第16話 巧妙な手口

 佐々木信一は四人で話した翌月曜日には退職届を総看護師長へ提出した。人手不足だからと慰留されたらしいが、佐々木は問答無用とばかりに月末まで休暇を取って末日を持って退職すると言い残し、小川には「引っ越し準備するから」と言って帰宅してしまった。

 小百合は丁度ミーティングで会えなかったが佐々木からお礼のSNSが入ってそれと知った。

小百合は、佐々木がほんとうに動き出したので嬉しかった、そして奈落の底から希望溢れる未来へ飛び立とうとしているさくらのことを思い、晴れ晴れとした気持ちでいた。

 そこへあの弁護士が来た。

喉まで出かかってる名前が出てこない……。 ――えっと、……

「白湯さん、お話をしたいのですが、時間取れますか?」と、その弁護士が言った。

「えっと、どちらさまでしたか?」小百合は名を訊きながらどう断るか考えていた。

「<原杉総合病院>の顧問弁護士で津田公広と言います。先日、院長の件でお会いしました」

「そうでした。……、すみません、あれから色々あって考える時間が取れなかったので、もう少し時間を下さい」小百合は頭を下げた。

そのタイミングで患者が次々と会計窓口に並びだしたので、「津田様、申し訳ございませんが、窓口が混んでますのでまたにして下さい」

小百合は患者の差し出す診療明細を愛想よく受取り端末に読み込ませる。

手を動かしながらちらりとカウンターに目をやると、もう弁護士はいなくなっていた。

小百合はめんどくさそうな弁護士に嫌気が差していた。 ――話す気も無いし、ここに来ないようにできないかな? …… 


 昼休みには食事をさっと取って、倉庫に保管されている院長の息子の扱いの納品書と入庫数などのチェックを続けた。

もう数か月分を照合したが、納品数と入庫数、在庫数と現物、請求書と支払額などすべて一致し矛盾はなかった。

「あれー、息子の扱った薬品関係に横流しなんてないじゃない……」

小百合は倉庫の壁に向かって不満をぶつけた。それでも自分が調べた結果なので納得せざるを得なかった。

 夕方、ファミレスで小川にその報告をすると、「ま、白湯が調べても出ないならきちんとやってるってことだろう?」

小百合がそれでも腑に落ちない顔をしていると、「そんな顔するなら、もう少し調べて見なよ」

小川の言葉が小百合の耳には他人事のように聞こえた。

「そんな、冷たい言い方しなくても」と、ちょっと口を尖らせる。

「俺も、報告有るんだ」

小川はとんかつを啄むように食べながら、「高木係長と五十嵐なんだけど、管理課の調べて架空の請求書を偽造した使い込みが明白になって返金を請求したらしいんだけど、『事務長が認めてる』と言って応じないので、警察へ被害届を出したらしい。事務長の責任も含めて今後は警察の捜査が入るそうだ」

「へぇ、管理課もたまにはやるわね」小百合は正直、管理課が不正を糺す行為をしたというのを初めて聞いた気がした。

「まぁな、あの課長、誰かにケツ叩かれたんじゃないかな。そうじゃなきゃ事務長の関わったことに口出すはず無いんだ」

「誰かって? 誰?」

「最近さ、何かと問題起きて、SNSとかでも騒がれてるだろう。だから、経営のトップがさ……」と、小川が言う。

「でも、トップって原杉博院長じゃない」

「いや、もうひとりいるだろう。その上が……」小川が自慢気に言う。が、小百合には心当たりが……。

そんな顔をしていたら、「原杉博の父親さ、経営は父親が牛耳ってるんだ。知らなかった?」と、小川。

「ああ、そう言えば、そんな話聞いたことあるわ。でも、病院でそのお父さんを見たこと無いから、すっかりその存在自体忘れてたわ」

小百合は納得した。

「そっか、父親に言われたんじゃ院長も事務長を庇い切れなかったってわけね……いい気味だわ」

小百合は自分のにたり顔に気付かなかった。

「おいおい、白湯、そんな変な顔で笑うなよ。気持ち悪いぞ」

小川に言われはっとして真顔を作った。


その三日後だった。

SNSに、<札幌市内のH総合病院で起きた殺人、医薬品横流し、レイプなどの事件を職員が証言!>

と銘打って、細やかにその<実態>とする内容が書かれていた。


 小百合も読んだが、すべてが事実とは言えず読者に受けるように枝葉を盛っている部分も多くみられた。

しかし、反響は大きく、その後に発売された三流週刊誌にも同様の内容が掲載されると、窓口に座っている小百合にこそっと、「どうなの? あれって本当のことなの?」などと訊く来院者も出てきた。

