第2話 殺されてもいい?その意味を青年はまだ知らない
風に紛れて声に似た何かの音が響く……。
それが風自体が発した音であるかのように。
『これは、とある誰かの昔話だ。
好きな姿勢で、好きな間隔で、好きな時間に聞いてくれればいい。
それは読者のあなたに委ねよう……。
では、準備は出来たかな?
始めよう。
……ひとりの青年がいた。
彼は“死”だけを信じて生きていた。
何故、そうなったのか?』
その説明の前に人間が不気味に口角を釣り上げたような時間の間合いが出来た……。
そしてその誰かもしれない声は再びあなたの脳内に再生されるり
『それは簡単に説明できる。
生きるには金がいる。
そして、金は人間が持っている。ならば、人間から奪えばいい。
ただ、それだけだ。
だが、その方法には少なからずいくつかの弊害が生まれることは皆も想像がつくだろう。
まず、抵抗されるかもしれない。
しかし、それは青年にとってなんの問題もない。
抵抗されない方法は、簡単だった。
殺せばいい──そうすれば、残りの弊害……』
そしてその青年の考えはまさに悪魔と言ってもものだった。
その考えに至った理由も。
それがもたらす青年にとっての利点も。
まるで本当に悪魔が青年に耳元で呟いたとしか思えない程に……残忍な理由だった。
『誰かに反撃される可能性は証拠を残さなければ……いい。
その方法が最も反撃も証拠も残りにくい。
スラム街。生まれた子どもが三日後に餓死することが、珍しくもなかった場所。
青年は、物心ついたときにはもう、独りだった。
腹が空き、腐りかけのリンゴを盗んだ。それが彼の“人生のはじまり”だった。
数分後には店主に見つかって路地裏で殴られ、ゲロと血でぐしゃぐしゃになっても──許されなかった。
もう一発でも殴られたら死ぬ。幼子であった青年がそう思った瞬間、なにか死に抗う方法が無いかと思ってただ地面を反射的に蠢かせて……』
また、不自然な間合いが空く。
そして、熱狂の渦にいる者が発するようにその声はあなたにとって興奮したように聞こえた……。
『そして、それを手に持ってしまった。
見つけてしまった。
手に取ったのは割れた瓶。
無意識に……。
ただ、"死にたくない"』という感情の一心でそれを店主の首に突き刺した。
その時、呼吸が止まり、腕がただ、刺したという感覚だけが手に感じ取った事を青年は覚えている。
そして、その一撃は偶然にも頸動脈に届き、破片が吹き出す血を抱えて、店主はまるで毒物を飲んだかのように無様に痙攣して……』
その声があなたの中で……パタリと止んだ。
不気味な沈黙。
結果などあなたはわかっているはずだ。
……もしかしたらもう言わなくていいとも思っている読者もいるだろう。
だが、声は先程の興奮が嘘のように冷たく……そして読者のあなたが分かりきっている答えを、感情のない声で響かせた。
『そして……死んだ。
吹き出す血の赤色は罰の色だったのか。それとも祝福の葡萄酒だったのか。
自分の手で殺した男を見て、青年は……笑った。
……笑った。笑った。笑った。
それは安堵だったのか。
恐怖だったのか。
快楽だったのか。
……今も青年は答えを出せずにいた。
しかし、この日、青年の人生の向きが決まった』
『……。
…………。
……十数年後。
それを理解し切った青年は幾千の屍を越え、“
死を殺すことはできない。
なぜなら、殺すという行為自体が“死そのもの”だから。
だから、人は彼に勝てなかった。
暗殺技術は完璧。
抜刀の一瞬で喉が裂かれ、殺気は気づかれることすらない。
熟練の戦士すら、彼の気配を知らぬまま墓に行く。
彼は、無敵だった。
だが、ある晩──
寝ぐらに戻ると、少女がひとり、入口で何かを探していた。
気配を消したはずなのに、少女はゆっくり振り返って……微笑んだ。
脳より先に、体が動いた。
殺意。
その感情だけが青年の体を動かした。
青年は思った。
殺さなければ……もし復讐者なら、仲間を呼ばれる。
最悪の事態を想像していたが、青年は眉をひとつ動かさず、慣れた手つきで懐からナイフを抜く。
ナイフを突き刺そうとしたほんの刹那の間の瞬間、青年はその目で少女の最後を捉えようとして彼の双眸は少女を見つめると……。
その少女は両手を前に出して目を閉じた。
そう。彼女は青年の一刺しを無抵抗に待っていたのだと理解した瞬間。
そこで、青年は“リスク”ではなく“違和感”に惹かれた。
そして、喉元ぎりぎりで、刃を止めた。
しかし、少女の返答によってはすぐに突き立てるように……。
その目は深く少女を睨んでいた。
青年の目には拒絶と警戒の色を染めながら……問う。
「なんで……お前、そんなふうに死を受け入れるんだ?」
青年が感じた違和感。
それは千にも及ぶ屍の最後を常に見続けてきた彼だからこそ感じた違和感の正体。
彼が殺した者は皆、死ぬ直前に“命が惜しい”という目になる。
だが、今回の少女は違った。
命が惜しくないと思える。その行動に青年の
少女は青年を愛おしく……そして、悲しいモノを見るような目で見ながら言葉を紡いだ。
「この前、ある人物が死にました。私の両親の仇。
それを殺したのが……あなた。だから、お礼を言おうと思ってました」
そして、一拍を置いて。
少女は目を瞑って……まるで詩を唄う吟遊詩人がその場で思いついた歌を歌うように……。
喋る。
喋る。
喋る。
「……でも、ナイフを抜いたあなたを見て思いました。
あなたになら、殺されてもいいなって……」
その一言で青年の当たり前がまるで硝子が砕け散るような音をたてて、崩れ去った。
(違う……違う……違う。死はそんなものではない……)
「それ、俺の気まぐれかもしれないんだぞ?それでも……いいのか?」
青年は少女に自分のなにかを押し付けるように犬歯をギリリと音をたてて言葉を返した。
「いいです。私はあなたに“利用される”なら、ちゃんと自分を知れる気がしました。もしかしたら……両親が死んで自暴自棄になってるだけかもしれませんけど……。それならそれでもいい……。
殺されても、捨てられても、欲望のはけ口でも……それでも、いいと思ったんです。あなたを見た瞬間にそう思えるくらい……あなたは私にとって殺されてもいいと思える存在となったのです……」
「…………」
青年は最後の自らの矜恃。
死への認識を変えられたのを認めざる負えなかった。
青年は少女のその目が自分をしっかり見つめていたのを見ると……ナイフをしまった。背を向けて、歩き出す。
「どこへ?」
少女が疑問を投げかける。
青年は崩れ去った当たり前がもはや機能しないことを感じ取った。
「家族が増える……たぶん。夕飯の買い出し、追加だ」
少女は小さく微笑んだ。
その姿を、青年は気づかなかった。
青年は誰かを愛したことがなかった。
愛し方も、守り方も、まだ分からなかった。
けれど──
まず、常識を崩してくれた少女を前にしてみて……。
最初の一歩として、誰かと食事をする未来なら、信じてみてもいいと思った。
そうして、青年は孤独から
けれども、あんな事になるなんてこの時はまだ想像もしていなかった』
それだけ伝えると……声は読者のあなたの脳から……消えた。
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