第八話 はじめてのおしごと。
「ここだよ。」
先程までいたメブ親衛隊の寮から電車で十五分のとこに、メロちゃんの実家はあった。
寮があった大都市圏内からは少し離れた下町の中に、その中華料理屋は営われていた。
暖簾には『あずーる』と喫茶店のような名前が書かれていて、町の中華料理屋って雰囲気が正直とても好きだ。
「うちの名前、レアズールだから、あずーる。わかった?」
「あーなるほどね。」
「覚えてなかったんかい!」
メロちゃんは僕にツッコミをかました後、暖簾をくぐり、タッタッと店の中へ入っていった。
「ママーただいまー。」
「あれー?メロちゃん学校じゃないのー?」
厨房からひょこっと顔を出したのは、おっとりとした表情の女性だった。
この人がメロちゃんの母親だとすれば、かなり若く見える。
もしかしたら僕と一回りすら違わないくらいの美人だ。
「あら?お客さん??」
女性は僕の顔を見て、口角を上げる。
「違うよー。」
「じゃあ、もしかして彼氏さん??」
「ちゃうわい!」
「え、じゃあもしかして…。」
「バイトだよバイト!募集してたでしょ!」
「あらーー!!」
女性はカタカタと下駄のような音を鳴らして、厨房から飛び出した。
「嬉しい!ずっと欲しかったのよ!握ってくれる人!」
握ってくれる人…?
「ビシバシ握らせてあげてよ!」
ビシバシ…、握らせる…!?
「うん!いっぱい握ってもらうわ!」
いっぱい握る!!?
「じゃあいきなり握り方教えてあげます!あなた、お名前は?」
ズンズン向かってくるメロちゃんの母親の圧に、僕は何を握るかを聞けずに、質問に答えてしまう。
「ハクレイ…セツリと言います…。」
「セッちゃんそんな名前だったの!?変わってるねえ。」
「じゃあ、ハクさんと言いますね!」
メロちゃんの母親は僕の手を握り、「よろしくね!」と眠くなるような癒される声で間近で言った。
「私はシャパメロの母のエシルリアって言います!ルリアさんって呼んでください!」
この人、初対面の男性に対して危機感や空間把握能力はないのか…。
ひょいひょいと初対面の僕の手を握って…。
何だろう…、好きだ…。
「んじゃ、うち学校行ってくるからあと頼んだよー。」
「はーい、いってらっしゃーい!」
あ、え、ちょっと待って。
心を鷲掴みにされた瞬間に二人きり…?
「はい!じゃあ早速これ着て!」
ルリアさんは厨房から青色のエプロンを持ってきてくれた。
左端にはサメのワッペンが縫われていて、可愛い…。
僕は言われたままに、首にかけられ、そのエプロンを着させられる。
「あ!すごい似合う!素敵だよ!」
ルリアさんは更に近づき、両手でガッツポーズを決めた後、
「今日から一緒にたくさん握ろうね!」
右の拳を突き上げた。
「…はい!たくさん握ります!」
やべえ…。
声、仕草、全てが癒しだ…。
とろけそう…。
前の職場では、工場のこもった熱気の中、ひたすら野郎共と一緒に飛行機の部品を作っていた。
一級の検査を突破するのは当たり前で、不備があれば人の命を奪ってしまう。
そんな重い責任の中、納期に追われながら、先輩に引っ叩かれながらも八年…、そうだ。八年も続けてきた。
そんな日々が懐かしく、儚く思えるくらいに、今から勤める新しい職場は、甘くとろける青春の再来のような日々が始まる予感を感じる。
ありがとう…、メロちゃん…。
「じゃあさっそく準備しますね!」
「はーーーい!」
アホ面下げて拳を天に突き上げたところだが、一体何をたくさん握るのか僕は知らなかった。
ルリアさんは厨房に入り、長葱を微塵切りし始める。
卵を二つボウルに割り入れ、溶かし、中華鍋に油を入れ、溶かした卵を回し入れる。
それから微塵切りにした長葱を入れ、炊いたご飯も鍋にぶち込む。
それを見ていた僕は、思わず声に出してしまう。
「チャーハンですか?うまそおー…。」
「美味しいわよ!私のお店はあずーるおにぎりが有名なの。」
「可愛い名前ですね!どんなおにぎりなんですか?」
「え?これよ。」
「これって?」
「チャーハンをおにぎりにするの。」
「チャーハンおにぎり!?まさか握るってのは!?」
「これに決まってるじゃない。」
期待なんてしていなかったが…、中華料理屋でおにぎり…。
なかなか聞いた事はないが、僕はセンスに感激した。
「作りますよ!あずーるおにぎり。何個作ればいいですか!?」
「お昼までに三百個は仕込むわ。」
え…。
三百!?
