5 佐藤 大郎 ①
――――平凡な、どこにでもいる普通の男。
「すみません、ここ、漢字間違ってます」
事務の女性はめんどくさそうに名刺を確認すると、首を傾げる。私は自分の名前を指差す。
「ここ、『太郎』のタは太いじゃなくて、大きいが正しいです」
「はぁ……直しときますね」
向こうが間違えたのに、なんだか嫌な感じだ。だけど、そんな不満をグッと飲み込んで、オフィスの自分のデスクに戻る。ここで下手に揉め事を起こして、日常が壊れてしまっては大損だ。
そう、私は平凡な日常を愛している。
私の名前は佐藤大郎。おおよそ平々凡々を象徴するような、そんな名前だ。「おおよそ」と言ったのは、大郎のタに点がないからだ。
私の両親は何を思ったのか、一見シンプルなこの名前に要らないひとひねりを加えた。そのせいで当の本人である子供の方は、名前を訂正する手間に毎回煩わされている。
いっそ点があれば、私は完全に平凡になれたのに。
その時、向かいのデスクの上司が声を掛けてくる、
「おい、佐藤。さっきの資料、また赤い下線と緑の下線を間違えてるぞ」
「すみません」
「何度目だ……若手じゃないんだから、しっかりしてくれよ」
我慢。我慢だ。これも何事もない、可もなく不可もない日常を守るためだ。
小さな頃から、平均的な子供だった。取り立てて目立った長所も短所もない、ごくごく普通の子供だった。そんな普通の子供が、普通に育ち、普通に就職し、普通に生きている。
そんな私にも、一つだけ自慢があった。
「あら、おかえりなさい」
家に帰ると、妻が出迎えてくれる。目を見張るような美人ではない。それでも、愛嬌があって可愛らしく、平凡な私には過ぎた妻だった。
「ただいま」
「ぱぱ、ぱぱ!」
一歳になる娘がよちよち歩きで廊下に顔を出す。私は思わず抱きかかえる。
「おお、もうすっかり歩けるようになったなあ」
「あなた、先に手を洗ってください」
「ああ、ごめんごめん」
私の子とは思えない、可愛い娘だ。妻が出産した日、初めて見た時の感動が昨日のことのように思い出せる。目に入れても痛くないとはこのことだ。わがままを言って、娘の名前を私に付けさせてくれと妻にごねたっけ。
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