伝説の黒竜の杖、薪代わりに風呂釜にくべられた!?
豆井悠
黒竜の杖はどこへいった?
現代最強の魔術師、との呼び声高い
御年八十五歳。
すっかり白髪頭になった彼だが、纏っている緑色のジャージでは隠し切れない筋骨隆々な肉体が、その健在ぶりをアピールしていた。
底知れない魔力量、圧倒的な魔法の知識もあいまって、もはや追随する者もいない。
だが、己が研鑽に余念のない権蔵は、あらゆることを想定し、魔力、知力、体力の維持に努めてきた……のだが。
「爺さんや、布団を干すのを手伝ってくれんかね?」
妻
張り切った彼は、自身の体力を過信したのだろうか? 二人分の敷布団、計四枚を抱えるという暴挙にでる!
「ふんぬうっ!」
あろうことか権蔵は、膝を使わずに腰でそれらを持ち上げた。
「あがっ!? くっ、こ、腰があ!?」
起こるべくして起こった悲劇。鍛えに鍛えた魔術師でも、寄る年波には勝てないのか? いや、そういう問題ではないか……。
「え、えーい、
額に脂汗を浮かべ、腰に右手をあてがってスペルを刻むが……。
「ど、どうしたんじゃ?
いくら繰り返したところで、それは発動しなかった……。
情けなく転がったまま、権蔵は今まで培ってきた魔法知識を総動員させて原因の追究をする。
「もしや……腰をやったことで魔力の流れが滞っている、のか?」
導き出した答えは、ほぼ正解だった。
「くうぅ、抜かったーっ!」
彼はこの時の心境を、後日こう話していた。
『愛する婆さんに、かっこいい所を見せつけたかっただけなんじゃ……』
涙ぐましい話だが、その結果権蔵は、腰を痛めてしまう事となった。
前衛職すら凌駕する筋骨隆々の肉体とは何だったのか?
やはり膝を曲げずに腰で持ち上げてはいけなかったのか?
後悔の念だけが、彼の頭の中を駆け巡った。
「な~んで魔法を使わないかねえ~?」
老いてもなお、どこか可憐な菊が、もっともなことを言う。
「あ、あれしきの事に、魔法を使えるか!」
激痛に顔をゆがめながらも、現代最強魔術師としての矜持を見せる権蔵を、彼女は苦々しく見ていた。
「救急車、呼ぶかね?」
しわの増えた手を、そっと差しのべられると、何だか権蔵は泣けてきた。だが、ここで強がるのが男というもの。
「大丈夫じゃ! それより玄関にあるわしの杖を持ってきてくれ! あれさえあれば、魔力の流れを無視してスペルを刻める!」
彼は必死に懇願するように言った。
「……」
だが、菊の表情が戸惑いの色を帯びていく。
「え、えーと、その杖ってのは、小汚いあれかね?」
何故だか目が泳いでいる愛妻の発言に、権蔵は怒り心頭だった。
「い、いくら婆さんだからって、言っていい事と悪い事があるぞい!」
その怒りは、腰の痛みすら軽く超越していた。頭の血管がぶちきれないか心配になるほどの激昂ぶりだったのだ。
「そ、そんなに怒らなくてもいいじゃろが? あんな気色悪い杖なんか──」
「まだ言うか! あの杖はなあ、黒竜の杖と言ってじゃなあ、この世界で最強の部類に入る杖なんじゃぞい!」
いつもは温厚な夫の物凄い剣幕に、菊はたじろいでいた。
「で、でも、そしたら何で傘立てなんかにぶち込んでいたんじゃ!?」
それでも夫婦喧嘩二百戦無敗の妻は、反撃に出る!