ルリアさんが厨房で作ったチャーハンを、僕がひたすら握る。
言われた通り、たくさん。
工場の繰り返しの単純作業とあまり変わらない。
正直、こんなに工場で八年同じ単純作業を繰り返してきた日々に感謝した事はない。
僕の八年間のサラリーマン生活は、ルリアさんのあずーるおにぎりを握る為にあったんだなあ。と本気で思う。
効率を考え、コツも掴み、気づけば三百個はあっという間に完成した。
時間にして、実に二時間以上が経った。
「すっごい早いし綺麗!何かやってたの!?」
「おにぎり握るだけですよ?おにぎり握る経験なんてほぼ無かったですよ。僕は工場の会社員を八年やってただけです。」
「本当に上手だし、早い!すごく助かったわ!」
ルリアさんにかなり褒められた。
これだよ…。
これこそ仕事だ。
仕事して当たり前なんて言う奴はクソ食らえだ。
業務を頑張って、褒められるまでが仕事だ!
「さあ!もうすぐランチタイム!準備しましょ!」
「はいっ!」
気合いが入ったのも束の間、十一時の開店と同時に、スーツ姿のサラリーマンや、作業服の現場作業員がゾロゾロと店内に押し寄せた。
開店十分であっという間に満席になる程の人気っぷりだ。
そしてやはり、あずーるの名物であるあずーるおにぎりは飛ぶように売れていった。
「ルリアさんの握ってくれたあずーるおにぎりを食べる為に、午前の仕事頑張れてんすよ!!」
作業員のガタイのいい先輩と後輩の二人組らしき客が、ルリアさんに感謝を伝えている。
しかし今あなたが食べているそのおにぎりは、この二十六歳の男の僕が握ったなんて言ったら、どうなるんだろうとソワソワしてしまう。
「そうっす!やっぱりルリアさんが握ってくれると、一味変わります!いつも通り美味しいっすよ!!」
「まあ。ありがとうございます。でも今日のあずーるおにぎりわね。私だけじゃ…」
「わわわーーーっと!!」
僕は両手を広げて、二人の間に入る。
もし今自分が食べているのが僕が握ったあずーるおにぎりなんて暴露したら、気まずすぎてここで働けなくなるし、この人達も二度とここへ来れなくなっちゃう…!!
あずーるの危機だ!
「僕、次何すればいいでしょ!?」
「あ、じゃあ残りのチャーハンであずーるおにぎり…」
「あーー!!皿洗いやりますよ!!溜まってるんで!」
「まあ。嬉しいわ!じゃあ私があずーるおにぎり握っとくわね。」
天然という事がこれほど怖いとは…。
天然と書いて魔性と呼ぶんじゃないかと思うくらい、ルリアさんは魔性の女!!
男を無自覚で振り回し、自分の立ち位置をまるで理解できていない!!
