第五話 夜の残した影跡 ①

 善い人に思われようとするよりも、善い人であろうとせよ。

 ——なんて、大昔のギリシャの哲学者は言ったらしい。

「要するに、だ。星香に好かれる前に、星香に好かれるような人間になれってこった。上辺だけじゃなく、な」

 丁度一年前のゴールデンウィークも、こうやって保科と喫茶店で時間を無駄にしていた気がする。佐竹は去年も実家の手伝いで遊べなかったし、今年も同様だ。

 しかし去年は馬鹿話に終始していたが、今年はちょっと訳が違う。

 一見ギャルな保科が頭の良さそうなことを言っている時点で、だいぶおかしい。

 と、いうか。

「やだ、もしかして保科って文学少女?」

 活字と保科は水と油の関係と同じだと思ってたけど。

「誰のために言ってやってると思ってるんだよ」

 ついこの間まで彼氏が欲しいとか、ネイルサロンがどうとか。そんなこと言っていた筈なのに、キャラに合わないぞ、保科。

「それに、さ。それって、嘘ついてるみたいで嫌だな」

「嘘?」

 保科は怪訝そうな顔をする。全国の女子高生を糖尿病にでもしたいのか、と文句を言われそうな生クリームと砂糖もりもりのキャラメルフラペチーノを一口飲んでから、保科は鸚鵡返しに訊き返した。

 ちなみに私は普通のアイスコーヒー。別にカッコつけてるとかそういう訳じゃなくて、何で喉を潤しに来たのに、そんな更に喉が渇きそうなものを飲むのか、という当たり前の疑問があるからだ。

 まぁ、甘過ぎるのは基本的に好きじゃないっていうのが、理由の大部分を占めている訳だけど。

「好きな人に好かれるために本当の自分を無理やり隠して変化させるってことでしょ?」

「変化……、いや、多分そういうことじゃないけど」

「でも、そう言ってる」

「んー……まぁ、そういう解釈でもいいか」

「でもさ、それって虚しいだけだよね。ほら三つ子の魂は何百個がどーたらこーたら、って言うじゃん?」

「三つ子の魂百まで、な」

「そうそう、それそれ。人はそう単純に自分を変えられないよ。もし、誰かの理想の自分を演じてもさ、それは多分私じゃない」

 じゃあ、何なのか、と言われると答えに窮してしまうけどさ。

 そう、ありのままの私を好いて欲しいのだ。我儘で、馬鹿で、考え無しのこの自分を。

 いや、本当にそうなのかな。

 自分の生の気持ちを心の中で言語化すると、なぜか自身の答えに疑問を持つもう一人が顔を出す。

「どうした?那月が黙って何かを考えるなんて、珍しい」

 そんなことを考えていると保科は訝しそうに私の顔を覗き込んだ。そして何とも失礼な言葉を吐く。

 私だって色々考えて生きてるんだぞ、と。

 反論してもいいが具体的に反論する材料は無いので、言い負かされるのがオチだ。

 そんな訳で目だけで反論の意思を伝えてみる。

 まぁ、そんなんで伝わるなら苦労はしないんだけどさ。

「あ、佐竹からメッセージ来てる」

 私のスマホも震えていたので、多分グループチャットにメッセージを投稿したのだろう。

 私がそれを確認するより早く、保科が口に出して読み上げた。

「良いもの見せてあげるから店に来て——だってさ」

「良いもの?」

「さぁ」

 二人して首を傾げるが、佐竹の実家の店に行くことへの反対は無かった。

 二人して連休だというのにやる事なくて手持ち無沙汰だったので、佐竹の言う良いものがどんなに下らなくても、良い暇つぶしが出来た程度の考えしかなかったからだ。

 しかしまぁ、結論から言うと。

 佐竹の言葉に嘘偽りは無く。これ以上無いくらいには、良いものであった。

 いや、言い過ぎかな?

 兎に角、私は佐竹を後日これでもかと言うくらい褒め称えたことは間違い無い。


 ◇


「星香?」

 まるでイタズラが成功したような含みのある笑みで佐竹が私達を出迎えると、奥からおずおずと出て来たのは星香だった。

 個人店なので制服とかは無く、ただパーカーの上からエプロンを着けている姿だというのに、見惚れてしまう。

 端的に言うのなら反則級に可愛い。私の語彙力をフルに活用するのなら、素朴で、可憐で、嫌味のない美しさがあって。

 サスペンスドラマに出てくる、軽井沢のペンションのオーナーの娘って感じ。なんか伝わりづらいな。

 などと、改めて自分の語彙力の無さに辟易しながらも、視線は彼女の不慣れな手つきを追ってしまう。

「へぇ、いつから?」

 保科は楽しげに訊くと、何故か得意げな佐竹が星香見た。

「えーと……今日からです」

 道理で、初々しい訳だ。

「似合ってるよ、エプロン」

「あ、ありがとうございます。あ、お水、すぐ出しますね」

 と、カウンターの奥へと戻ってしまう星香。

 私の褒め言葉に照れちゃったかな?

 なんて、そんな訳ないのに巫山戯るように、いや、自分の緊張をほぐす様に自らに言い聞かせてみる。

「ふふん、どう?」

「佐竹、マジで最高」

 洋画でよく見る拳を突き合わせて喜びを表現するアレが純粋な日本人だというのに自然と出てしまう。

 が、佐竹と私のテンションに差異があったのか、私の拳は虚しく空を切る。

 まぁ、佐竹がそんなことしてくれる訳ないよね。


 しかしまぁ。

 確かに星香に会いやすくなったのは事実で、それは確かに私にとって嬉しいことなのだけども。

 それでも、リフレインする。

 紗夜先輩に言われた言葉。

 星香は決して私を好きになることがない。

 そういう呪いのような言葉。


 それ真意がどうであれ、心のどこかで、その言葉の真実味に気付いているのは事実だったりする。

 星香は私のことを好きにならない。

 きっとそれは、多分、本当のことなんだろう。でも、それでもという諦めの悪い気持ちが、私を醜く変容させる。

 きっといつか、と。

 淡い期待に胸を膨らませながら。

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