がさっと引いて、立っていられずにへたり込んでしまった。
手紙にはこう書かれていた。
「
三次さん、ごめんなさい。
私、家を出ていきます。今までありがとうございました。
私は、三次さんが大好きでした。「愛しています」と言ったことに嘘はありません。
でも、性悪な女なんです。
実は、<原杉総合病院>の事件の中で、私は、原杉博院長の子供の勉と菜七が博の実子でないことを知ってしまったんです。事務長の引き出しの中にその証拠を見つけたの。
母親の麗子が事務長の鬼山との間に作った子供だったんです。
博には子種が無いんです。本人は医者なのにそれを知りませんでした。
子供が欲しかった麗子は、ショックのあまり家に良く来ていた鬼山にその悩みを打ち明けてしまったんです。
鬼山は、「院長と俺は同じ血液型だから、他人の精子を使うくらいなら……」と言って嫌がる麗子と無理矢理関係を結んでしまったようなんです。
私は、鬼山から盗んだ<鬼山と勉>、<鬼山と菜七>の二枚のDNA鑑定書を麗子に見せたら、「他言しないで」と懇願され、五千万円をもらって口を噤んでいたんです。
それと、早瀬陽子さんが逮捕される前に、「私が捕まったら受取った保険金を返還請求されるかもしれない」と言ったので、「私に預けてくれたらみなみちゃんのために使いますよ」と言って私の口座に八千万円を振込ませたんです。
私が罪に問われないことは計画段階で弁護士に訊いていてわかってました。
私は、入金された一億三千万円と自分の貯金とをまとめて外国銀行のドル建て口座へ移しておき、立待岬で懸けに出たんです。
負けたら、崖の上にすべてを書いた遺書を残す積りでした。
でも、思った通り三次さんが来てくれて、私は勝ちました。
三次さんがこの手紙を読む頃、私は大空の彼方を飛んでいると思います。
行先は聞かないで下さい。そして探さないで。
三次さん、私より綺麗な人を見つけて幸せになって下さい。
私は、子供の頃にお金で苦労した分を取戻そうと思います。
その為に一年もかけたんですもの。
さようなら。
小百合
」
偶然なのか、アパートの上を飛んでゆくジェット機の轟音がやけに腸に響き……そして、自分の中でほどなく完成すると思っていた牙城が音もなく崩れていくのを、なすすべもなく……。
腐朽牙城(ふきゅうがじょう) きよのしひろ @sino19530509
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