生と倫理 「燕は戻ってこない」/桐野夏生
この作品のテーマは、日本国内では認められていない「代理母」についてです。
具体的には、子どもができない夫婦のうち、夫の精子を第三者の女性の子宮に着床させ、出産してもらってから本来の親元に返す、そういった手続きを指します。
今回こちらの本を読んだのは、私が好きな言葉、「brutally honesut(残酷なまでに正直に)」という言葉を贈ってくださった、通称「姉貴」からのお勧めです(日本生まれ、海外在住の方なので、貰った言葉も訳文も原文ママです)。
といいつつ、「姉貴」のお勧めは今回ご紹介する作家・桐野夏生さんの「グロテスク(上・下)」という作品ですが、彼女が忙しすぎて気になったまま積読本にしているという本作を、先に私が読むことにしました。感想を求められているので、この場を借りて頭を整理しようというわけです。よろしければ、お付き合いください。
※あらすじ
地方の田舎独特の束縛から逃れ、東京に出てきた主人公リキ、29歳。けれど学歴もコネも資格も持っていない彼女に待っていたのは不安定な派遣の業務、一人暮らしの極貧生活だった。
そんなある日、同じような境遇の同僚・テルに紹介された卵子提供のアルバイトに興味を持つリキ。話を聞きに行った先で、多額の報酬と引き換えに、リキは国内では禁止されている代理母の役割を秘密裏に請け負うことを提案され―――。
※見どころ
登場人物の心境の揺れが、それぞれ非常にリアル。およそ460ページの長編ですが、ほとんど一気読みに近いかたちで読了しました。
依頼主の夫婦それぞれの思惑、そして徐々に明るみになるすれ違い、代理母の役割を軽く考えていたけれど、身体の変化とともに不安の淵に追いやられ、管理される生活に反発するリキ。恋愛、セックスとのかかわりを嫌悪し、春画作家になった女性、りりこの介在。
主にこれらの四層のかかわりが重なり合い、時々刻々と進行していく代理母の「プロジェクト」は、やがて思いもがけない結末を迎えることになります。
作中たびたび、主に夫視点での内省で言及される「エゴ」について。これは妻も同じようなことを感じているのですが、彼女の言葉を借りれば「同性である女の身体を、金で切り刻むことにならないか」という大きな逡巡を絶えず生じさせます。
また、代理母の多くは、代理母制度が認められている海外の女性に依頼するのが通常ですが、いずれにせよ金銭的に困窮した女性が代理母をかってでるケースが多く、金銭と引き換えの、女性の「モノ化」にあたるとの批判も根強いとされています。
こういうとき底が浅いと思うのですが、メイクはすれど私も男性ですので、どこまで「姉貴」が聞きたがっているような視点に踏み込めているのか、はなはだ疑問です。彼女のキャラを思えば「倫理」ということでもあるのでしょうし、それ以上の何かについての意見を求められているようにも感じます。
子どもは授かりものという言葉は、いつのまにか「作る」という言葉にとってかわられつつあるように思います。そして作中でも言及されているように、ある場合においては、それ(「子どもがいること」)は一種のステータス、あるいは常識として機能していることもあるかと思います。
ちなみに今回の依頼主の夫婦は、半分は純粋に「二人の子どもがほしい」という願いに動かされて行動をしているのですが、それでも残りの半分に、言ってしまえば我欲的な願望が潜んでいます。
私たち夫婦には事情があって子どもはいませんが、そもそも子どもと言う人間一人をこの世に送り出す営みに、私は正直かなりの、恐怖に近い感情を抱いています。非難を恐れずに言えば、子ども連れの家族を見るたびに、自分との世界があまりに違うのを感じるばかりです。そこには畏怖というより、異次元を透かして見るような慄きがあります。
もっといえば、「子どもを持ちたい」という思いが自然であるという風潮にも疑問と恐怖を感じています(が、それが絶対的な常識として蔓延っているとは思ってはいません。ただ、一部の状況では、「結婚をしない」あるいは「子どもを持たない」という選択が、依然少数派と受け取られているようには感じています)。
本作でリキ、そして依頼主の夫婦は、紆余曲折の末、それぞれにある決断をします。この結末はおそらく「常識」や「倫理」といった尺度で図ることができるものではなく、むしろひとつの現在進行中の過程として受け止められるべきだと思います。
本作の結末には賛否両論が予想されます。火のない所に煙は立たぬといいますか、物語の完結のかたちとしての結末だけで終わらない、その後を生きるリキという女性に投影、あるいはその姿を通して表現された、女性たちの生を鼓舞するように、本書は存在しているように思うのです(この点は、「解説」でもおそらくは同様のことが指摘されていました)。
男性の立場でこのような知ったかぶりなことを言うのは、本来主義に合わないのですが、思えばそういった謙遜もどきが、議論の停滞を招くのですよね。
※桐野夏生文学
有名どころの作品は数多いとはいっても、私がまともに読んだのは、高校生たちの暴力と逃避行を描いた「リアルワールド」とそのコミカライズ版くらいであり、「桐野文学」を語るほどの用意はありません。
なので、非常に狭い範囲で感じたことになるのですが、桐野文学において「弱者」「マイノリティ」はそれゆえに大きな立ち位置をしめているように思います。
しかも、美化や脚色がごっそりと取り除かれている。だからこそ読み手は安心と不安を抱えて、次のページをめくることができるのではないでしょうか。
私自身、自分の性別は嫌いですし、もっと言えば性に巨大な劣等感を抱えて生きているのですが、桐野文学は読み手を拒まず、深い懐を広げてくれているように思います。いえ、読み手を誤解しないといったほうが適切でしょうか。文章としては変な表現になりますが、私にはそう思えてならないのです。
ちなみにあるインタビューでは、桐野さんは「今生きている人間たちを、目をそらさずに見る。誠意ある作家になりたい」と応えておられます。
拙作「口に合わない望みは食えない。」や「りん。」では、それぞれマジョリティに属せなかった女性たちが主人公を生きていますが、いつか桐野さんのようにより深く、普遍的な根元に触れたいと思います。
※桐野夏生 略歴
・1951年生まれ
・1984年「愛のゆくえ」でサンリオロマンス賞受賞
・1993年「顔に降りかかる雨」で江戸川乱歩賞受賞
・1998年「OUT」で日本推理作家協会賞受賞
・1999年「柔らかな頬」で直木賞受賞
・2003年「グロテスク」で泉鏡花文学賞受賞
・2004年「OUT」がエドガー賞優秀作品最終候補にノミネートされる
・同年、「残虐記」で柴田錬三郎賞受賞
・2005年「魂、萌え!」で婦人公論文芸賞受賞
・2008年「東京島」で谷崎潤一郎賞受賞
・2009年「女神記」で紫式部文学賞受賞
・2010年「ナニカアル」で島清恋愛文学賞受賞
・2011年、同作で読売文学賞受賞
・2015年 紫綬褒章受賞
・2021年 早稲田大学坪内逍遥賞受賞
・2023年「燕は戻ってこない」で吉川英治文学賞・毎日芸術賞受賞
・2024年 日本芸術院賞受賞
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