第22話 恩師襲来(1)

 唐突な婚約の話についてはいったん保留として、ホルンとリターニアの丙種短波に関するデータを採集、帝都の大学に送った。

 この星は銀河ネットでも中央から一週間くらい遅れる僻地なのだが、その割にはものすごい勢いで返信がきた。


「もはや我慢がならん。いまから行く」


 恩師から来たのは、そんな、ひどく短いメッセージだった。



        ※



 メッセージが届いた、その翌日の午前中。

 恩師が、我が家にやってきた。


「たのもーっ! ゼンジーっ、いるかーっ!」


 と玄関先で叫ぶ白衣の女は、一見、二十歳かそこらに見えた。

 とはいえ帝国では、一定の年齢以降の女性がアンチエイジングで外見を整えていることなど珍しくない。


 鮮やかな紫色の髪で、銀縁の眼鏡をかけた奥からは黒い双眸がきらきらと輝いている。

 監視カメラの映像から、それが誰か確認したおれは、自分で彼女を迎えに行こうと応接室のソファから腰を浮かしたところで……。


 カメラの映像に、白髪の小柄な少女の影が映る。

 ちょうど、我が家を訪ねてくるリターニアとタイミングが重なってしまったようだ。


 空から舞い降りたリターニアが、見知らぬ女性を見て戸惑った様子で「どなたですか」と訊ねる。

 エルフの少女は、晴れた日はだいたい、転移をせずに空を飛んで来るのだ。


 帰りはだいたい、”繭”を使うんだけどね。

 空を飛ぶのも気持ちがいいし、鍛錬になるのだとか、何とか。


 日々の運動不足に嘆くのは軍艦に乗っているとよくあることであるし、軍にいる間はそのへん定期的な鍛錬が推奨されていた。


「ふむ、お嬢さん、きみはここの屋敷の関係者かね? ……いや待ちたまえ、きみ、エルフだな!?」

「あ、はい。あの……? きゃあっ」

「ふむ、実に興味深い! 吾輩大感激!」


 紫色の髪の女性は、リターニアの長く伸びた耳を遠慮なく掴むと、むにむにいじりはじめた。

 リターニアの方は、抵抗すればいいのに、顔を真っ赤して慌てているだけだ。


「なるほど、その耳の奥に、丙種短波の受信に使っている回路があるね」

「わっ、わわっ、わわわっ、おやめください! にゃあっ」

「うん? 三半規管……いや、蝸牛の拡張か。論文にはなかったぞ、どういうことだ!」

「どうもこうも、離れてください」


 慌てて玄関に出たおれは、紫色の髪の女性からリターニアを引き剥がした。

 女性が、「何をする」とおれを睨む。


「学問の探求を邪魔するとは、貴様さては朝敵だな?」

「久しぶりに会った可愛い弟子に対する言葉がそれですか、ジミコ教授」


 そう、この人物こそ、帝都大学の教授にして、我が恩師。

 高位の帝国貴族でありながら、その身分を投げ捨てて、高次元知性体オーヴァーロードとそれが起こす事象についての研究に命を捧げる高潔なる人物である。


 ものはいいようだ。

 研究のためなら己の身を犠牲することも厭わないが、同時にまわりを犠牲にすることも厭わない危険人物である。


 先代陛下とも昵懇の仲で、その繋がりもあっておれがどれほど苦労したか……。

 そんな彼女も、いまや後ろ盾を失ってやりたい放題できなくなり、いまは帝都の大学でおとなしく資料の整理に勤しんで……いるはず、だった、のだが。


「教授のメッセージが届いたの、昨日なんですけど。どうしてここにいるんです」

「うむ、吾輩本当は連絡と同時に到着する予定だったんだがね。検疫で手こずった。まったく、あの無能な入国管理官どもめ……っ」

「職務に忠実な帝国臣民に対する罵倒はやめましょうって」

「吾輩の行く手を遮るもの、これすべて朝敵である!」


 んなわけあるか、アホ。

 という言葉をぐっとこらえる。


 なにせこのひと、いまの言葉を陛下の前で言い放ったからなあ。

 陛下はけらけら笑って、「面白い人ね。でも、わたしの部下をあまり困らせないでね」と言ったものである。


 というかこれ、タイミング的におれが連絡した直後に出発したってことだよな……?

 よくそんな船を取れたなあ。


「もとより、ゼンジ。おまえから連絡があればすぐ駆けつけるつもりで準備していたのだ! 吾輩のあらん限りのコネを動員して! あいにくと滞在期間はあまり取れなかったが……なに、いざとなればこの森だ、潜伏してしまえば……」

「不法滞在、駄目、絶対。総督に連絡しますね」


 端末を手にして本気度を見せると、ジミコ教授は慌てた様子で「待ちたまえ!」と叫ぶ。


「愛弟子よ。ここはひとつ冷静に話し合おうじゃないか」

「ええ、冷静な話し合いは大歓迎です。ですから、うちのリターニアに色目を使うのはやめてください」


 リターニアはおれの後ろに隠れて、教授をきしゃーっ、と威嚇していた。

 おとなしい彼女にしては珍しい……というか、よくもまあここまで初対面の相手を怯えさせたな。


 教授自身に悪気は一ミリもないのだ。

 だからこそ悪い、という話ではあるが……。


「だいたい、きさまがあんなメールを送ってくるのが悪い! 我慢できるはずがなかろう!」

「だと思ったから、こっちが落ち着くまで送らなかったんですけどね」

「こちらは一日千秋の思いで待っていたのだぞ!」


 そういうところだぞ。

 本当に、これで帝国の民とはトラブルを起こしても高次元知性体オーヴァーロードとは一度もトラブルを起こしていないのが奇跡のようである。


 つーか、この人とホルンを合わせたくないなあ。

 せめて、事前にホルンに言い含めておきたいなあ。


 と思ったら。

 見慣れた赤毛が、ぴこっと庭の方で揺れた。


「何じゃ、おぬしら。面白いことをしておるな」


 ホルンが顔を出した。

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