「大事なもんなら、ずーっと抱えとればいいんじゃ!」
すっかり鬼瓦な菊の顔に、権蔵はめまいを覚えていた。
「い、いいか、婆さんよ? 傘立てに入れていたのはだなあ、あらゆる災厄からこの家を、婆さんを守るためだったんじゃ。黒竜の杖には、そういった力もあるのじゃ」
うってかわって優しく諭すような権蔵に、菊の表情も落ち着きを取り戻していく。
「……あ、あたしのためだったってのかい?」
ああ、そうじゃ! 大きく頷く夫。
「さあ、杖を持ってきておくれ」
気まずそうな菊は、す、と正座した。
「すまん」
そして、ピンと伸びた背筋をそのままきっちり九十度折り曲げて、見とれてしまうような土下座を披露した。権蔵はその神々しいまでの土下座に、言葉を失う。
「その杖な……燃やしてもうた……」
「……え?」
状況を理解できないでいる夫を置き去りにして、菊は続ける。
「ちょ~いと風呂用の薪が切れていた時にな、こう、両手で持って
「へしへし……ええ?」
泡を噴き出しそうな権蔵に、菊がすかさず土下座を解除して湯飲みを差しだす。
「お、おう、ありが……って熱ーっ!?」
思い切り口に含んだお茶を、たまらず噴き出した。
「ば、婆さんや、どういう事じゃ?」
「お茶、熱かったのかえ?」
「いや、熱かったがな? そうじゃあない」
口内のやけどで冷静になった権蔵が、菊の瞳を見据えて言う。
「その杖な、黒竜の魂を宿していて、ものすご~い硬度なんじゃわ。ミスリル製の盾だって、こつん、とやれば粉々になりよる」
はあ、とどこか要領を得ない菊。
「じゃから……婆さんのこのやっこい腿では、到底へし折れないはずなんじゃ」
言いながら、菊の太ももをさわさわして、ごいん! と頭を叩かれた。
「そうは言っても折れたものは折れたんじゃ!」
「仮に折れたとしてもじゃな、黒竜ってのは『ダークネス・ブレス』なんて物騒なもんを、びゃー! と吐きまくるんじゃぞ。その魂が宿った杖を、風呂釜ごときの炎が燃やせやせん。逆に杖から黒炎が噴き出して、この家が丸焼けになってしまうわい」
権蔵は、呆れたように肩をすくめる。これにカチンときたのか、菊が再び食ってかかった。
「燃えたもんは燃えたんじゃ! この唐変木!」
そこから流れるように愛のある罵詈雑言を浴びせだす菊である。こうなってしまっては、権蔵に勝ち目はない。
「ご、ごめんなしゃい」
彼は早々に白旗を上げて、通算二百一勝目を献上したのだった……。
「はあ、何がどうなっているんじゃ?」
敗戦のショックで腰の痛みも忘れてしまったのか、唐変木がしゃっきりと立ち上った。
「じ、爺さんや……立ってるぞい」
「え? ほ、本当じゃ……腰も、いとうない……?」
首を捻る権蔵の頭の中に、突然貫禄のある声が響いた。
『ぬしは鈍すぎだ』
勝手に脳を触られているような感覚に、彼は頭を抱えた。
「だ、誰じゃ? わしに話しかけてくるのは?」
『ワタシだよ、権蔵』
「はっ、その声は……黒竜か?」
『そうだ』
聞きなれたその声に、魔術師も安堵の色を見せた。
「どこにおるんじゃ?」
『ぬしの、中だ』
そこで権蔵は全てを悟った。
「そうか……お前を、杖を使うたびに、その魂がわしの中に入ってきていたのじゃな?」
『そうだ。ワタシはとうの昔にぬしと同化していたのだ。依代だった杖など、ぬしの妻でも簡単に折れるだろう』
「のう黒竜や」
『なんだ?』
「お前も人が、いや竜が悪いのお? なぜ腰をやった時に、すぐに助けてくれなんだ?」
『いや、あの程度でまさか腰をやるとは思わなかったのだ、許せ』
「仕方ないのう。ま、腰は治してもらったし、良しとするかの」
『配慮は不要だとは思うが、今後は少し気をつけるとしよう』
二人が大きく笑い合う。
「よし! 残りの短い人生、ともに歩もうぞ!」
『ああ、よろしく頼む!』
敷布団四枚を軽々と持ち上げた権蔵が、軽やかに階段を上っていった。
伝説の黒竜の杖、薪代わりに風呂釜にくべられた!? 豆井悠 @mamei_you
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