患者数にも影響が出てきた気がした。週の頭や月末週などでも混み具合が緩和され、小百合たち窓口係にとっては楽になって嬉しい反面、病院は大丈夫なのかしらと囁く職員がいるうえ、他の病院へ転職すると言う噂話もとちらりほらりと聞こえてくる。

情報提供者を小百合は容易に想像できた。

――あの二人しかいない。首になるのは目に見えてるから、病院へ復讐の積りで言ったんだろう……



 三次が週末自宅で寛いでいると、一ノ瀬刑事から、「殺人事件の捜査で浮かんだ人物の捜査状況を知らせとくな」と電話が入った。一ノ瀬から知らせてくるのは珍しい事だった。

「まず、高木だが、アリバイ成立だ。五十嵐とは別の女とホテルにしけ込んでいた。監視カメラに写ってたしその女も関係を認めた」

「え、その女って病院の?」三次は、病院内で三角関係かよと呆れて言った。

「いや、飲み屋街で知合った女だ。高木は名前すら覚えていなかった」

三次は一ノ瀬の答えを聞いてホッとしている自分に気付いた。

「伊勢は、お前んとこの病院で不倫している男と病院近くの公園で会って、強請ってた。相手の男がかみさんにばれるのを恐れてるみたいでなかなか言わないんで、署の取調室に呼んで、『あんたに殺人容疑がかかってる』と、ちょっと脅したらゲロったのさ。ふふっ、だから伊勢もアリバイ有りだ」

三次は一ノ瀬のにやっとした顔を見て思った。 ――しゃーないか、尋問に多少の脅しも……

「なる、あとは?」

「院長と事務長は犯人だとしても直接手を下していないだろうとは思うが、一応調べたら、例の<高井良龍商会>の会長と料亭で会食してた。そこの女将も認めたし、カメラにも写ってたからアリバイはある」

「じゃ、一から調べ直しじゃないか」三次は捜査に期待していただけにがっかり。

「あぁ、俺達も捜査をやり直しだ。ま、取り敢えず、振出しに戻ったってことを伝えとくな」

三次は、一ノ瀬が「報告する」と言った意味がわかった気がした。

「おう、こっちにも何か情報は言ったら知らせる」三次はそう答えておいた。


 仕方なく三次は一ノ瀬の話を有り体に白湯に伝えた。

厳冬の時期を過ぎ、自然も人も少しずつ彩を加えて日射しがあると散歩するのも気持の良い季節を迎えていた。白湯を動物園に呼び出したのは、その景色に溶けこんで話でもしてたら、気持をリセットできるんじゃないかと考えての事だった。

園内を歩きながら、「まだ、俺達の知らない事実が隠されているんだろうな……」

三次が力なく行った。

「そうねぇ、でも、病院内はもう調べること無いわよ」と、白湯は降参でもするかのように情けない声を出す。

「そう言えば、息子は本当に横流ししてないのか?」

「えぇ、調べた限りではね、……でも、なんか見逃してるんじゃないかと思ってる」

「院内の帳票類を全部照合したんだよな?」

「えぇ、三か月分はやったわ」

「例えば、五年前は?」

「そんな前調べて何がわかるの?」

「……いやー、わからん」三次はいい加減な事を言ってしまったと頭を掻く。

「それに早瀬先輩の事件と関係あると思う?」

「そこなんだよなぁ、でもさ、引っ掛かりは全部取り除かないと、次ぎ思い浮かばないよ」

三次は、また事件の話をしてしまったと後悔した。 ――これじゃ、リセットにならんじゃ……

それで、気分を変えようと売店へ行って店内を見渡し、「ねぇ、揚げパンでも食べない?」

 金を払いながら、「昔は百円もあれば買えたのになぁ、高くなったな」三次はしみじみと子供の頃を思い出しながら言った。

「そうねぇ、物は高くなってるからね……」白湯が言ったあと、じっと揚げパンを見詰めて固まっている。

「どうした? ……白湯?」

「……ねぇ、ふと思ったんだけど、息子の会社から出庫した時の薬の単価と病院にある納品書の単価って同じかな?」

「え、どう言う事だ?」三次には白湯が何を言いたのかさっぱりだった。

「つまりよ、病院が薬を十個注文したとするわね。単価は変動するからその時点で病院はわからないのよ。そこで、勉は社内の受注票に個数を二十個と書くの。単価は販売価格の百円とすると合計二千円。でね、社内の送付書を二枚作るのよ。二十個二千円の社内用のものと、十個二千円の病院送付用のものをね」

