2 北大路 義雄 ②

 キャンプ用の焚火台の上には、油が敷かれた鉄板が載っている。その上に油を敷き、鹿のレバーと心臓を置く。血生臭い肉の焼ける臭いが辺りに充満する。


 既に夕方になっていた。山は静かで、巣に帰るカラスの羽ばたきと鳴き声だけが時折こだましていた。

 鹿を捕れたのは僥倖だった。たまたま視界の端に、動く影を見たのだ。気付かれないように近寄れたのもほとんど運だった。猟銃を立て続けに二発、体勢を崩した鹿に近寄りとどめを刺した。

 その後は川辺で放血をし、傷みやすい内臓を素早く取り出す。肉は川につけて血を出しつつ冷やしている。これも老人から教わったことだ。

 ばあさんが生きていたら、きっと怒るだろう。義雄さん、無茶はほどほどにしてくださいよ。そんな声が今にも聞こえてきそうだった。


 ガサゴソ。


 その時、茂みから物音がする。動物だろうか? そういえば、この森は熊が出るのだろうか? しかし、こちらは火を焚いている。動物がむやみに近寄るとは思えなかった。

 現れたのは、ぼろ雑巾のような少女だった。全身土まみれのワンピースで、手足もすりむいていた。顔も泥が付いていて、それでいて無表情だった。おかっぱの髪は汗でべったりおでこや頬にまとわりついている。


「お嬢ちゃん、どうしたんだい?」

 少女は答えない。ただ、じっと鉄板の上を見つめていた。

「もしかして、お腹がすいているのかい?」


 こくんと首を縦に一回振る。


「おいで、食べさせてあげよう」

 僕はよく焼けたレバーを紙皿によそい、割り箸と一緒に渡す。少女は割り箸を串のように突き刺して、レバーにかぶりつく。


「……にがい」

「苦いのがいいんだよ」

 少女はそこで初めて僕に気が付いたようにこちらを見て、それから顔をしかめた。


「おじいちゃんみたい」


 その時、ふっとタイムスリップした気分になる。かつて老人と一緒に狩りに出た自分が、今は自分ひとりで狩りをして、あの時の自分くらいの年の少女に料理を振舞っている。


 山にとっては一瞬でも、僕にとっては長い年月が経っていた。

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