第六話 キュビズム ①

 最後は、穏やかだった。

 それは一種の諦めで、妥協でもある。だけど、私はそう思われるのも、そう思ってしまうのも嫌だった。

 望んだ結果だと、最初からそれを望んでいたのだと。

 自分に言い聞かせる様に、そう喧伝する様に。

 そうであって欲しいのに、そうであるべきなのに。

 本当に、本当の本当に。

 それが私の望んだ結果だったら?本当の私が本当にそれを望んでいたとするのなら?

 それこそ、滑稽ではないだろうか。

 私自身が、私の人生に価値なんか無いのだと冷笑しているのだから。


 心の形とはキュビズム的で、裏面の本来見えてこない部分すら、堂々と解体されて脚光を浴びる。

 だから、人は勘違いする。

 自分の本当の形とは人前に現れるものでは無く、絶えず自問し続ける心の中の声こそが本当の自分なのだと。

 私の場合で言えば、他人の前でしどろもどろになる自分こそウソの自分で、本当の自分は心の中で言い訳や文句を吐き出す強気な自分こそ本当の自分だと、そう思いがちだ。

 だけど、本当の自分は他人の前でみせる情けない存在だということを受け入れられない弱い私の様な人間は、そういう部分から目を逸らしてしまう。

 それでも、ほんの少しだけ、嫌いな自分に少しだけを目を向けることが出来たのなら。


 ◇


「星香、お疲れ」

 五月の連休最終日。

 本日のシフトを終えてバックヤードでエプロンを脱いで帰る支度をしていると、佐竹さんが肩を叩いた。

「あ、お疲れ様です」

「ふふ、結構板についてきたね」

 言いながらコーヒーの芳ばしい残り香を振り撒きながら、佐竹さんはバックヤードにあるパイプ椅子に腰掛けた。

「そうです……かね?」

 一方で、私はその自覚が無かった。当然、私は佐竹さんのリップサービスかとも思っていた。

 だが佐竹さんは私の疑心に対して、強く肯定した。

「うん。そうだよ」

 その強い口調に助けられるような私なら、後ろ向きな性格を長年続けられていない。

 それすらも私は彼女の優しいウソだと断じてしまう。

 ただ、その優しさだけが嬉しかった。



「本っっっ当にネガティブ!」

 私達の学校のテニス部はそこまで熱心じゃ無く、連休中には2日程休みがあったが、その日すら真矢は近くのテニスコートに足を運んで自主練していた。

 そんなテニス漬けの休みの理由の一つは、私がバイトを始めてスケジュールが合わなかったというのもあるらしいけど、真矢のことだから、少し疑わしい。

 その真矢の部活終わりと私のバイト終わりの時間が殆ど同じだったので、連休最終日の夜はファミレスで晩御飯を食べることにした。

「そりゃネガティブだよ。知ってるでしょ?私のこと」

「何でそこだけちょっと自慢気なのよ……」

 私のバイトでの話を聞いて何故か呆れた真矢は頼んだ和風御膳の漬物を口に運ぶ。

 最初に漬物から食べるのは昔から変わらないな。

「いい加減星香もその度が過ぎる後ろ向きな考え方辞めないと大変なことになるよ?」

「大変なこと?」

「そりゃ鬱病になったり、メンヘラになったりとか」

「……そういえば不思議とそういうことは考えないかな」

 自分の失敗を自分で責めて情け無く思うことはあるけど、どんなに自分が情けなくて矮小で無価値な存在だと思い込んでも、自殺とか何かに依存とかは考えたことも経験したことも無かった。

「意外と図太いよね、アンタ。そこだけは紗夜姉そっくり」

「もっと違う部分が似てくれればなぁ」

 例えば、あの根拠の無い自信とか、後先を考えない行動力とかさ。

「そういえば紗夜姉は?」

「まだ帰ってない。なんかダイビング免許取ったら今度は海外の海でダイビングしたくなったらしいよ。今頃オーストラリアにでもいるんじゃないかな」

 それを笑って許す両親もなかなかの変人っぷりだけど。

「その顔」

 姉のあの悪いと一つも思ってない呑気な声色を思い出していると、真矢が煮魚の骨を悪戦苦闘しながら私の顔を見て少し笑う。

「顔?」

「星香が真矢姉の話をしてる時の顔のこと。ほんと苦手なままなのね、すぐ顔に出る」

「そりゃ……まぁね」

 苦手なのは変わらない。姉だから苦手で済んでるけど、姉じゃなかったら嫌いになっていたくらいだろう。

 でも、そんな自分も嫌い。

 何でもかんでもネガティブに捉えてしまう自分が本当は嫌いで、姉のような明るい性格の人を苦手に思ってしまう自分が嫌い。

「アンタって苦手な人とか嫌いな人、多いよね」

 と、真矢は笑う。

 そういう私を笑って受け入れてくれるから、多分私は真矢と友達でいられるんだろう。

「その癖、寂しがり屋。なのに人見知り」

「本当、我ながら面倒な性格してると思うよ……」

 改めて言われると、ここまで矛盾を抱えた性格を持つ人間がいるだろうか。

「でも、変われるといいね」

「変わる?」

「だってアンタ言ってたじゃない。高校に入る時に。ほんの少しだけで良いから明るくなって、高校こそ恋人作るんだって」

 あー。

 なんか、卒業式の時のテンションでそんなことを口走った様な……。

 しかし、恋人かぁ。

「友達一人作れない私が、どうやって恋人を作るのさ」

「だから、変わりたいんでしょ?」

 真矢はお見通しだと言わんばかりに得意気に笑みを浮かべる。


 そう。

 私はこんな自分を否定したくてたまらないのだ。

 こんな私を真矢はよく笑って時折イジるけど。

 私は本当に私が嫌いだった。

 こんな人間に真矢はよく友達でいてくれるものだ、と。

 そんなことすら思ってしまう。

 真矢の言う通り変われることが出来たなら。

 もしその一歩が、佐竹さんの所でバイトを始めたことなのだとしたら。


「少しくらいなら、私を好きになっても良いのかな」


 と、そう思ったりした訳だ。

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