「え、十個抜くってこと、……あっそっか、単価を二百円に書きかえたら十個盗んでも気付きにくいんだ」

「そうよ、それだもの院内の帳票をいくら調べたって合ってるに決まってる。メーカーの帳票と照合しない限りわからないわ?」白湯の声に力が漲る。

「けど、薬の箱に単価書いてんじゃないの?」三次は疑問をぶつけた。

「無いわよ。薬の箱には単価は印刷しないものなの」と、白湯。

三次は白湯と顔を見合わせて、一緒に頷いた。

「そうよ、単価なんて変わってくもんだから、ちょっと偽造したら誰にも気付かれず横領できる」

白湯が自身に再確認させるように呟いた。

「でも、どうやって調べるんだ。まさか、息子にそっちの会社の帳簿見せろとか言えないだろう?」

白湯が三次を見詰め、揚げパンをがぶりとかじってから腕組みをし青空を仰ぐ。

……



 小百合は決算関係資料の中から、原杉勉の勤務先<K&L薬品(株)>の取引先調書の記載内容を見たが、大したことを書いてなかったので、ネットに開示されている企業情報から取引先一覧を探す。

「あったわ。うちの病院名があるから間違いないわね。あとはどこかの……、あ、<葉谷総合病院>の名前があるわ、……」

<葉谷総合病院>には小百合の友人がいる。すぐに電話を入れた。

「ねぇ、お宅の病院に薬を納入してるの<K&L薬品(株)>だよね」

「そうよ、ほかにもあるけど、その会社からも買ってるわ。で、なんかあった?」

「いや、ちょっと聞きたいんだけど、担当者はなんて言う人?」

「え、……確か、大山さんという男の人だったと思うわ。彼がどうかしたの? そっちの事件に何か関りがあるとか?」

彼女はかなり興味を惹かれたようだ。

「いや違うの、ちょっと調べものしてて気になることあって、でさ、内緒なんだけどその会社が納品している毒薬とか劇薬に分類される薬の単価教えて欲しいのよ。頼める?」

小百合は周りに聞かれたくなくてひそひそ声で言った。

「え、やっぱり、そうなのね。わかった。協力する。でも、薬の名前特定してもらわないと同じものかわからないわよ」

「あ、そっか、じゃ、あとで薬品名だけSNSで教えるから、その順番に単価だけ返してくれる。そうしたら誰もわからないでしょ」小百合は妙案だと思って言った。


 昼ご飯を食べ終わってSNSをチェックすると彼女から数字の羅列が返信されていた。

数字の所々にアルファベットが挿入されている。

小百合は、送った薬品名を縦に並べ、その隣に数字だけを順に当てはめていった。

それから、事前に調べていた自分の病院の単価をその横に書いてみる。

「あ、やっぱり高い!」思わず声が弾んでしまった。

「どうした、白湯。何が高いんだ?」課長が遠くから叫んだ。

小百合は立ち上がって課長の傍へ行って、「すみません。暇なもんで、欲しかったワンピを今日買いに行こうかなと思って値段調べてたら、先週より三千円も高くなってたので驚いちゃって、つい……」

咄嗟に嘘をついて頭を下げる。

課長は咳払いをして、「昼休みはとっくに終わってるぞ!」

席に戻って、肩をすぼめちろっと舌を出して「やばいやばい」と、ひとりごちる。

発注個数に、単価の差額を掛けて金額を算出する。

「えっと、発注個数が十個として単価差額が百円なら合計で千円。で、合ってるわね」小百合は小川に説明するときに言った例で計算が合っているか確かめてみた。「うん、大丈夫」

そして実際に計算した。

結果、その金額に小百合は驚いた。 ――こんなに、毎回、誤魔化してたの! ……


 夕方、小川に声を掛け、夕食を一緒に取りながら麻薬類の横流しについて調査結果を報告した。

小川はその数字を見て眉をひそめ「こんなにか?」小百合を睨むように見詰める。

「えぇ、驚きだわ。でも、その方法だと自社だけいくら調べてもわからない。うまく考えたもんだわ」

「これも横領だから一ノ瀬に知らせるけど良いよな?」


 その三日後だった。

SNSに<札幌市内のH総合病院で今度は麻薬の横流しが発覚か?>と、銘打って細かく<5W1H>について書かれていた。

「暴力団<T商会>の資金源にもなっている」など、かなり尾ひれがついて誇大化された内容だがあっという間に広がってしまった。

会計係の同僚も、「こんな病院を辞めてまともなとこに移りなって親にいわれてさぁ……」などと小百合に言ってくる始末。院内にかなり動揺が広がっている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る