ルリアさんの暴露に気をつけながら接客していると、あっという間に閉店作業に入った。
「ここ、お昼だけなんですね。」
「そうなの。私一人じゃ夜ご飯は作りきれないから…。夜もできたらいいんだけどね…。」
ほんの少し、ルリアさんは悲しそうな顔を見せていた。
きっと、夜の担当は旦那さんだったのだろう。
「僕、皿洗い手伝いますよ。」
「助かります!」
ルリアさんはテーブルの拭き掃除をし、僕は厨房で皿洗いを始めた。
しかし、僕が握ったところで、ルリアさんが握ったところで、誰が握ったところでも同じ味になるんだなあ…。
好いている人が握ってくれている。
それだけでより美味しく感じてしまうのだから、男なんて単純なものだ。
きっと店前に『この人が握ってます。』と美人の看板をおっ立てといて、その前におにぎりを並べてたら飛ぶように売れるんだろなあ。
そんな事を考えながら、僕は最後の皿を洗い終え、今日の業務を終了させた。
「はい。これ電車賃。」
「え、いいんですか??」
「ええ。初仕事お疲れ様!」
「ありがとうございます!」
僕はルリアさんから貰った千円を握り締めた。
その千円は、間違いなく千円とわかる馴染みのあるイラストが描かれている。
「日本円だ。」
「ん?どーしたの?」
「…、ここって日本…ですか?」
「え?日本?」
「この街は、なんていう名前なんですか?」
「どうしたの?モモバースでしょ?」
僕はそれ以上は何も言わず、お礼をして、あずーるを後にした。
少し歩いて駅前広場の喫煙所に入り、仕事終わりのタバコで一服した。
周りには帰宅途中のサラリーマンが、せかせかと帰路についていて、喫煙所を囲む透明なパーテーションからは夕日が差し込み、今日一日の終わりを告げていた。
死ぬ前の世界と見た目は何一つ変わらない。
夕日が見えるという事は、太陽があるという事。
太陽があり、人がいて、仕事があって、喫煙所もあり、タバコという文化もあるし、電車もある。
チャーハンもある。
唯一変わっているのは、現代科学では説明できない未知の能力が備わっている人間が複数人いるという事と、どこかでメブという死神が、今も死んで魂になった人達を分別しているという事。
ここは、あの世なのか。異世界なのか。
そして翠葉は、何故僕をここへ連れてきたのだろうか。
ポケットに入れていたポケベルを見つめた途端、ふとそんな事を考えた。
自分の右目、ポケベルに映し出された『だって私死神だからと言って』という文字。
明らかに僕に翠葉自身のパンペルシェラを使ってくださいと伝えているのがわかる。
この世界で、僕に何をして欲しいのか。
何を果たすべきなのか。
何もわからないまま、夕日は沈み、夜が訪れた。
僕はタバコを吸い終え、ルリアさんから貰った電車賃でルゥダちゃんのいるメブ親衛隊の寮まで帰った。
「今日、楽しかったなあ。」
誰もいないエレベーターの中、そんな感情が湧き出した。
内廊下の中心吹き抜けに目を向けず、壁をつたってルゥダちゃんの家の玄関を開けた。
「ただいまー。」
「あーー!!やっと帰ってきた!!」
ルゥダちゃんはトコトコと足早に僕の元は駆け寄った。
「どこ行ってたんですか!?心配しました!!」
「働いてきたよ。」
「本当ですか!?」
「ああ。もう大マジだよ!」
「どこで!?どんな事したの!?」
「メロちゃんとこの実家でお手伝い。」
「ああー。あの中華料理屋の?ん?ちょっと待って。メロちゃん…。」
急にルゥダちゃんは眉間にシワを寄せる。
途端に部屋に雨雲が発生したのか?雲行きが怪しくなり始める。
「何ですか?そのメロちゃんって呼び方。」
「え…。シャパメロちゃんでしょ?メロちゃんって呼んでって言われたからそう呼んでるだけなんだけど…。」
「へー。いつの間にか随分と仲が良さそうですねー。」
まずい。地雷を踏んだようだ。
「むぅ。」
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