4-6 ヴィルヘルムの恋
ヴィルヘルム・アレキサンダーは、代々優秀な騎士を輩出する家系に生まれた。
嫡男のヴィルヘルムは、ごく幼い頃から当たり前に剣術の稽古に励んだ。しかし、彼はすぐに壁にぶち当たった。残念ながら、ヴィルヘルムにはあまり剣の才能がなかったのである。言うなれば、凡人レベル。伯爵家の嫡男として相応しい実力だとは、とても言えなかった。
彼は眠る時間を削って、血と涙を流しながら努力をした。それで周囲に追いつくのが、やっとのことだったのである。生来、生真面目だったヴィルヘルムは、このことを大変思い悩んだ。
――自分は、騎士に向いていないのではないか。
騎士になる道を、諦めるべきなのではないか。
自分より優秀な弟に、家督を譲るべきなのではないか……。
そんなことを長い間、ずいぶんと悩んできた。
そんなある日、転機が訪れた。
ヴィルヘルムが十五歳の時である。
王宮にある騎士団の鍛錬場での鍛錬の帰り、物盗りに襲われている少女と鉢合わせた。
「それっ、返してください!その中には、お祖母様の形見が……っ!」
「煩い、ガキ!」
「ひっ……!」
彼女が鉄の棒で叩かれそうになったところを、ヴィルヘルムは剣で難なく受け止め、犯人を剣の柄で気絶させた。
「あ、ありがとうございます……!」
「いや、これくらいは大丈夫だ」
ヴィルヘルムは、少女が誰なのかを一方的に知っていた。ノイラート公爵家の一人娘、アンネリーゼ。あまりにも有名人で、彼にとっては雲上人だった。
騒ぎに気付いた衛兵が集まってくるに従い、アンネリーゼの顔色はどんどん悪くなっていった。その様子に気付いたヴィルヘルムは、彼女の手をそっと引いた。
「こっちだ。騒ぎになる前に逃げよう」
「えっ……」
二人は手を繋いで、その場を逃げ出した。
しばらく二人で駆けた後、ようやく落ち着いた場所で、アンネリーゼは気まずそうに言った。
「すみません。私が黙って家を抜けてきたのを……分かってらっしゃったんですよね?」
「それは……うん、何となく。衛兵に聞き取りをされたくなさそうだなと、思ったんだ」
これを聞いたアンネリーゼは、ふんわりとした温かな笑顔で、笑った。
「私の心まで汲んでくださって、一緒に守ってくれて……ありがとうございます、貴方は、とっても素敵な騎士様だわ……」
その時。
その言葉に、その笑顔に。
ヴィルヘルムは救われた。
騎士を諦めようかと悩んでいた心ごと、アンネリーゼに救われたのだ。
――俺にも助けられる人がいる。俺も、騎士をやっていて良いんだ。
ヴィルヘルムは、やっとそう思えた。
アンネリーゼのことは、そっと家に送り返した。彼女に一目惚れしたのだと自覚したのは、結局随分後になってからだった。
ヴィルヘルムは辛い時、何度も彼女のあの笑顔を思い出した。そして身分違いだとわかりつつも、アンネリーゼを恋しく想い続けた。どうしても忘れられなかったのである。
ヴィルヘルムが結婚適齢期になっても、縁談を跳ね除け続けていたのは、この片想いのためだった。
また、心に迷いがなくなってからは、騎士としての鍛錬の仕方も変えた。自分は周囲を見て、その状況を把握したり、指揮したりするのに向いているのかもしれないと気付いたのだ。
ヴィルヘルムは個人の剣技を磨くことよりも、集団を指揮する軍師としての才能を磨くことに注力するようになった。そして、見事その才能を開花させた。
魔法も集団指揮に向いたものが発現し、ヴィルヘルムは騎士団でめきめきと頭角を現すようになった。そして彼は、ついに騎士団の副団長まで登り詰めたのである。
しかし、騎士団長のベルトとは、根本的に反りが合わなかった。彼は家格と剣技こそ素晴らしいものの、権力主義で金に目がなかった。ベルトの影響で騎士団全体が腐敗し始めてからは、より苦しむことが多くなった。弱い者を虐げる王太子テオドールのやり方には、ヴィルヘルムはどうしても賛同できなかった。
しかし、ヴィルヘルムは辛抱しながら水面下で仲間をかき集め、今日になってようやくシリルの下につくことができたのだ。
今まで何かと思い悩むことが多い人生だったが、ヴィルヘルムはもう迷わないと決めた。
それは強い覚悟だった。
自分はシリルの下で一生を捧げ、生きていく。
そして、高嶺の花であるアンネリーゼにも、正直な想いを告白する。
アンネリーゼは今、保護されて王宮にいる。雲の上の存在である彼女と話すには、数少ない絶好のチャンスだった。
♦︎♢♦︎
誘拐事件があった翌日、ヴィルヘルムはアンネリーゼの姿を探した。
そうしてようやく、一人庭園で佇む美しいアンネリーゼの姿を見つけることができた。
ヴィルヘルムは、一世一代の勇気を出して話しかけた。
「アンネリーゼ様。探しました」
「ヴィルヘルム様……!?」
アンネリーゼが目を見開きながら自分の名前を呼んだので、ヴィルヘルムは驚いた。
「もしかして……俺のことを覚えていらっしゃったんですか?」
「ええ、勿論です……!貴方に、私の心ごと助けていただいた日のことを、忘れたことはありません……」
「……!そうですか……」
ヴィルヘルムの心は、あっという間に歓喜に包まれる。そこで彼は決死の覚悟をした。
ヴィルヘルムはアンネリーゼの前に跪き、彼女を真っ直ぐに見据えて伝えたのだ。
「アンネリーゼ様。危険な目に合ったばかりの貴女に、こんなことを告げるご無礼をお許しください。俺は……幼い貴女を助けた時から、ずっと……。ずっと、貴女のことだけが好きでした」
アンネリーゼの琥珀色の目が驚愕に染まる。ヴィルヘルムは懇願するように言った。
「身分違いだとは分かっています。しかし、俺には……貴女しかいません。どうか、俺の想いを受け止めていただけませんか……?」
するとどうだろうか。アンネリーゼの美しい目からは、ぼろぼろと大粒の涙が溢れ出したのである。ヴィルヘルムは表情には出にくいものの、大変動揺した。
しかしアンネリーゼは、絞り出すようにこんな声を出した。
「私も………………」
「え……?」
「私も、あの時から、ずっと……。ずっと、貴方のことだけを、お慕いしていました……!ヴィルヘルム様……!」
ヴィルヘルムは呆然としながら言った。
「……夢みたいだ」
アンネリーゼもまた、泣きながら言った。
「私もです……」
ヴィルヘルムは立ち上がり、そっと彼女に近づいて――――恐る恐る、その美しい涙を拭った。宝石みたいに透明な涙だと思った。
そのまま二人は、自然に惹かれ合うようにゆっくりと顔を近づけて――――初めての口付けをした。それは本当に、夢みたいに柔らかくて甘かった。
ほっそりした華奢な体を恐々と抱き締めると、彼女も腕を回して答えてくれた。花のような甘い香りがして、眩暈がする。ふわふわとした心地のまま、ヴィルヘルムは言った。
「アンネリーゼ様。貴女のお父上のことを、俺は何とか説得します……。だから……俺と、婚約してくださいませんか?」
「はい……喜んで」
二人は顔を見合わせて、そこで初めて微笑みあった。
不器用な片想いを続けた二人は、こうしてようやく想いを通じ合わせたのである。
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